磐越西線当麻橋梁。
いまのこの橋は、横側橋梁製であり、アメリカン・ブリッジ製ではない。 下の写真手前に、古い橋脚が見える。 かつて、ここに上路式のアメリカン・ブリッジ製のトラスがかかっていた。 それも、わずか15年ほどの間である。 この下流に鹿瀬ダムが造られることになり、上路式では冠水の懼れが生じた。 そのため、下路式の橋梁を設置することになったものだ。 旧橋梁、3径間のそれぞれは、現在の秩父鉄道に転用されている。 7月3日の押手沢橋梁は、かつてここにあった桁である。 架け替えにともない、ルートの変更が生じた。 そこは、短いながらも廃線跡の趣がいまも残る。 昭和51年撮影の航空写真を見てみよう。 (国土地理院のサイトより引用、トリミング) 画面右手が日出谷駅。 そこから左(西)に向かう現在の磐越西線のすぐ下(南)に、 道型が残っている。 ここは川霧が発生しやすいのか、鉄道写真として発表されているものにも 川霧と絡めてあるものが多い。 私が行った翌日、この場所で撮影された写真が、雑誌に大きく載っていた。 PR |
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