『東京人』2012年3月号に掲載されている、京成関屋駅付近の廃線跡。なんと、アスファルトに塗り込められたレールが残っている。それも、触れる場所に。『東京人』の丸田祥三さんの作品でそれを知り、行ってみた。
場所はここだ。 こんな感じで、京成本線が線路をオーバークロスしている。この線路は、北千住駅から南への延びていた貨物線の痕跡で、行く先は隅田川に面した東武鉄道の千住貨物駅だった。いま、貨物駅の跡地は産廃業者の敷地となっており、ご覧のように鉄製の門扉で閉ざされている。隙間から見ると、敷地内にも線路が見えた。 当時の地図を今昔マップ(1965-1968年)から転載する。 黄色く印をしたところが、このガード。その下に引き込み線が描かれている。かつてはどうやら堀割もあったようだが、この地図には描かれていない。 いろいろ撮ってみたけれど、まったく納得のいく写真にはならず。 成田空港に向かうスカイライナーで〆として、今度は電車の中から産廃処理場の中の線路を見ようと思い、電車に乗った。10分に1本しかない…。 (下り線より) レールが光ってる! …というよりも、手前に廃車体みたいなのがあるぞ…。 分割されている様子。明かり取り窓があるから、郵便車または郵便・荷物合造車だろう。シングルルーフ、ガーランドベンチレーターから、それほど古いもの(例えば木製とか)ではないはずだ。 帰宅後、検索したら、こちらのサイトに詳しく書いてあった。また、検索を重ねると、ワールド工芸が「スユ37」と断じているので、それで間違いなかろう。 1974年の航空写真。 (国土画像情報より) まだ墨堤通りを横切る線路(黄色くした部分)とともに、既にこのスユ37も写っている。 なお、例によって、このエントリ最上部の地図を拡大していくと、この廃車体も「建築物」であるかのように、フォルムが地図に落とし込まれている。 京成沿線はまったく不案内なので、こんな場所に廃線跡や廃車体がきちんと残っていることに驚きだった。訪れたときは日の向きがイマイチだったので、日を改めて行ってみたい。また、丸田さんを意識しすぎて17mmでしか撮っていないので、ここにアップするのもためらわれるような写真しか撮れていない。今度は時間も改め、さらに自分の好きな28mm単焦点で行ってみようかと思う。 (追記)現像しなおし、うるさかった「色」を捨象する方向で画像を作り直した。レンズの歪曲も修正した。少し画面が整理されたとは思う。なるほど、青系統の色調にしたり(色温度を下げる)アンバー系(色温度を上げる)で現像すると、「コントラストが高い道路やコンクリート」が落ち着いて見られるようになる。ちょっといろいろ作り直してみよう。 *** 2012年6月10日追記。 『鉄道ファン』1981年11月号に「東京の下町にある郵便車の倉庫」という記事があった。写真も掲載されている。そうだ、この記事は子ども心に深く印象に残っている。しかし、その存在を忘れていた。当時でも「スユ3720」までしか判別できていない。「ある商事会社の一隅に」とあるので、当時のここには商事会社があったのだろう。
縁あって、丸田祥三さんにお目に掛かる機会を得た。以前も書いたが、私が丸田氏の処女作『棄景』を知ったのは学生の頃、1993年だ。読売新聞の書評欄か、情報誌・DIME(17年ほど定期購読してたが、昨年、必要のない付録攻勢+価格上昇に嫌気がさし、やめた。いまさらマウスパッドなんかいらないよ)の書評欄かで見て、その2800円という定価におののきつつ、新宿の紀伊国屋か、それとも割引で買える大学の生協で注文したか、なんだ、きっかけは覚えてないじゃないか、でもとにかく入手した。後日、JTBから『鉄道廃線跡を歩く』が刊行されると、そこにも丸田氏の写真は掲載され、そこに記されたデータをもとに、いくつかの廃線跡に行ってみた。そんな私の片思い的な存在が、丸田さんであった。
お目に掛かってさまざまなお話をお伺いした。こちらからもたくさんお話をした。17年も前から「写真家」として名前を存じ上げていた方だったが、私が作り上げていた「丸田祥三像」はものごとの本質をまったく見ていなかったことに気づいた。まあ、そんな話はおいておく。 丸田さんから『棄景V』と『棄景origin』を拝受した。ものすごくほしかったのだが、それぞれ3800円+税、6500円+税と高額であるため、購入を躊躇していたものだ(すみません)。帰宅して、じっくりと鑑賞した。「見た」でも「拝見した」でもなく「鑑賞した」である。 右は1993年購入の『棄景』である。 感想などは言うもおろかだ。とにかく横長の大判なので、迫力が違う。『棄景』で見開きで掲載され、本のノド(中央部)で分断されていた写真が、一枚になって掲載されている。めくるのがもったいないほどの力で攻めてくる。 丸田さんの使用機材を見ると、広角が多い。実際に誌面を見ると、広角で切り取られたものが確かに多い。私がこういう場面に行くと、まず短くても50mm、普通は70-200mmを、できるだけ長い焦点距離にして使うだろう。望遠の圧縮感が好きなのと、広角でこうした場面を撮ることは非常に難しいからだ。でも、丸田さんの作品では、広角だからこその空の広がり、空間の広がり、広角ならではの強調表現が、これでもかと攻めてくる。 さて、カバーと帯である。本の帯は、あってもなくても、カバーが生きるようにデザインされている。この2冊ではこうだ。 見比べて、どのように感じるだろうか。帯があったほうが締まるだろうか。それとも、ないほうが、広がりを感じることができてベターだろうか。 私はともに帯なしのほうが好きだ。やはり、撮るときに自然にファインダーの中に据えられた構図が、もっとも美しいものなんだと思う。 この2冊をお持ちの方に、ぜひご覧いただきたいのが本体表紙である。カバーを取り外したものを、表1側・表4側そろえて掲載する。 『棄景V』は、本体表紙をブルーのメタリックとすることで、カバー写真のイメージを大幅に変えることに成功している。 『棄景origin』は、カバーの黒を踏襲したのか、本体表紙の色はメタリックブラウンとでもいおうか、そんな色である。 普通の方はカバーをはずたりしないだろうが、デザインも色も、デザイナー/装丁家がもっとも自由にできるのが、この本体表紙である。ここを見ると、デザイナー/装丁家が本に込めた思いを見ることができる。一方、カバーは、営業的なもくろみや、書店店頭で類書の間に割ってはいるような要素が必要な場合があるので、デザイナー/装丁家の意のままにならないこともあるのだ。 さらに、カバーを1枚で見ている。『棄景V』は、背と表4が続いている。 『棄景otigin』は、中でも使っている豊後森の機関庫をあるがままに撮ったもので、背は背で真っ黒になっている。 こうしてみると、バーコードの枠が邪魔だ。装丁家がこれを嫌うのがよくわかる。 丸田さんが廃的な写真に込められている思いをうかがった。……道を思う気持ちと同じじゃないか。……ということは??? すかさず『廃道本』をお渡しすると、廃道に興味を持ってくださった。「今度、連れてってください」ともおっしゃった。栗子か、大峠か(このブログのタイトルバックも大峠隧道である)。個人的には軽岡、長野、佐和山だ、もしこれらを丸田さんが撮影されたら、どれだけのものができてしまうのか。想像するだけでワクワクする。どこにお連れしようか、ひとしきり悩むことにする。
バドンさんのデザインされた「廃線」Tシャツをネタに、ツイッター上でいくつか「廃線」の英語表現についてレスのやりとりがあった。日本語の意味する「廃線」にもっとも近いニュアンスの英語表現はなにか。
辞書的に日本語化すれば同じ日本語になる英語でも、必ずニュアンスの差がある。必要があるから、いくつも単語があるのだ。無関心な部分には、単語は生まれない。牛を食う習慣のなかった日本では、牛の肉を部位によって呼び分ける単語が存在しないことの裏返しと思えばいい。 なお、こんなポストをしてしまうくせに、「廃止」に類する英語は目にする機会が多いわけではないので、自分の感覚がネイティブに近いと思うほどの自惚れはない。あくまで考察である。正しい/誤り、という観点ではないことにご留意いただきたい。 * * *
いままでwikipediaの英語版の鉄道会社の記事や、既に歴史上のものとなった鉄道の資料的なサイト(たいていは「○○鉄道 histrical society」というサイト名になっている)を、それなりの数読んできているが、そのなかで目にしてきて記憶していたのが、abandonedという表現だった。 これは、いくつかの使われ方があり、単に「鉄道会社が合併したから並行路線の片方を廃止した」的な場合もあれば、「放棄されて廃線跡が遊歩道になっている」というような場合にも使われてきた。動詞であるabandonは、高3か浪人の時に、必死こいて覚えた単語のひとつだということは記憶にある。 もともと、abandonには「放棄する」「遺棄する」という意味合いがある。つまり、放棄される前と放棄されたあとがつながっている表現である。だから、私はabandoned railがもっとも適するのではないかと思ったが、それ以外に「廃線」を表記する例を教えていただいた。それらの使い分けを、私なりに考えてみる。なお、line/railway/railroadは相互に入換が可能だと思う。 (1)discontinued line 製造中止になったもの、型落ちになったものを「ディスコンになった」ということから考えると、営業を取りやめた/もはや営業しない、という意味合いが強い。「(時間的に)続いてきたものが終わった」という表現であり、「終わってから」のことを表現しているわけではない。だから、朽ちた枕木とか錆びたレールとかいうニュアンスは非常に少ないと思う。 (2)dismantled railway/railroad(railwayとrailroadの使い分けはwikipediaをぜひご覧いただきたい) mantleは、いわゆる「マント」であり、「覆う」というイメージの単語。接頭辞dis-がついているので、「覆っていたものを引きはがす」、つまり「廃止した跡、レールを引きはがし、路盤だけが残っている」というような (3)dead track 英語のdeadは、日本語の「死」と一対一で対応するものではないので、いろいろな解釈ができてしまう。そして、trackは、これまた多義に解釈できる。1組の線路という物質を指すほか、線路を通行することそのものも指すので、「使われなくなった1組の線路」「列車が走らなくなった路線」どちらにも解釈できる。いずれにしろ、「線路の上を通るもの」が「なくなった」ということを表現する言い方なので、「残された線路/路線がどうなったか」というニュアンスは少ないと思う。 * * *
最後に。Yahoo! 辞書で「廃止」を和英検索すると、下記のようになる。
どれも、鉄道路線の廃止のニュアンスから程遠い。これらの単語を使った「廃線跡を歩きました」みたいな英作文は、ネイティブが見たら珍妙に見えて しまうだろう。 以上、あくまで私の解釈である。誤りがあるかもしれない。なにかお感じになったらご指摘いただければ幸いである。
小坂製錬小坂鉄道。
昨年(2008年)3月で鉄道輸送が休止された。 小坂の精錬所で複雑硫化鉱を製錬し、その副産物として精製される 濃硫酸を秋田港に向けて輸送していたものが、 たしか新炉を建設してリサイクル事業に特化したため、 硫酸輸送がなくなった・・・と記憶している。 定番撮影地だった一号隧道付近。 小坂駅を出たDD130形3重連が牽引する濃硫酸列車は 大きな唸りをあげ、黒煙を噴き上げながら左に180度方向を変え、 この杉木立の向こうから向かってきたものだった。 踏切は、こうまでしなくてはならないのだろうか。 一号隧道。 左のピラスター上部をアップしてみる。 木が生えている・・・。 いつも不思議に思うのだ。 隧道や橋梁の、わずかな隙間の土に種が根付き、 かなり大きな木となってしまっていることがある。 管理者は、それが小さなうちに枯らすことをしないのだろうか? 植物が伸びる力というのは、岩をも穿つことはよく知られている。 もしこの木が煉瓦の内側に根を張っていけば、 次第に煉瓦の構造物に悪い影響を与え、 ピラスターを破壊し、ということは地山からの圧力が坑門側に抜け、 坑門が倒壊してしまうことすらあるだろう。 かつての光景。 山一印のタキ29300。 ほかにもitochu、DOWAといったロゴが見られた。 昭和50年の航空写真。 http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c1b/cto-75-22_c1b_59.jpg http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/cto-75-22/c2b/cto-75-22_c2b_57.jpg |
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