大きさも形も歴史的経緯もよく知られた橋である。場所はここ。
大きな地図で見る 「歴史的鋼橋集覧」によれば、支間164.6m、1928年川崎造船所兵庫工場製。歴史的経緯はwikipediaに詳しいが、簡単に書くと ・猛急の工事であった ・陸軍の要請により、単径間となった という曰くがある。それはともかく、1928年に製造されたこの澱川橋梁が、現在でも単純トラス橋としては日本最長であるという点が、橋梁史的に興味深い。 真横から見る。 東に国道24号観月橋がかかっており、そこからだと実に美しく見えるのだが、いかんせん西向きになる。午後に行ったため、逆光だ。すみません。 これだけだといまいち大きさがわかりづらい。引いて見る。 画面右に見える4車線の高架橋、京都外環状線や、左に見える電車(1両20m)と比較してみてほしい。部材1本が電車1両分の長さ…とは言い過ぎだが、肉眼ではそう見えてしまうほどだ。 こうして遠くから真横を見ると、華奢に見えるが、もちろんそんなことはない。南側から見る。 見よ、このごつい橋門を。なんという重量感。使った鋼材は1810tだ。鋼鉄の比重を7.87と仮定すれば、その体積は9.3m×9.3m×164.6mとなり、断面9.3m四方の鋼鉄の塊がこの橋の長さにかかっている計算になる。この比重が正しいかどうかは知らない。 あれ? 端柱に接する斜材が… いちばん端の/型の部材が、ツルリとしている。これだけ交換されたのか? などとも思ったが、ガセットとの結合はリベットだし、レーシングもリベット留めだ。オリジナルだった。 漢数字とアルファベットの大文字を交えて縦書きすると、まったくアルファベットに見えない。支間が、歴史的鋼橋集覧となぜ異なるのかは不明。 下に潜ってみる。 角度を変える。 こうなると、もはやトラス橋の縦桁ではなく、支間18mのプレートガーダー橋だ。 そして、この重さを一手に引き受ける支承。 思ったほどでかくない。そして、更新されている。こういうものを更新するとき、1810/4tをどう支えて支承を入れ替えるのだろうか。さがせば作業請負会社のサイトでも出てくるかな。 なんて思ったら、ちゃんと資料があるではないの。『澱川橋梁の設計について-現代トラス橋との比較の試み-』(月岡康一、小西純一、和田林道宣 )。それによれば、昭和52年(1977年)に支承が水平移動しないことが判明し、昭和58(1983年)に更新されている。 では、その『澱川橋梁の設計について-現代トラス橋との比較の試み-』(月岡康一、小西純一、和田林道宣 )を基に少し。 この巨大な桁は、のちに横河橋梁に転ずる関場茂樹が設計した。関場はアメリカン・ブリッジ帰りの橋梁技術者であり、個人的にはこれからもっと人となりをさぐってみようと思っている。 現在でもそうなんだから、当時でも日本最長のトラス桁である。では、当時、世界の単純トラス橋の長さはいかほどだったかというと、1位のメトロポリタン橋(支間219.5m、1917年完成)を筆頭に5位までと7~10位がアメリカの橋。6位にドイツのライン川にかかるDuisburg Ruhrort(デュイスブルク・ルーアオルト)橋(支間186m。リンク先は推定。ガセット結合の分格ワーレンであること、ライン川に架かる橋はこれしかないこと、実際に200m弱らしいことから推定)がランクインするくらい。橋王国・アメリカの面目躍如たるところだが、この澱川橋梁はその当時のランクでいうと世界第11位となる。 1位のメトロポリタン橋は、全長1958mの橋。このうちの南側の1径間が、最長のものだ。 大きな地図で見る 上記の衛星写真でストリートビューを選択すると、この橋の外見を撮影した画像が表示されるはずだ。この橋のディテールは、このサイトが詳しい。見れば、トレッスル橋脚+プレートガーダー部もある。雄大さは日本の比ではない。 元々はCB&Q(シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道。別名バーリントン鉄道)として開通し、いまはCNR(カナディアン・ナショナル鉄道)が保有している。蛇足だが、後者のリンク先は私が起こしている。 ああ、また海外のサイトを漁って時間を過ごしてしまった。キリがない。 PR |
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