週末を利用して、引き続き、丸田祥三さんの廃道撮影にくっついて来ている。道案内役兼運転手。今回は、先日回りきれなかった栃木~福島から、山形に入り、明日も山形だ。決め撃ちで撮影するもののほか、車中から旧道や廃道を見つけるとクルマを停めて撮影したものもかなりの数にのぼる。時間の制限もあるため、すべてを撮影できないのが残念だ。なにしろ、17時すぎにはほぼ真っ暗になるのだ。
大峠道路で見つけた旧道。もしかしたら、工事用道路かもしれないが、舗装された上に藪が繁茂していた。路肩にはガードロープの支柱。そして、入り口はガードレールが塞いでいる。 栃木県の竹ノ上橋。吊橋は、廃止になるとケーブルだけを撤去し、主塔は存置されることが多い。ここは、ケーブルと、腐った床が残っている。もちろん、渡ることなど不可能だ。どんな橋かは、『廃道本』巻末グラビア参照。 これも吊橋の主塔。この吊橋は、なぜここに架かっているのかがわからない。しかも小さい。人道橋かもしれない。 五十里湖にかかる海尻橋で見つけた、公式の「旧道」。 この橋は、実は珍しい形式で、走行中、思わず声を上げてしまった。ランガートラスという形式で、タイドアーチの一種。アーチリブ(いわゆるアーチの部分)の両端を結ぶタイがトラス形式になっている。しかも、トラス部分は箱状に組まれており、路床はその上にある。これを中路アーチか、と書いてあるサイトもあるが、路床はアーチ下端と同じ高さであるため、下路だと考える。 ばかでかい橋で、スパンは110mを超える。 丸田さん撮影中。なぜか逆光の場面ばかり。後ろ姿が多いのは、私が前から丸田さんを撮ってしまったら、丸田さんが撮影できないからだ。当たり前か。とくに丸田さんは超広角を多用するので、真横にいることすら不可な場合も多い(はずだ)。 2枚とも、福島・山形県境にある栗子隧道(国道13号旧道)の山形側ルート。栗子隧道は落盤で閉塞しているので、福島側から、または米沢側からのピストンとなる。個人的には福島側は行ったことがあるので、今回は隧道坑門がふたつ並んでいる山形側に行った。丸田さんのすぐ左に、明治時代の坑口。画面左に明確に見えるのが昭和に改修で生まれた坑口だ。 米沢側は採石場内を通過しなければならないが、事務所に挨拶すればおk。「クマが出るからね」と言われ、用心しながら歩き始めた。採石場から少しクルマであがると簡単なゲートがある。危険なので徒歩で行け、と保存会の張り紙がしてある。ここから栗子隧道まで約4km。秋らしい、真っ青な青空のもと、紅葉真っ盛りの栗子山を左手に見ながら歩いた。丸田さんも、心身ともにリフレッシュされたようだ。栗子隧道の前では風が冷たく、吐く息がときたま白くなった。 なお、作務衣で撮影されている丸田さん。上の画像ではわからないが、足下はモンベルの登山靴で固めている。また、インナーは発汗製の高いもの、アウターは別に持参している。私はいつもの登山スタイル。違うのは、背負うものがカメラバッグで、三脚を手に持っていることだ。片道1時間強、まあ、ガチガチに固めるまでもない。 今晩は米沢泊。明日も米沢周辺を取材する。 PR |
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