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20091219-1.jpgプレートガーダーというものは、なんとも目立たないものだ。もしこれが同時代~土木学会の歴史的鋼橋集覧では1912年ではないかとされている~のトラス橋であればアメリカ式ピントラスだろうし、アーチ橋であれば、背後に見える松住町架道橋(桁の製作は本橋の28年後)に見るように、まだまだ時代がかったものになっていたであろう。

20091219-2.jpgそういう、なんの変哲もなさそうなプレートガーダーでも、橋台が煉瓦であるのなら、また意味が変わってくるだろう。時代もおおよそ特定できる。

20091219-3.jpg
そして橋脚はこう。上の地図を「写真」に切り替えてもらえばわかるが、この写真の向こうから手前左にかけて、この橋は広がっている。旧交通博物館の屋上といおうか、旧萬世橋駅跡を利用した保線車両留置用線路といおうか、そこへの分岐があるために広がっている。詳細は読み取れないが、図面は土木学会の該当ページにある。また、4主桁であることもわかる。

この写真には、神田川橋梁のラーメン構造の橋脚が見えている。

20091219-4.jpg銘板。南西側にある。実は非常に撮りづらい。

20091219-5.jpg
桁をガードする鉄骨のせいである。

20091219-6.jpgついでなので裏側を。私にはここから何かを読み取る能力はない。
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20091218.jpgいまどきの携帯を使う機会を得たのでテストで撮ってみた。シャープのSH-O1B、搭載するカメラは1200万画素、4000×3000ピクセル。「コンパクトデジタルカメラに迫る高画質」とのふれこみだ。顔認証もついている。AFロックのほうが使いやすいんだけど・・・。

業務でお茶の水へ行ったついでに秋葉でマイクロSDカードを買いに行く途中で試し撮り。都内でもっとも贅沢な光景を楽しめる場所、昌平橋だ。


左のプレートガーダー:中央線昌平橋架道橋(ハーコート)
中央のラーメン橋脚:総武線神田川橋梁(横川)
その奥:聖橋
右側のブレーストリブタイドアーチ:総武線松住橋架道橋(石川島造船所)


さて、撮った画像を携帯の液晶で見る限り、とても美しいと思った。屋内の暗いところで撮った写真も、それなりによく見えた。画面右端の信号機に付されている交差点名「昌平橋」は読める。

ピクセル等倍にしてみよう。
20091218-2.jpgこんだけ写れば一般的には上等だろう。どうせプリントするわけでもピクセル等倍で見るわけでもない。私が私的に使っている数世代前の903とは雲泥の差だ。すごいもんだ。もうちょっといろいろ試して撮ってみよう。


中央緩行線(総武線)の橋梁である。
複線下路鈑桁1+単線上路トラスの並列1+単線下路鈑桁の並列2、
4径間のべ7連すべてハーコート製らしい。
銘板は複線上路鈑桁についている。
20091106-3.jpg











こうして見ると銘板がふくらんで見えるが、
上のリベットとくらべても、これは樽型収差ではないと思う。
200mmで撮っているし、このレンズにここまでひどい収差はない。
ただ、真正面から撮ったつもりでも、角度がついてしまっている。
人間の感覚というのは制御しづらいものだ。

この前も、髪を切ってるときに椅子が微妙に右を向いている気がしたが、
体も椅子も真正面を向いていると言われた。関係ないか。いやある。


残念なのは、人目を引く上路トラスが
周囲から見えづらいことである。
北側(外堀通り側=神田川側)には歩道橋が、
南側には快速線の鈑桁が視界を塞ぐ。
20091106-1.jpg

20091106-5.jpg



































下の写真は南側から快速線越しに橋台を撮ったものである。
手前が快速線のコンクリート製橋台。
中央が本橋の最初の煉瓦積み橋台で、隅が切石で処理されている。
奥が道路の三崎橋の橋台であり、橋台はコンクリート製で切石は擁壁か。


水道橋周辺は場末のニオイがプンプンするところだ。
現代の土木工事の象徴のような首都高の桁の影になるような位置である。
この架道橋の下には人が住んでいると言っても疑われることもないようなところだ。
小便くさい気もするし、屋台が置いてあったりもする。
いずれ改めて記述するが、筆書きの注意書きもそこかしこにある。
ここは、1904年製の桁が残っていても違和感のない場所である。

20091106-2.jpg



















20091106-4.jpg



















複線鈑桁を裏から見れば、2主構であることが見て取れる。
歴史的鋼橋集覧を見ていて「3主構」だと思い込んでたので、
おかしいなあ、と思い、あとからグーグルマップで上空から見ても
やはり2主構だよなあ、と思い、あらためて集覧を見たら、
その記述は快速線のものであった。とほほ。

上記のアングルは、グーグルマップのストリートビューでも見ることができる。
残念ながら、前後のカットを見ても、銘板は確認できない角度でしか撮影されていない。


水道橋にはハーコート製の橋梁が3組ある。
元同僚がこのすぐそばの会社に出入りしているが、
その話をしたところ「聞いたことがある」と言っていた。
ぜひ毎日眺めてほしい。


17-35で撮った写真はとにかく色の収差がひどい。いや、色そのものがひどい。
隅では像が流れてゆく。
定評あるシグマの28/1.8ばかりを使うことにしようかしら。


中央線の都心部は無骨な橋梁の宝庫。
水道橋周辺もまた素敵なエリア。
以前は毎朝、ここを自転車で通って通勤していた。
いや、ここを通らないときは、小石川通り架道橋の下を通っていた。
小石川通り架道橋については後日書く。
今回は新水道橋架道橋である。

その、各駅停車(通称:総武線)の線路が白山通りをまたぐ部分が、
ハーコート製の橋梁である。北側である。
この場所でこの橋梁を視界に入れた方は恐ろしい数がいるはずだ。

20091029-1.jpg



















普通に普通の後継としてなじんでいる。
まさかこれが、1904年ドイツ製の鈑桁だとか、
甲武鉄道の発注によるものだとは誰も思うまい。

20091029-5.jpg



















これは南側からみた写真。
写真右端に見えるのが中央快速線で、完全に桁が別。

上の写真それぞれに、銘板が2枚ずつ見えるだろうか。
北側、南側それぞれに、ハーコートと日支貿易の銘板がある。
(支を変換するときシナと打ったら変換しなかった。atokよ、歴史用語だろう!)

20091029-3.jpg



















横断歩道が青のうちに撮ったから、焦って水平が。
といいわけしておく。
画面左端の白いのは、クルマかなあ。
視野率100%じゃないといやねえ(←トリミングしろってか)

20091029-2.jpg



















鈑桁がゆがんで見えるのはレンズのせいではありませんが、
モアレのように見えるのは感度を640で撮影してしまったためです。

20091029-4.jpg






















これを含めて周辺のハーコート製橋梁についてはいろいろ文献があるので
詳細はそちらに任せて、とりあえず写真のみupでした。

20091022.jpg



















お茶の水の聖橋から見た神田川橋梁である。
お茶の水から秋葉原に向かう総武線が通る。

もう少し画角を広げると、本当に主役級ばかりで、
なにを撮ってるんだかわからなくなる。

画面中心には神田川橋梁。
ラーメン構造の橋脚が目を引く。1932横河橋梁製。

その下には昌平橋。1928年製。
煉瓦アーチにも見えるが、時代からみてわかるとおりRC製。

その左には松住町架道橋。
巨大なブレースドリブタイドアーチ。1932年東京石川島造船所製。

右に写っている線路は、お茶の水から東京に向かう中央線上り線だが、
その先にはハーコート製の昌平橋架道橋。1904年製。

ここに電車が2本写っていたら、主役が6人だ。


鈑桁の昌平橋架道橋よりも、ブレースドリブタイドアーチの松住町架道橋のほうが
古めかしく見えるのは、その外見ゆえか。
しかし、両社の間には、実に28年という隔たりがある。



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