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登山靴は無事に機能したが、
登山時はウールの靴下2枚履き(特に厚いものを上に)していたものを
1枚履きで行ったもんだからブカブカ。
でも、靴底が地面や岩をとらえる安心感は、
登山靴ならではだね。

2号隧道(仮称)内に落ちてた犬釘。
ホントは別のを拾ったのだけれど、
隧道キノコの写真を撮ったときに置き忘れてきた。
取りに洞内に戻ったら、別のを見つけたからこれでいいや。

inukugi.jpg














あんな隧道山中に眠っているとは。
いやとにかく感動でした。

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子供のころ、すなわち昭和50年代半ばか末ころまで、
新潟市の万代橋の下に鉄道の線路があったと記憶している。
近寄ろうとしても無理だった記憶もあるので、あるいは金網等で囲われていたようにも記憶している。

国土地理院の国土画像情報(1975)を見てみよう。
画面中央右側に大きな面積を占める沼垂貨物駅から
右下、万代橋方向に線路が延びている。
機能的にはここは折り返し用の線路であり、
ここでスイッチバックして河口側に向かっていた。
これの末端が見えていたのであろう。

河口側には旧万代貨物駅があったが、新潟地震で被害を受けて廃止となったと記憶している。
駅ではなくなったが、引き込み線として機能していた、ということだろう。


ここで、国土変遷アーカイブ(200dpiでご覧ください)で1952年の空中写真を見てみよう。
(注)国土変遷アーカイブは正方位ではない。右に数度傾いている。

画面下の中ほど、最下段にあるのが工事中の現・新潟駅、
その上(北)にあるのが移転前の旧新潟駅である。
両者の右(西)側の結節点から上(北)すなわち信濃川方面に向かって
一本の線路が延びており、それは信濃川に出会うと右(河口)に折れている。
その先には万代貨物駅があった。
これが、前述の線路とつながっていたはずである。

八千代橋はまだなく、画面右が万代橋、左が木造時代の昭和大橋である。


ここまで見てきて、wikipediaのこのファイルが誤っていることに気がついた。
今度、関東地方測量部で旧版地形図を見て確認してこようと思う。


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