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20121212_002.JPG丸田祥三さんと、某所のダッジを撮影に行く途中で見つけた橋の旧道。この橋を余慶橋という。ご覧の通りの2車線のプレートガーダーで、これを撮っている側が新道、新しい橋がかかっている。丸田さんが撮影されたこの旧橋は『廃道 捨てられし道』に作品として掲載されている。


旧橋は、ご覧のように突き当たりに土砂が積まれ、通り抜けができなくなっている。

20121212_001.JPGこれが新橋。この右に旧橋がある。それにしても、なんという位置に銘板があるのか。

20121212_004.JPGさて、旧橋。なんという場所に標識を建てるのだ。旧橋の親柱、それも橋名の銘板の前。親柱も「いっそ自分を撤去してくれ」と思っているにちがいない。

20121212_003.JPG反対側。昭和36年3月竣功、の銘板。3月は、このあたりはまだ雪に埋もれている時期ではなかろうか。

20121212_006.jpgどんつき。なんという場所に電柱が建っているのか、と思うかもしれないが、本来の車道はおそらくその手前を右に急角度で曲がっている。

20121212_000.JPGさて、反対側。こちら側はこのように土砂が新道ギリギリまで来ている。

20121212_005.JPGここから橋台までの間に土砂を捨てたようだ。


廃道を土砂捨て場にする例はときどき見かけるが、たいていは隧道を使っている。プレートガーダーなど、撤去して屑鉄にして売ればかなりの金額になるだろうに。なぜ放置してあるのだろうか。撤去費用も含めると元が取れない、というのも容易に想像はつくけれど。


 
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20121211_003.JPGある取材のために、丸田祥三さんと国道411号を走っているときに見つけた道路改良の跡。まだ切り替えられて間もなさそうだ。都心の青梅街道とは似ても似つかぬが、ここはそこから続いている青梅街道、もちろん青梅はとうに通り過ぎている。丹波山村の役場にほど近い場所だ。ここは改良区間の東の端。

20121211_001.JPG2010年秋、11月下旬。肌寒くもあり、関東らしい気候でもあり。

20121211_000.JPG西の端はこのようにかなりの角度で新道に取りついている。もう少し段差があったら取りつきを諦めているだろう。

20121211_002.JPG丹波山温泉大橋。これが、新道に架けられた橋の名前だ。


20121211_005.jpg平成21年9月竣功。撮影時点で考えると約1年前だ。左に移っているのが前述の旧道。山側も谷側も法面でがっちりと固められている。そして、この橋よりも上を走っている。

すこし西に行くと、その続きの高さにまた改良跡があった。

20121211_004.JPGこちらは道が欠き取られ、新道に大きく侵蝕されている。こういうのは、なんだかちょっと悲しい。前述のように、まるまる残っていてくれたらいいのに。


 
閉鎖給油所交差点 三井石油でとりあげたルートは、@roadjapan ことのがなさんによれば、旧道だったそうだ。そこで、カシミール3D+電子国土で古い空中写真を閲覧した。なるほど。

●現在(右上の赤い丸が、三井石油の場所)
35c25ad1.jpeg.

●1974~1978年頃
20121127-m2.jpgなるほど、いまのバイパス的な道がない。いや、それどころか川の形が全然違う。また、右上を\型に筑波鉄道の線路が見える。

GIFアニメにしてみた。

20121127-mm99.gif河川改修で直線化され、三日月湖との間に挟まれた分度器みたいな形の土地は、どう利用しようもないのか。

旧道の延長たる筑波神社への道に「40高中」がたくさんあるのは先のエントリに書いたとおりだが、のがなさんによれば、それを南西に延長した、いまは橋が消えて分断された旧道にも「40高中」があるという。

消えた橋はどこへ行ったのだろう?


 
 
20121108_000.JPG軽岡隧道のある谷から南に一山越えたところを通っているのが郡上街道、国道257号。その横に眠っている旧橋。地形図にもまだ道路として記載されている。

20121108_001.JPG路面は徐々に落ち葉が積もり、その上に草が這い、伸び…。

20121108_002.JPG新道は曲線鈑桁。旧道はガードレールもないが、これは撤去されたのか。

20121108_004.JPG(カシミール3D+解説本地図を使用)
このように、新道は二つの橋で川を二度跨いでいる。地形に忠実な旧道、力業の新道。どちらの道も好きだ。


20121031_003.JPG会津田島から旧伊南村・山口に抜ける国道289号の峠付近は駒止バイパスという快適な道路になっている。その旧道は駒止湿原の南を通るが、さらにひと世代前の旧旧道が、現道の北側にある。地形図で破線になっているもので、『日本の廃道』2012年8月号(続編はこれからの号で?)でレポートされているものだ。

その途中に、このオート三輪はある。『廃道をゆく』でも紹介されているので、あるいは行った方もいるかもしれない。丸田祥三さんたちと写真集『廃道 捨てられし道』の取材として日帰りでここに出かけた。(「オート三輪」は三輪の「貨物」自動車を指すものではないが、ここでは代名詞的に使用する)

20121031_000.JPG谷側に置いたままになっている。道幅は広くはないが、もしここにクルマが入って来れてもちゃんと避けて通れるくらいの幅はある。ちょっと忘れてしまったが、ジムニー乗りならなんとかここまで来れるかもしれない。

20121031_002.JPGダイハツのCMまたはCOという型のようだ。屋根は雪でつぶれてはいるが、クルマの形を保っている。この微妙な水色は、いまの自動車にはない色だ。そういえば、私が子どもの頃は、まだこういう水色のクルマが存在していた気がする。

20121031_004.jpg荷台はほぼなくなっているので全長がよくわからないが、ひしゃげたフレームを見ると意外に長い。

20121031_001.JPG興味深いのは、フレームこそ鋼製だが、荷台は木製だったこと。フレームと結合された木の梁が少しだけ残っている。



この旧道で、きのこ採りの地元の方々に会った。少し話を聞くと、もちろんこのクルマのことは知っていた。「おれたちが子どもの頃からある。そうすると、もう40年も前からあることになるな」。


このクルマについては、こちらのサイトが詳しい。

CM8
CO13

サイトの写真の撮影時点で14~15年前のクルマである。現代に置き換えれば1997年式のクルマ、といったところだろうか。そう考えると、まだまだ1980年頃には比較的目にする機会があったのかもしれない。私が見た、唯一の現役(?)は、小学4~5年製の頃、地元・新潟でバスを待っていたら、目の前を走っていったものだ。たしかに6ナンバーだったのは憶えている。

 


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