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一見、鉄道の本かと思ってしまうが(書店では鉄道書コーナーに置かれていたが)、内容は「行商」の文化史。近鉄の「鮮魚列車」を利用する伊勢の漁師・商人たちの話と、鳥取県の「カツギヤ」を主軸にしている、貴重な聞き取り調査の記録だ。

魚行商がどうやってなりたっているのか。いつから始まったのか。どういう人たちが担っていたのか。現状はどうなのか。そうしたことが、わかりやすく、実例とともに挙げられていく。もちろん著者が調査してここに掲げる実例は、膨大な数の行商人の…すなわちさまざまな手法がある行商のわずかなパターンだけだろうが、それでも、それをリアルに見せてくれるのは、掲げないまでも背後に膨大な調査結果を持っているからに違いない。帯にある「ワン&オンリーの民族誌」という言葉に間違いはない。

本書には、新潟県の直江津周辺の話も少し出てくる。犀浜(犀潟周辺)、西浜(糸魚川から直江津あたりの広域地名としての西浜なのか、能生の西浜なのかは不明)からあがったものが直江津に廻り、高田の商人が独占して信濃に送る。松本や上田に支店のようなものを出すほどだった。直江津と高田の関係を知る人にはなお興味深く読めることだろうし、いまは長野・新潟の交流は少なくなったと感じるが、1990年頃までは新潟-直江津-長野-上田を結ぶ急行列車が毎日2往復していたことも、もしかしたらこんなところに地域交流史の秘密があるのかもしれないと思った。

* * *

 
 
かつて、地方のローカル鉄道には、車両の前後にバケットを持つ車両があった。それは、鮮魚などを載せるためだった。実際にそのように使用されたのか、頻度はどれくらいだったのかはわからない…逆にあまり使用されていなかったのではないかとも思うが、ともあれ大荷物を背負う行商の人たちは確実に鉄道利用者の一人だった。

私の子供のころの記憶としても、新潟県の越後線にかつて走っていた新潟駅発4時50分の柏崎行き126D、これには行商の人が乗っていた。信越本線の新潟駅発5時55分の直江津行き1322列車もだ。新潟ではカンカンではなく、大きな行李を二つ担いでいた気がする。行李は風呂敷に包まれていた気がする。しかし、子供のころに見かけた記憶…程度なので、はっきりしない。

また、子供のころは、よく、リヤカーを引いて蔬菜を売りに来るおばあさんがいた。私の生まれ育ったところは新潟の本町市場まで歩いて行けるところなのだが、そんなところへも、来た。実家は兼業で雑貨店をしていたので、その店先に停める。子供の私が出ていく。おばあさんは梨を剥きはじめ、私が食べる。母は買わざるを得ない。そんなやりとりは何度もあった。私はといえば、リヤカーに全てが乗っているのがキャンピングカーみたいで見ているだけで心躍ったものだった。

本書によれば、行商にはまだ60歳前後の方もいるようだ。あとしばらくは、そういう姿を見ることもあるだろうが、いずれ消えるものと思う。偶然にもまたどこかで出会うためにも、港町から始発列車に乗ってみたいものだ。


<参考>
【論文】北総の行商にみられる地域的性格(久貝和子)PDF
【論文】新潟県巻町沿岸地域における出稼行商について(丸山克二)PDF


庄内浜のあば 悲哀と快活と歴史と(庄内日報)1~47
・ある「イサバ」の一代 (庄内日報)
 (なんと、終戦後の大阪発青森行きの急行列車を使う行商について書いてある)
  ↑【同日追記】
甘木@欅道居士さんから、下記のご指摘をいただいた。私もなんとなく「そんな『急行』あるのかなあ」と思っていたが、検証できず。ご指摘に感謝申し上げます。







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