忍者ブログ
[1967] [1966] [1963] [1964] [1965] [1962] [1956] [1955] [1960] [1959] [1961]
 
 (クリックすると拡大表示。現代の社会的な基準に照らして、当時商売をしていた家以外をボカした)

自分の出た小学校の校区内に遊郭があったなどとは全然知らず、知ったときの衝撃は相当なものだった。そして、いろいろなものに合点がいった。なぜストリップ劇場があったのか。なぜあんな場所に旅館がいくつもあったのか。なぜ格子や裳階のような構えの木造家屋が多かったのか。

新潟市立図書館にある「住宅地図1958~1967?」。「東交出版社」とある。この住宅地図は、地図としては正確ではなく、相対的な位置関係をメモしたもの、というくらいの精度。職務著作物として考えればパブリックドメインなので、全ページコピー可能。「~1968?」でなくてよかった。TPP発効で著作権保護期間が70年になるものに含まれるところだった。

それはさておき、上記地図の「本町通(十四)」と「横七番町(一)」あたりをみる。まずは「セントラル劇場」。これが、いまも営業している「福田旅館」の隣奥にあった。いまの「大岩ビル」のところに「キャバレー新招楽」とともに描かれている。「セントラル劇場」がここにあったと紹介されることも多いが、後年、「セントラル劇場」は一つ北の区画に移転している。私の記憶にあるのはそちらのほうで、1980年頃には、黄色時に赤い文字の看板が出ていた気がする。こどものころゆえ、そのたたずまいをきちんと見た記憶はない。

大岩ビルは、1階は小料理屋が入っているが、2階と3階はごく普通の住居である。同級生が2家族、ここに住んでいたので、中に入ったことも何度もある。

この住宅地図で黄色く塗ったところは「スタンド○○」「旅館」。向かいの「つるや旅館」は、いまも「つるや」と書かれた行灯が残っている。ほかは、当時と同じ名称を残す店はない。

福田旅館については、花町太郎さんのブログに、泊まったことだけでなく、ご主人のお話なども詳しく記されている。
旅館福田(本町十四番町遊郭)其の壹
旅館福田(本町十四番町遊郭)其の貳
旅館福田(本町十四番町遊郭)其の參



一つ東の区画に「旅館まつ葉」とある。子供のころから見慣れた廃屋だった。先ごろ解体されてしまったが、ここは常盤町遊廓の一角。『新潟の花町』(藤村誠)によれば、明治31年(1898年)に本町遊廓が火事で灰燼に帰した際、地代の値上げを宣告されたたために開かれたのが常盤町遊廓だ。その姿を私が最後に見たのは2015年の11月だ。2016年8月のストリートビューでは更地になっている。

 
 
侵入してみたかったと聞かれれば、したかったと答える。しかし、ここは住宅街。人通りも多いし、知人が行き交う可能性もある。

この通りは、先の『新潟の花町』掲載の地図には「横門前」と書いてあるが、いま検索してもそうした名称はまったくでてこない。さらに横七番町を下り、願随時の参道との交点に、新潟信金横門前支店があり、そこに名前を残すのみだ。



ほか、赤枠で囲った部分を思い出として見ていきたいが、それはまた後日。
PR


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
05 2019/06 07
S M T W T F S
4 6 7
12 13 14
17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析