米坂線の玉川橋梁と杉橋梁に残る銘板について記す。
玉川橋梁はここ。 開通したのは1936年8月31日。この小国~越後金丸間の開通を以て、米坂線は全通した。 この部分にかかる橋は、4連のプレートガーダー。 これらのうち、第2~第4連の銘板が見えた。まず、第2連。 一番長い桁は、支間51.7mでトピー工業製だった。 次いで第3連。塗装標記から、支間19.2m。 第4連。塗装標記から、支間9.8m。 土木学会誌22巻9月号(1936年)の時報に「全通近き今坂線」(今坂線=今の米坂線)という記事がある。その中に、「第2荒川橋梁 101.3m」とある。 トピー工業製の第2連だけが、KS-16であり、また桁製作が1967年となっている。これは、1967年8月28日から翌日にかけての「羽越水害」で、この桁だけが傷んで交換せざるを得なくなったということだろう。羽越水害については小国町のサイトに詳しい。 なお、第1連の銘板や塗装標記は確認していないが、上記「101.3m」から類推するに、第1連の支間は19.2m(第3連と同じ)ではないかと思う。 次に、杉橋梁。この区間(手ノ子~羽前沼沢)の開通は、1933(昭和8)年11月10日。場所はここ。 こんな感じで銘板がある。 鉄道省
活荷重KS15*(で出519) 株式会社●● 松製作●● 昭和八年***1379 ------- ** L.八幡製鉄所 L.日本鋼管株式会社 ●:●●●●●● ●:●●●●●● 鉄道用橋梁は、一定の範囲でテンプレート的に設計済みのものを各地に据え付けていく。ここ米坂線でもそれは例外ではなかった。玉川橋梁は活荷重KS12、杉橋梁はKS15。開通時期が異なるため、杉橋梁が架設された時期(米坂東線建設時)はKS15だったのが、全通区間(伊佐領~越後金丸間)はKS12で敷設されたのか…などとも考えてみたが、その差は3年しかない。そのため、杉橋梁がKS15である理由は謎である。 一方、玉川橋梁の第2連の活荷重がKS16であることは、単に、桁が1967年に作られたからに過ぎない。当時はKS16とKS18でしか桁を作らなかったはずだ。 なお、こうした活荷重は、「クーパー荷重の解決」に書いたとおり、1D+4軸の機関車が重連で走ることを想定している。そのため、桁そのものが負担できる荷重としては、総重量から考えると、軸重が多少上回る機関車でも入線は可能だ。実際、そうした経験値で特例があった例はいくつか聞いている。 いつか、米坂線の全橋梁を調べてみたい。 PR |
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