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北海道の日本海側、羽幌沖に浮かぶ焼尻島。島内を一周する道路があり、レンタサイクルで1時間もあれば一回りできる。港(下記写真右下)から一周道路に上がり、反時計回りに回り始めたところで早くもひっかかった。

(地理院地図空中写真「現在」を加工)

 
 
「工兵街道記念碑」と、その前に旧道。直上の写真、メインで写っているのがその旧道、右に路肩表示標だけ見えているのが一周道路である。見るからに旧道。1974年の空中写真を見てみる。

 
(地理院地図空中写真「1974-1978」)

当時はこの「旧道」がメインで、いまの一周道路は存在していない。

さてこの道。碑の裏を読んでみると…

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(グレーは読み取りづらいので誤っているかもしれないもの)
(赤は誤字、ママ)

焼尻島東浜と西浦を結ぶ道路を「工兵街道」と命名
 このたび島民の熱意により記念碑を建立して/
末永く関係者のご苦労を称えることになりました/
顧みるとき昭和九年焼尻島に派兵された旭川工兵第七大隊第三中隊長
 柴崎●三将校十三名隊員百一三名/
の一箇小隊の手により東浜と西浦を結ぶ道路造成に着手
 機械力ののぼしい時代に隊員が一致協力した●石の●●を/
爆砕するなど●難な作業を遂行 延長百メートル 員五メートルの
 道路の完工をみたのであり/
又鷹の巣、至る難所とされていた道路も施工しており
 現在の道々焼尻島線の基盤となったものであります/
さらに現在の焼尻港東防波堤突堤の浅を水中爆破により破砕
 船舶の安全航行をはかり又船だまり港内も浅瀬があり当
時深さ四十センチメートルのところを一・二メートルの深さに掘り下げて
 小型船の出入を可能にするなどのちの焼尻港の拡張につながったのであります
以上の功績は当時の島内の交通の利便を著しく増大し
 かつまた港の利用を容易にし漁業生産の向上と島民の福祉増進に寄与/
いたしましたことは誠に多大であります/
ここに記念碑建立にあたって工兵隊のみなさんに心から敬意を表するものであります

昭和五十四年八月七日建立
羽幌町長藤沢一雄

--

…「旧道」のようなことは一切書いていなかった。

 




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大阪の美章園から北に向かおうとしたところ、道路拡幅工事中のところがあった。府道26号大阪狭山線、大阪市のサイトによれば「都市計画道路 豊里矢田線(北田辺)」だ。以前からある道路の両側をセットバックしたようで、以前の道路は中央分離帯のようになっていた。

上町筋と今里筋の中間を南北に走るこの道路、完成したら「○○筋」という呼称が誕生するのだろうか。
国道18号と新潟県道63号線が交差する乙吉交差点付近にある廃道。微妙な位置で県道85号が分岐しており、この廃道は県道85号の旧道となる。

(地理院地図+カシミール3D)
この地図で言えば、青破線に囲まれた左側に相当する。沿道には廃業したパチンコ屋しかなく、この道路が封鎖されてもだれも困らない。

2010年のツーリングマップル関東甲信越では、この部分は赤破線のルートが描かれていて、さらには「旧県道63号線」とした方も県道扱いになっている。それが、現地に行った2014年5月には「旧県道63号線」部分はすでに県道ではなくなっており、地理院地図にもその変化が見て取れる(県道の扱いになっていない…たぶん。地理院地図の凡例はどこにあるのだろう…)。

このような、かつては幹線、あるいは亜幹線的な道路が使われなくなって、でもすぐ横をばんばんクルマが走っている状態の場所が大好きだ。




コスモ石油だけの一角に出会う直前、旧道が目に入った。でも、すぐコスモ石油のあまりのすてきなロケーションに、ほかのクルマが入ってくる前に写真を撮らせてもらいたかったのでそちらを先にした。そして、引き返した。

国道350号の旧道である。いまも地理院地図に掲載されている。2車線道路のそれぞれ半分は土が積もり、草が侵蝕している。そのため、あたかも自転車専用道のように見える。

写真では、海は右にちょっとだけしか見えていないが、実際には視界は海野方がはるかに大きい。海に向かって落ちていく斜面に切り開かれた道なのだから。

少し上まで行って振り返って。一通り走ったが、このあたりがいちばん、旧道らしさを感じた。

4月末の、まるで夏のような正午過ぎだった。

小木に近い「野崎鼻」にある野崎トンネルの海側には旧道の廃隧道がある。写真のように塞がれているのだが、その右に道形がある。ここからだとよくわからないが、正面に立つと…

片洞門! しかも、いまにも表面がごそっと落ちてきそうなひび割れだらけ。恐ろしい。道幅は1車線、果たして「道路」だったのかどうかはわからないが、わざわざ片洞門にしているくらいだから車両交通はあったのだろうと思う。

そこを抜けると、石垣の内側が全部なくなったような光景に出くわした。2m以上の深さがある。写真右には石垣があるので、ここは人為的に手が入っている場所だ。路床がすべて洗い流されてしまったのか? ここは海面から数m上だが、海面近くには釣り人がいた。

ここは切り通しだったのだろうか。その向こうには路面のようなものが。ここで引き返す。

片洞門を逆から。新道の護岸の素晴らしさよ。2段階で波を跳ね返すようになっている。左には高さ10mを超えるワッフル壁面。






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