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(イメージ。写真はおそらく「赤倉」)

私にとって「しらゆき」といえば、新潟を14時28分に出る金沢行きのディーゼル急行だった。小学校の一学期の終業式がある7月24日の午後から、毎年、母方の実家がある柏崎に行っていた。そのときに乗る列車だった。もちろん、いつも自由席。非冷房だった。当時「冷房車」なるものがあることすら知らなかった。私の生活圏には冷房などというものは存在しなかったので、意識に昇らなかった。

たしか、新潟駅の1番線ホームに20分くらい並んでから乗った気がする。ホームの上にぶら下がった号車案内の札(後述)に20人かそれ以上ずつ並んでいた。「しらゆき」の乗客は新潟で相当数が入れ替わるため、座れなかったことはないが、当時の常識として車内の座席下にはゴミや新聞紙が大量に置き去りにされており、雑然とした雰囲気があった。

14時27分には青森行きも出て行くために、新潟駅には2編成が同時に在線しているはずだが、乗るのに忙しいからか、まったく記憶がない。

非冷房ゆえキハ58の窓を全開にして、1時間半の道のりを楽しんだ。峠を下るときなど、ノッチオフして惰行していく間のエンジンのアイドリング音が大好きだった。

「しらゆき」は、1982年の上越新幹線開業時に「白鳥」に格上げされ、消滅した。それが33年経ち、いやその間、1997年から2002年までは秋田-青森間の快速の名称ではあったが、優等列車としては33年ぶりに新潟県内の列車名として復活する。個人的にはまことに美しい列車名だと想う。



さて、いつもは新潟から柏崎に向けて乗る「しらゆき」だったが、一度だけ、逆方向に乗ったことがある。昭和57年8月28日、長岡から新津だ。これは、魚沼線と赤谷線に乗りに行ったときに、効率よく回るために、これに乗るしかなかったのだ。

 

8月28日は土曜日。土曜日のみ運転の魚沼線の列車をつかまえるのだ。<魚沼線6128D>1300来迎寺1307<1335M>1323長岡1332<しらゆき>1412新津1432<629D>1511新発田1539<赤谷線129D>。

金沢車掌区の車掌は白いサマースーツだったか。車内補充券には、誇らしげな「501D(上りは502D)」の列車番号。日本海縦貫線で「501/502」という列車番号は、1950年(昭和25年)に以来のもので、その列車番号は長らく「きたぐに」が使っており、電車化された後は501M/502Mであった。

なお、1980年10月改正の時刻表から日本海縦貫線の500番台の列車名を拾い出すと、下記のようになる。

501/502 きたぐに(大阪ー青森間夜行急行)米原経由
501D/502D しらゆき(金沢-青森間急行)
501M/502M 立山1号/2号(大阪-糸魚川間急行)湖西線経由(富山-糸魚川間普通列車)
503M/506M 立山3号/6号(大阪-富山間急行)湖西線経由
505M/504M 立山5号/4号(大阪-糸魚川間急行)湖西線経由(富山-糸魚川間普通列車)
505D/506D ひめかわ(青海-新潟間急行)越後線経由
8507/8508 えちご(大阪-新潟間臨時夜行急行)
8513 加賀1号(大阪-金沢間臨時急行)湖西線経由
8516 加賀4号(大阪-金沢間臨時急行)湖西線経由
9517/9518 アルペン(大阪-富山間臨時夜行急行)米原経由

509/510、511/512はちょっとわからなかった。どの臨時列車に充てられていたのだろうか。『鉄道ファン』1982年11月号掲載の上野-新潟間のダイヤを見ると、ほかにも下記の列車番号が見えた。

8501/8502(京ヶ瀬方面-柏崎方面)
9504(京ヶ瀬方面-柏崎方面)
8506(新潟-柏崎方面)
8507/8508(新潟-柏崎方面)



上越新幹線が開業した翌1983年、「新潟博」が開催された。鉄道のパビリオン「高速鉄道館」で鉄道部品の即売会があった。そこで、私は「しらゆき」の乗車口表示板(正式な名称を知らない)を見つけて買った。400円だった。

 

たくさんあったので、きれいそうなものを適当に選ぶと、係の人が「いいか、自由席の札はたくさんあるんだ。少ないのは指定席、いやグリーン車だ」。なるほど、と思ってさがしたら、あった。いっしょに「よねやま」も買った。グリーン車どころか指定席さえ座ったことがないのに。

いま、これの「自由席」の札が、新津鉄道資料館に展示されている。

 

新「しらゆき」は、乗ってみなければと思う。

* * *

追記。

金沢在住の友人から、高校生当時、「しらゆき」の車内販売のアルバイトをしていたとお聞かせいただいた。乗務区間は金沢-新津の往復で、下りは新津で車販ワゴンごと降ろし、荷物運搬用のエレベーターで対向ホームに移動し、上りに乗務するとのこと。「糸魚川駅で20分停車、 お客さまの一部は、下車して、立ち食いそば、その間に、急行白馬号とドッキングして、糸魚川から金沢の間は、販売車両が増加(中略)沢山の登山客が帰路に使ってました」とのことです。貴重な記録です。

とはいえ「新津駅のエレベーター」はちょっと詳細不明。こちらのサイトには新津駅のテルファーが写り込んでいる写真がありますが、屋根がないので違うとのこと。「
新津でのホーム移動は、日本食堂から委託受けた?作業員さんがやってくれたので、車内販売員は、旅客用跨線橋で移動してたのかもしれません」とのことでした。
http://niigata1116.com/train/jr_jnr/1974/niitsu_yoshida/1.html


Nさん、ありがとうございます。


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