丸田祥三さんの取材にくっついて、奥多摩某所に行ってきた。かねてから行きたかった場所があり、風邪やら天気やら地面の状態やらで何度も延期になっていた。先日、ようやく行けたのだが、1時間半ほど歩いたところで道の状態が悪くて撤退。今日改めて別ルートで行ったところ、徒歩1時間ほどで目的地についた。その前後にもいくつか撮影したので、時系列で書く。
青梅方面から国道411号を西に向かう。国道411号沿いには「黒川通り」という廃道がある。ヨッキれん氏が『日本の廃道』に詳細をレポートしているし、『廃道本』でも掲載、また現地を訪ねるツアーも開催された。上記地図の地点に至るまでにもいくつか旧道はちらほらしていたが、「道の駅たばやま」の前、JOMOの東側に「できたての廃道」があった。 新道を歩いている黒い犬は、どうやら飼い犬のようで首輪をしていた。この犬が、我々のほうに寄ってきて、ハァハァクンクンする。大型犬なので、ちょっとこわいよ…。犬を放し飼いにしないでよ…(うちには犬がいるし、リード付きの犬ならかわいがったりもするので、犬を嫌いだというわけではない)。 この旧道、上記写真のとおり、山肌に沿ったカーブを、ひとつの大きな橋で短絡したもの。新道のほうが法面が低く、旧道と高さの差が大きい。隣接するJOMOの出入り口も、かなり無理な勾配になっている。そして、旧道は、新道に欠き取られた形になっている。欠き取られた部分は舗装がはがされて砂利になっている。砂利は非常に強く突き固められている。 写真の電柱の右で石垣のパターンが異なっている。向こう側は切石の谷積み…というには目地が通り過ぎている積み方で、手前(電柱の左)は石を積んで目地を固めた練り積み。 場面を変えて、余慶橋。うわ、「よけい」で一発変換したよ。意味があるらしい(Yahoo!辞書)。知らなかったよ。ここも、旧道を新道が橋で短絡していた。旧橋で撮影。 以降も気になる旧道がたくさんあったが、とりあえず通過。メインディッシュに急ぐ。 国道を反れ、とある集落に入る。無人らしく、そこそこ新しく見える家にも人影はない。生活感のある家はあるため、特定の期日だけここに通ってくる人がいるのかもしれない。そんな集落を通り過ぎ、砂利道をたどってクルマの終点到着。12時15分。準備の後出発。 最初は車道の幅があったが、沢を遡る形で歩いて行くと徐々に狭くなる。それでも沢側には低い石垣があったりして、車道を感じさせる。しかし、やがてGPSは地形図の破線とは別の地点を指し出す。地形図が誤っているのか、現在の通行路が地形図と異なるだけなのか。 よく見えないと思いますが、すみません、諸事情により見せてません、御容赦ください。 とあるスジには有名な場所で、地名で検索すると画像もたくさんでてくるのだが、あまりにもすてきなので、丸田さんとヨッキれんさんの共著の写真集(タイトル未定)をご覧いただきたい。なかなか感動的な出会いだった。 これを撮影していたときのGPSログ。 この地点で1時間以上撮影した。 行きが1時間なら帰りはその半分かと思うと気も楽で、ふたりで雑談しながら下る。たまに撮影。 この山に入って3時間半。日も蔭ってきたので、もう一つのメインに向かったのだが、場所を特定できず。そのかわり、またたくさんの「新しい廃道」を見た。 国道411号は、近年の改良がすごい気がした。バイクで走っても、走ることばかりに気を取られるためにちゃんと見ていなかったが、再訪したいと思う。似たような換線ばっかりかもしれないけれど、意外な発見があるかもしれない。 PR
週末を利用して、引き続き、丸田祥三さんの廃道撮影にくっついて来ている。道案内役兼運転手。今回は、先日回りきれなかった栃木~福島から、山形に入り、明日も山形だ。決め撃ちで撮影するもののほか、車中から旧道や廃道を見つけるとクルマを停めて撮影したものもかなりの数にのぼる。時間の制限もあるため、すべてを撮影できないのが残念だ。なにしろ、17時すぎにはほぼ真っ暗になるのだ。
この橋は、実は珍しい形式で、走行中、思わず声を上げてしまった。ランガートラスという形式で、タイドアーチの一種。アーチリブ(いわゆるアーチの部分)の両端を結ぶタイがトラス形式になっている。しかも、トラス部分は箱状に組まれており、路床はその上にある。これを中路アーチか、と書いてあるサイトもあるが、路床はアーチ下端と同じ高さであるため、下路だと考える。 ばかでかい橋で、スパンは110mを超える。 丸田さん撮影中。なぜか逆光の場面ばかり。後ろ姿が多いのは、私が前から丸田さんを撮ってしまったら、丸田さんが撮影できないからだ。当たり前か。とくに丸田さんは超広角を多用するので、真横にいることすら不可な場合も多い(はずだ)。 米沢側は採石場内を通過しなければならないが、事務所に挨拶すればおk。「クマが出るからね」と言われ、用心しながら歩き始めた。採石場から少しクルマであがると簡単なゲートがある。危険なので徒歩で行け、と保存会の張り紙がしてある。ここから栗子隧道まで約4km。秋らしい、真っ青な青空のもと、紅葉真っ盛りの栗子山を左手に見ながら歩いた。丸田さんも、心身ともにリフレッシュされたようだ。栗子隧道の前では風が冷たく、吐く息がときたま白くなった。 なお、作務衣で撮影されている丸田さん。上の画像ではわからないが、足下はモンベルの登山靴で固めている。また、インナーは発汗製の高いもの、アウターは別に持参している。私はいつもの登山スタイル。違うのは、背負うものがカメラバッグで、三脚を手に持っていることだ。片道1時間強、まあ、ガチガチに固めるまでもない。 今晩は米沢泊。明日も米沢周辺を取材する。 開場は17時30分だが、16時に会場入り。販売品などをセッティングしていると、ヨッキれん・ミリンダ細田・トリ各氏がご到着。すぐに準備を開始。し、同時に「特別メニュー」の名称も検討。 オレンジ色のカクテル、「三島の黄昏」は比較的スムーズに決まったが、対応する緑をどうするか。「○○隧道の苔」「対応しないなー」「三島に対応して藤村紫朗か」「マイナーすぐる」…。細田氏「グリーン(自粛)」ヨッキ氏「却下!」…。悩んだ末、「三島の青春」となった。副題に「和歌夫人」。これくらいのわけのわからなさがちょうどいい。 会場限定メニューはこんなの。「三島の黄昏」は撮り損ねた。。。 Tシャツは完売、タオルは50本近く売れた。すごい。買い逃した方は、上記サイトをチェック。通販、あるいはジュンク堂新宿店などで販売されるかもしれない。 モチーフはこちら。有名な看板だ。バドンさんは数々の土木をモチーフにしたTシャツや手ぬぐいを作っておられ、私もいくつか持っている。 私は『廃道本』のほかに、現在、丸田祥三さん(@malta_shozo、ブログはこちら)と制作中の写真集の告知をした。ご来場いただいた方々にはチラシを配布させていただいた。丸田さんについては、このブログの他のエントリをご覧ください。 リハは着々と進行。出演する3名の着座位置は、私から提案してカルカルの横山店長とヨッキさんで、トリさんと細田さんを囲む形になった。そのほうが、両側に進行役がいたほうが、話を振りやすいと思ったからだ。リハ中、トリさんの廃道好きの説明をいろいろ展開しようとしていたが、結局お蔵入りしたようだ。 今回、チケットは早々にソールドアウト。そのため、入場は整理番号順になる。開場時刻の17時30分にはかなりの方がお見えになっていた。初めての方もけっこういらっしゃったようで、全席自由にとまどっていた方もおられた。 今回は「女性は500円引き」とした。その試みにはいろいろなもくろみがあったのだが、男性に連れてこられた女性もいらした一方、お一人でこられた女性も。 約1時間後の18時30分、スタート! 以下、ヨッキさん・トリさんの顔が隠れてしまっているカットが多いが、私が座っていた席の都合なので御容赦いただきたい。 乾杯! まずは自己紹介。この手のイベントは、出演者を知っているかどうかで楽しみ方も随分違うので、かなり重要。ヨッキさんの自己紹介動画(7分!)が音楽と非常にマッチしていて爆笑。そして、ついに廃道が海外で紹介されたという報告。 続いて「おぶろぐ」で募集した「私の道路萌えポイント」。全プレゼンを掲載するが、ネタ数は一部カットさせていただく。 (1)ナトリウムランプ萌え(すどきち氏) すどきち氏は、ナトリウムランプが落ちてきて割れたりしているのに遭遇するとハァハァするらしい。 (2)道の真ん中の木(学生服のヤマダ氏) (3)50高(nogana氏) 廃止された道路標示だ。高速車/中速車/低速車という区別あった時代のもの。こんなの。 簡単に補足する。 現在、速度制限のない道路での自動車の最高速度は60km/h(原付等30km/h)。1992年10月末までは、大型貨物・大型特殊・軽二輪などは50km/hとされており、それを「中速車」と呼んでいた。「50高」とは、「高速車」つまり乗用車、自動二輪なども50km制限ですよ、という表示である。「40高中」となれば、高速車も中速車も40km/h制限であるということ。その表示がいまだに残っているところや、表示する必要がないのに新規に描かれたりしている画像が展開された。 (4)都市部の未成道の風景(kubodi氏) 横山さん(ヨッキさんだったかも)が「都市計画道路が好きな人!」と会場に問うと「ハイ!」「ハイ!」「ハイ!」と、非常に多くの賛同者が現れた萌えポイント。数十年という単位で進行する都市計画道路。とりあえず用地買収だけしてあったり、一部で工事が途切れていたりする部分が好きという。みな共感。 上の画像は横浜市の道路の終端部に放置されていたリヤカー。荷台を竹が貫通しており、竹を切らないとリヤカーは動かせない。リヤカーがなくなるときは、ここが道路になるとき。「廃」と「未成」が同居しているような気がした。 ここで休憩。 再開。ここから第二部、トリ氏と細田氏は「探索時の正装」に着替えているのだが、コーナーが続いているためその説明がなかったので気がつかなかった人もいたかも…。細田氏は「いつものツナギ」で電車に乗っていらしている。 その細田氏のツナギにYUKI TORIIのタグがついていたのをある女性が発見。「でも学生のときに作業服屋で買ったんですよ」と細田氏。奥方がシャレで縫い付けた? でも廃道探索を嫌悪されてるようだしなあ…。YUKi TORII、私は男なのでよくわからず、検索したら「パリコレに毎年出てる」とか書いてあったようなブランドらしい。 (5)橋桁の床版(うさ★ネコサンド氏) (6)旧型道路標識(マフラー巻き氏) 大正時代に、日本で始めて制定された標識。運輸省の前身、内務省の制定によるものだ。その事実が、道路大鑑(だったかな)に基づいて語られると、会場内はどよめいた。 なおこの画像、私はマフラー巻きさんのサイトかどこかで見た記憶はあったのだが、どこだったか思い出せない。 追記:いしぐろさんのサイトでした。元情報はマフラー巻きさん。 (7)農業用水路橋(ミリンダ細田氏) 横山さん「どこに魅力を感じますか?」 細田さん「え? 魅力ですか? どこに魅力って…どこでしょうね???」(会場爆笑) 細田さん「最初は嫌いだったんですよ。でも、たとえば中学1、2年で嫌いだった女子を、3年になったら突然好きになったりするじゃないですか。それですよ」 どうやら最初は森林鉄道の軌道跡と勘違いして巡っていたらしい。やがてそれが誤りだと気づいたのだが、そのときには既に毒されていたということらしい。嫌いだと思っていたものを意識し始めるとそれが好きになる。深い。 いくつかの農業用水路橋の例が掲示され、解説されていく。ボーストリングトラスのものもあった。これについては「古い形式」と流されてしまったので、補足したい。写真を撮り損ねたので他の橋の写真で説明しよう。題材は福島県の松齢橋だ。 ボーストリングとは、側面から見た形状を、ボウ(弓)とストリング(弦)に見立てての名称だ。この形式は、開口面積を確保するために橋門構(画像に赤い点線で示したような部材だとお考えいただいて大きくは違わない)を設置できないため、この部分の強度が低くなってしまうという欠点がある。そのため、明治以降、九州や福島県で局地的に使用された以外はほとんど採用例はないのだが、水路橋や水管橋のように、開口部が狭くてもいい場合には、ボーストリングトラスもそれほど不利でもないのかもしれない。このへんはあくまで素人考えなので、専門家がいらっしゃったらご指摘いただきたい。なお、新潟県にこの橋のさらに特殊な使い方をした廃道がある(国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷))。 そして、大物がきました。 同時に「六郷川にクイーンポストトラスが…」という解説もあったが、おそらくほとんどの方は意味がわからなかったに違いない。まあ、橋の構造を解説するイベントじゃないしな。ここで補足したい。 このキングポストトラスは、もっとも原始的なトラス橋だ。見ての通り、ひとつの三角形でできているので、短い橋でしか使いようがない。簡単に言うと、/\部分を横に2分する|が__部分を保持する構造だ。/\には圧縮力が、__には引張力がかかる。このプレゼン時にあった「日本で鉄道が開業したときには同類のクイーンポストトラスが…」という説明については、画像をご覧いただいたほうが早い。こちらのサイトが鮮明だ。トラスが/Π\型になる。 さらに補足すると、1972年に新橋から横浜まで鉄道が開通したとき、橋はすべて木製だった。多摩川を渡る橋ですらそうだったのである。その橋が、クイーンポストトラスだったのは上記リンク先のとおり、事実。『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)の49ページに図面がある。 ちなみにキングポストトラス、宮崎県の西米良村には、かりこぼうず大橋というスパン50mのキングポストトラスが2003年に架けられている。こちらに図面がある。こちらも参照。また兵庫県の六甲山にも、構造的には違うのかもしれないのだが、似たものがある。こちら。ハァハァ。 第三部。 実はこの時点で終了予定の21時だった、メインディッシュたる後述レポを外すわけにはいかない。急ぎ足で、でもそれゆえに高いテンションを保ったままスタート。栗生峠にまつわる話。画像では「数坂峠」になっているものもあるけれど、どちらも関わりがある話だ。 終了後、サイン会。 21時50分ころから二次会。本当は千葉のトークショーでやるはずだったレポをここで紹介した。 そして細田さん持参の「イソビタン」争奪じゃんけん大会を以て幕引きと鳴った。 ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。もっといろいろな展開もあるかもしれません。そうなることを願いつつ、次回に期待しましょう!
写真を撮るのは、早朝がいちばん楽しい。太陽が昇りきってしまうともう終了、でもいい。どうせ午後は雲が出てくるし。とはいえ廃道取材は移動も時間的制約もあるから、なかなかそんなふうにはいかない。「あそこに光があるけれど、1時間早かったらここに光が当たってたはずなのに!」という場面も少なくない。
そんななかで、美しい自然光が引き出す、廃道の表情をいくつかアップする。画像はサムネイルを拡大しているのでボケボケだが、画像をクリックすると別ウインドウでもっと大きな画像を閲覧できるのでぜひ。 ここではやや右上からの光が路面、そして左側の壁面を照らしていた。 |
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