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深川東京モダン館が開催している「江東ドボクマッピング 新観光講座」。先日は「橋編」に行ってきたが、本日、「ガソリンスタンド編」が開催されたので拝聴してきた。全6回とも拝聴したかったのだが、自分の都合もあり、今回が2回目だ。

講師はガソリンスタンド・ノートの松村さん(@g_stand)。なお、今回のイベントに関するツイートはこちらにまとまっている。

20101030-03.JPG「江東ドボクマッピング」ということで、江東区の給油所についてのお話から。

給油所は消防署が管轄しているのだが、訪ねても何の資料も閲覧させてもらえないという。そして、給油所に関する趣味書などあるわけもなく、でも国会図書館に行ったら『東京都ガソリンスタンド現勢』という昭和30年(1955年)に行き当たった。これがamazonで検索できることは傑作だ。買えないけど。

実際に松村さんが目にしているだけでもどんどん姿を消している給油所。話の中に、ぽんぽん都内各地の姿を消した給油所の話が出てくる。きっと、見ていた人たちは、それぞれに記憶の糸をたぐりながら、ああ、あそこは知ってる、という個々の思いを新たにしたことだろう。私はと言えば、そういえば東京駅八重洲口に給油所があって、バイク雑誌の仕事をしていたときはよくそこを使ったなあ。などということを思い出した。

そうしたことをきっかけに、ブランド別といったらいいのか、看板別にいきなり切り込んでいく。JOMO、ENEOS(このふたつはENEOSに統合中)、出光、コスモ、ゼネラル、、ESSO、昭和シェル、SOLATO…。ブランドの架け替えの話。商売を終えてしまう話。そこに見る個人経営者の話。給油所ひとつひとつに、それほどの話があるとは空想だにしなかった。

看板だけではない。給油所の建物の意匠やキャノピー(天蓋)、計量器の土台にも、ブランドごとの特徴があったなどとは、まったく知らなかった。松村氏のサイトを拝見していれば、たしかに「○○(ブランド名)らしい」という記述があるのだが、つい読み流すというか、それを特徴として得心していなかった。こうして口頭で説明されるとものすごく深く納得できる。いままで漫然と見ていたものが、どんどん整理されて、自分の中でタグ付けされていく感じ。これがリアルイベントのおもしろさだ。

松村氏は、これらのブランドごとの特徴を「数を見る」ことで会得しているという。趣味的な教科書があるわけではない。観察眼と、あとは実際の給油所の人の話だという。いわゆるドボクの分野では、その手法によって年代をある程度特定できるが、それと同じことが給油所にもあてはまるという事実。それを見出したということに感動した。自分も精進しなければ。

最後に、美しい給油所を。

20101030-01.JPG美しい。こちらを参照。

20101030-02.JPG下灘駅か!

すばらしいお話だった。カルカルのようなハコでもぜひ!




以下は蛇足だ。

私の給油所にまつわる経験を書く。書きたいので書く。

(1)
最初に給油所を意識したのは、保育園の行き帰りだった。行きは母親に自転車で送ってもらい、帰りはひとりでバスで帰ってきた。その、帰りのバス停の前に、この給油所があった。いまもある。外装は変わったが、当時もキャノピーがあった。そして、そうだ、思い出した、ターンテーブルがあったはずだ。…でも、静電気防止のために床を濡らす必要があるとすれば、記憶違いかな? まあ、あったことにして書く。



大きな地図で見る

アポロマークは、おそらく1976年頃には意識していた。長らくあの横顔を麒麟麦酒の麒麟と同じテイストだと思っていた。保育園児のころは。

この給油所の特徴は、立体駐車場があることだ。上のGoogleEarthにも写っているが、これは垂直循環式の駐車場で、いつも、クルマが乗ったゴンドラが右から左へスイングしていくところが見えていた。観覧車のようだ、と思っていた。保育園児だったが。ターンテーブルも、立体駐車場の付属設備として機能していたのではないかと思う。

ついでにいうと、バスのディーゼルエンジンの排ガスの匂いが好きだった。まだ、ときどき半流線形のバスボディを見ることができた。まだ車掌が乗っていた名残があり、そこによく入り込んで乗っていた。背面部が丸く、背面のグリルがダイエーのマークのような欠円になっていた。そこからファンが見えた。マフラー端部は丸かった。角型ボディのバスは、マフラー端部が楕円形だった。下らないことを記憶しているものである。


(2)
日石のコウモリマークも幼少の記憶にある。
柏崎に親戚がいた関係で、よく信越本線の列車に乗っていた。柏崎駅には日石の精油所(当時、どういう名称だったかは不明だが、とにかくそういう役割の施設)があったため、タンク車がゴロゴロしていた。そこに、カルテックス+コウモリマークがついていた。もちろん、幼少のこととてコウモリを図案化したなどとは知らず、筋骨隆々の骨人間(矛盾した表現だな)だと思っていた。小学生になって、コウモリマークが「日本」と読めることに気づいた。日石と柏崎の関係は深く、発祥の地は西山油田だったと思うが(尼瀬油田かもしれない)、柏崎駅近くに本社を置いていたことがある。


(3)
また、小学生になってからは共同石油のロゴが好きだった。きっかけは鉄道模型だ。KATOがDE10をリリースしたとき、広告写真でタキ43000を引いていた。それからだ。なぜか、長じて東京へ来てバイクに乗っても、近所の共同石油でばかり給油していた。1993年に日鉱共石がジャパンエナジーになり、その後JOMOブランドを使用し始めた。「joy of motors JOMO」というジングルや、新聞の全面広告は記憶にある。その後、1995年以降も時折、共石の看板を掲げた給油所を見ていたが、いつしか見なくなった。


(4)
そして先日、廃道撮影の取材で訪れた米沢で、気になる物件があった。しかし、自分のスタンスとして安易に撮影してアップして適当な感想を載せたり、松村さんに「こんなのがありました」とご連絡するのもおこがましく、写真すら撮らなかったが、我慢できないので書く。ここ。


怪しげな三角地帯。ここは、バイパスの開通により三角地帯になってしまった場所。もともとは「八谷街道」と書いてあるほうが昔からの道筋だ。いまでは西行きの一方通行になっているが、車線幅は2車線分あり、もちろんかつては交互通行だっただろう。いまは、その余った車線は、給油所関係とおぼしきクルマが堂々と駐車している。

Googleのストビューがないのが本当に残念だが、上記の地図を航空写真に切り替えると、セールスコーナーが円筒形をしているのがわかるだろう。個人経営らしく、サイトなどはないのだが、こんな記述はみつけた。私があえて撮らなかった写真も、小さいが、ある。
八角形の縁起の良い建物で、スタンド内はグルグル回れるよ!また、どこからでも入れるし、どの方向にも出て行けるよ!
くだらんこと考えずに、撮って、そこで給油すればよかった。実は夜と朝とのべ3回通過しており、非常に気になったままだ。なお、この給油所、昭和51年(1976年)の航空写真にもきちんと今と同じ形で載っている。ついでに書くと、その右側、羽黒川を渡る「万世橋」はその後、バイパス的に新しい橋に切り替えられ、その航空写真にある橋は「旧橋」として姿をとどめていたが、先週行ったら解体され、新橋への架け替え工事をしていた。



給油所。まだまだ書ける気がする。それだけ、日常的というか、密接に関わるものだったのだろう。またいつか書こう。

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