先に紹介した 上淀川橋梁(東海道貨物線) 上淀川橋梁(東海道貨物線) その2 吹田~新大阪間の経路変更は1912年か1913年か の東側に隣接するプラットトラスが、この上淀川橋梁(上り内外線)である。両側から他の桁に挟まれているため、このような写真しか撮れていない。 詳細な経緯は上記3ポストをご覧いただきたいのだが、この場所の3組の3複線の建設順序としては、この「上り内外線」がもっとも早く架けられたものである。この「上り内外線」のみ、桁がアメリカ製である。後年、アメリカン・ブリッジに統合されるA&Pロバーツ製。 場所はここ。 この橋梁は、径間103フィート9インチ(31.623m)といういまなら鈑桁で済ます長さの5パネルのプラットトラスが22連、連なっている。西側の貨物線(内外線)は国産(メーカー不明)の21連だが、そちらは間に1.5倍の長さの桁が2連挿入されており、トラス部分の全長は同じである。 トラス桁を、貨物内外線(左)と比べてみよう。桁の製作年は、左が1920~1921年、右が1899年。その間、20年の差がある。この時代の20年の差は大きい。 全体的に、上り内外線のほうが小振りかつスマートに見える。橋門構も、アングル材をレーシングで結んでいる貨物内外線よりも、アングル材のみで構成している上り内外線のほうがスッキリしている。斜材のレーシングも、貨物内外線のほうが目が細かいのに対して、上り内外線はゆったりしている。端柱のリベットも、貨物内外線は非常に目立つが、上り内外線はのっぺりとしている。 橋脚は、上り内外線(右)が隅石付きの煉瓦+上面がコンクリート。貨物内外線(左)がコンクリートであるのは、両者の建設年が大きく隔たっていることを表している。上り内外線の橋脚を挙げる。この落書きに腹が立つ。 上り内外線の側面を見てみる。 このガセットにつく夥しい量のリベット。 対して、貨物内外線の側面。 リベットの打ち方が異なるのがわかろう。また、3パネル目(中央の格間)でクロスする斜材の交点の接合が異なる。 続いて桁の裏側。上り内外線。 対して貨物内外線。 どちらも、堤防の一部を欠き取っている。いいのだろうか……というのはともかく、裏からみても、やはり上り内外線のほうが古いのに華奢かつスマートである。 裏から見ると、枕木が凝った形をしているのがわかる。 (赤いラインは書き足し)なぜここまで欠き取らなければならないのだろうか。ご存知の方はご教示いただきたくお願いします。 この橋の落橋防止対策はこれ。 トラス桁が左右にずれないように、支承のピン部分を押さえる形になっている。ピンの手入れはどうするのだろう?…って、部品を外せばいいだけか。 下り内外線(プレートガーダー)との並びはこう。 この時は下り内外線の塗装工事が進行中で、作業員がたくさんいた。ついでに、ここをトワイラ色のEF81が牽引する『日本海』が通ったため、非常にたくさんの撮影者がいた。私はそんなことはまったく知らず、ひたすら3組の橋の写真を撮っていた。 このトラス桁。古いだけあって、これも列車がとおるたびに縦桁がしなる。見ていて驚くほどにしなる。建造後、既に111年。それでもまだこの弾力。鋼材ってすごい。 今回はなんの考察もなし。ただ「見てきただけ」。 下り内外線に続く。 PR |
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