旧橋は、ご覧のように突き当たりに土砂が積まれ、通り抜けができなくなっている。 廃道を土砂捨て場にする例はときどき見かけるが、たいていは隧道を使っている。プレートガーダーなど、撤去して屑鉄にして売ればかなりの金額になるだろうに。なぜ放置してあるのだろうか。撤去費用も含めると元が取れない、というのも容易に想像はつくけれど。 PR すこし西に行くと、その続きの高さにまた改良跡があった。
閉鎖給油所交差点 三井石油でとりあげたルートは、@roadjapan ことのがなさんによれば、旧道だったそうだ。そこで、カシミール3D+電子国土で古い空中写真を閲覧した。なるほど。
●現在(右上の赤い丸が、三井石油の場所) ●1974~1978年頃 GIFアニメにしてみた。 旧道の延長たる筑波神社への道に「40高中」がたくさんあるのは先のエントリに書いたとおりだが、のがなさんによれば、それを南西に延長した、いまは橋が消えて分断された旧道にも「40高中」があるという。 消えた橋はどこへ行ったのだろう? その途中に、このオート三輪はある。『廃道をゆく』でも紹介されているので、あるいは行った方もいるかもしれない。丸田祥三さんたちと写真集『廃道 捨てられし道』の取材として日帰りでここに出かけた。(「オート三輪」は三輪の「貨物」自動車を指すものではないが、ここでは代名詞的に使用する) この旧道で、きのこ採りの地元の方々に会った。少し話を聞くと、もちろんこのクルマのことは知っていた。「おれたちが子どもの頃からある。そうすると、もう40年も前からあることになるな」。 このクルマについては、こちらのサイトが詳しい。 ・CM8 ・CO13 サイトの写真の撮影時点で14~15年前のクルマである。現代に置き換えれば1997年式のクルマ、といったところだろうか。そう考えると、まだまだ1980年頃には比較的目にする機会があったのかもしれない。私が見た、唯一の現役(?)は、小学4~5年製の頃、地元・新潟でバスを待っていたら、目の前を走っていったものだ。たしかに6ナンバーだったのは憶えている。 |
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