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のと鉄道の松波駅跡。駅舎は「松波城址情報館」という展示に使われていたようだ。

 
駅の裏手へ。島式ホームと上屋、待合室が残る。

 
9月下旬だった。夏がまだ残っていた。上屋下の広告行灯は白地となっていた。

 
ホームの上から振り返ればこんな。

のと鉄道は多くの駅が残っている。


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とにかくすてきなロケーションだったのが、波並駅だ。上の写真はiPhoneのパノラマモードで撮ったもの。ホームに立つと、海が見下ろせる!

 
少し場所を変えて。

 
待合室に掲げられた駅名標。

 
駅の入口まで下がる。「君を乗せ/未来につなぐ/のと鉄道」。

 
もう少し下る。踏切跡。



 
のと鉄道恋路駅。美しい響と文字面。こんな美しいロケーションで通学の汽車を待つ…というシーンを想像してしまう。実際にそういう利用もあっただろう。どんな思い出になっているのだろう。

いま、ここでは「のトロ」というレールバイクに乗れるらしい。

ここにレールが見えるが、笹田昌宏さんの『廃駅ミュージアム』(編集担当は私)によれば、一度レールを撤去したあと、酒造会社がレールバイクのために再度敷設したものとのこと。枕木の間隔なども、なるほどという感じだ。

 
穴水側。トンネルが見える。

 
このトンネルまでの300mほど、レールバイクに乗れるらしい。

 
駅名標は、国鉄時代のままなのだろうか。それとも三セク移管後だろうか。

【同日追記】
『鉄道ジャーナル』『鉄道ダイヤ情報』の特集等でご活躍の土屋武之さんから下記のご指摘をいただきました。目の付け所、さすが!



 
のと鉄道の甲駅。かつてオユ10が保存され、鉄道郵便の車内での仕分けの実演などがなされていた駅だ。といっても見たことはない。コンクリートブロック建築の駅舎。

 
のと鉄道の廃線跡は多くの遺構があり、駅舎も多くそのまま残されている。いろいろな活用がなされてきたし、これからも、おそらく散発的に利用されていくのだろう。

 
駅舎内には構内配線図が掲げられている。有人駅時代のもの。

 
島式ホームと上屋、待合室が残る。レールは撤去されている。

 
 
待合室には往時の運賃表が掲げられている…と思いきや、「前波 普通旅客運賃表」とあり、甲駅までの運賃も書いてある。移設されたものだ。

 
ホーム上屋。

こういうところを見ると、「ここでテント張れるなあ」などと思ってしまう。水もないのに。思うだけ。


 
2016年8月31日の台風10号による被災で不通が続く根室本線の東鹿越~新得間。これは幾寅駅の西、二つ目の「幾寅西1号踏切」だ。一つ目は「幾寅原野9号踏切」。「西2号」はないようだ。



遮断桿が取り外されている。

 
頻繁にダンプが通る。東鹿越は石灰石の産地である。

 
踏切部分、レールの溝(といっていいのか)は目詰まりを起こしている。線路は雑草が生い茂っている。これは新得方。

 
これは東鹿越方。こちらのほうが雑草が少ない。

※この区間廃線ではないが、撮影時は既に5年間放置されており、JR北海道も廃止に意向を持っていて今後の希望が見えない状態なので、便宜上カテゴリを「廃線跡」とした。

(2021年7月撮影)






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