先に紹介した
上淀川橋梁(東海道貨物線) 上淀川橋梁(東海道貨物線) その2 吹田~新大阪間の経路変更は1912年か1913年か 東海道本線上淀川橋梁(上り内外線)(貨物線の桁との比較) 本庄水管橋(新淀川)と新淀川大橋と東海道本線上淀川橋梁(下り内外線) の続き。 東海道本線上淀川橋梁の3複線と、R423新淀川大橋の間にこの歩道橋はある。 「別に歩道橋にしなくても、横断歩道にして、土手に階段つければいいじゃないの」と思うような歩道橋。後述するが、周辺にいくつかある。 この歩道橋、よく見ると鋼製(たぶん)橋脚だ。土手側の橋脚も鋼製だ。 左が橋脚。右は桁裏。 床版こそボルト留めしてあるが、桁はリベット留めだし、鋼製橋脚ももちろんリベット留め。 階段部分もリベット留めでつくられてて、踏み板の裏には数列の補強材がボルト留めしてある。 登ってみる。 『豊崎二之橋』。単なる歩道橋にしては大仰…。 堤防上に達すると、上淀川橋梁がこう見える。 さて、先に「別に歩道橋にしなくても、横断歩道にして、土手に階段つければいいじゃないの」と書いた。では、わざわざ歩道橋にしてある理由とは? 1961年の航空写真を見てみた。 『国土変遷アーカイブ』のこのページより抜粋。黄色い矢印が、この豊崎二之橋である。 わかりづらいと思うが、この豊崎二之橋の下は川になっている。これは長柄運河といい、1967年に埋め立てられてしまったものだ。いまでこそあまり意味のない歩道橋に見えるが、当時は新淀川の堤防に達する立派な橋だったのである。 この水路は、航空写真を東へたどると毛馬閘門に行き着く。毛馬第一閘門の西側に舟溜まりになっているような場所が、長柄運河の痕跡である。 これについてあらかた調べ終わり、別のことで検索していると、またしてもこのすばらしいサイトにあたった。 十三のいま昔を歩こう 最初からこのサイトを見ればよかったよ\(^o^)/ なお、こうした橋がいくつか残っているのだが、不思議な遺構もある。 大きな地図で見る これはなんだろう? PR |
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