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『Y字路はなぜ生まれるのか?』(重永瞬)

『Y字路はなぜ生まれるのか?』(重永瞬)

土木・地図の本



永太郎さんこと重永瞬さんが、twitterにY字路の類型の画像をアップしているのをみて、何か起こるかな? と期待した。三土さんのDPZ記事「道路を方角ごとに塗り分けると、その街のでき方がわかる」を踏まえた「道路を方角ごとに色分けした地図を鑑賞する会」のような「地図的なおもしろさ」にも出演しているので、そういう記事か何かが出るのかと思ったら、書籍となってまとまって驚いた。

Y字路だけで1冊。すごい。『街角ガードパイプ図鑑』(岡元大)みたいだ。「地理・歴史雑学」だけではないだろうなと予想しつつ手に取ると、「地図・都市鑑賞」というべき構成で、ライトながら裏付けのある記述にあふれていた。

章立てはこうだ。
第1章 Y字路へのいざない
第2章 Y字路のすがた -路上の目(※磯部メモ:「路上」!)
第3章 Y字路はなぜ生まれるのか -地図の目
第4章 Y字路が生むストーリー -表象の目
第5章 Y字路から都市を読む -吉田・渋谷・宮崎
第6章 Y字路とは何か

第2章から第4章の副題が本書の要諦だ。路上で鑑賞する/地図で分類する/表象を考える。巧みかつ簡潔な構成だ。



私は、優れた都市鑑賞の本(WEB記事などももちろん含む)には読者が勝手に話を継ぎ足したくなる要素があると思っていて、本書はまさにそれ。読者は千人が千人、それぞれのY字路を思い浮かべるだろう。生まれ育った街だったり、いま住んでいる街だったり。

 

私にとっては新潟市のここだ。右が元からある道、左が新道。左はすぐに左への分岐があり、そこから砂丘を登ると中学校だ。分岐を曲がらずにまっすぐいえば、「鶏の半身揚げ」を全国区に有名にした「せきとり」がある。もともとは地元の飲み屋で、町内会やPTAの会合はいつもここだったようだ。



本書を読んで勝手に話を継ぎたいことが2点ある。橋の角度とクルマからの観点だ。

【1】橋の角度…大淀川が真東に向かっていたら?

第5章で語られる宮崎市のこと。橘橋の角度によって規定されているのだが、ではなぜ橘橋はこの角度なのか。

 
今昔マップより)

それは、「大淀川と直交するため」である。河川を横断する場合は、基本的に直交する。上の地図に描かれた橋を河口から順に見れば、そうなっているのがわかるだろう。やむを得ない場合は斜めに架けるし、そういうケースも少なくはないが、原則は直交だ。特に長大橋梁が難しかった時代、つまり時代を遡るほどにそうなる。

宮崎市の道路を規定した橘橋。橘橋を規定した大淀川と土木の基本。スケールを小さくしてみると、見えるものが変わるおもしろさがここにある。

【2】クルマから考えるY字路

道路交通にとって、Y字路は好ましくない存在だ。「分岐する側」ならいいが、逆だと、交差する道路が鋭角になってしまう。見通しは悪いしクルマの最小回転半径からして難しい。また、信号があるとしたら、たいていは変則的な表示になる。

都心の新道でも郊外のバイパス新設でも、そういう理由からだろう、Y字路にせず、旧道との接続部を修正してT字路にしてしまうことがある。たとえば現在事業が進んでいる環状4号の早稲田あたりを見てみよう。

 
(東京時層地図に加筆)

かつてグランド坂は早稲田通りに直結していた。環状4号とグランド坂は鋭角の位置関係だが、交差点を大きく作り替え、グランド坂は早稲田通りではなく環状4号に接続する形にした。そのためにグイッと接続部が曲げられている。しかし、こうしたほうが交通整理がしやすく、安全であることは、現地に立てば実感できるはずだ。

■関連項目:環状4号線(早稲田通り-新目白通り-不忍通り)



本書では、「あっ、これ、自分も意識していた!」ということが多々掲載されている。それが個人的には嬉しい。同じセンスを、かなり世代が違う著者と共有しているという勝手な喜び。P128の『時をかける少女』のY字路標識、私はキャプチャして保存してあったはず。でも映画の場面をツイートするのはためらわれて、どこに保存したかもうわからなくなってしまった。(※キャプチャもいけないと思われますが…)

最後に、あまりないというY字路注意の標識と、その変型を。

 
北海道の鬼志別。村営牧野に立っていたY字路標識。

 
こちらは長野県の権兵衛街道に立っていた、Y字路標識を逆さまにしたと思われる標識。この先で左から来る道と鋭角に合流するのだが、そこで死亡事故が起きたと現地に掲示してあった。それを踏まえて設置されたのだろうと推測する。なお、逆向きには標識はない。



みんなで「見せたいY字路」を持ち寄って発表しあいたい。おおいにそんな気にさせてくれる本だった。

『Y字路はなぜ生まれるのか?』(重永瞬/晶文社)






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『日常の絶景 知ってる街の、知らない見方』(八馬智/学芸出版社)

土木・地図の本


2021年12月に発売になった本。実は感想を書いたのだけど、書きたいことが多すぎて、また文章としてうまくまとまらず、お蔵入りにしていた。しかし、2022年3月24日、八馬さんと大山顕さんのトークイベントを拝見し、文章がまとまらずとも出しておくべきだと思い、書き直した。

 

ここでは、このイベントも踏まえて書く。このイベントはアーカイブして有料で視聴できるようにすれば…とも思うが、「この瞬間に語られたことを同時に体験すること」が大事なのかもしれないな。

●『日常の絶景』が採り上げているもの

 
目次は、こうだ。初っぱなが「室外機」だ。

1章「scale=S」は、「モノ」。
2章「scale=M」は、建築物の付属物。
3章「scale=XL」は、システムおよびその構成物。

並んでいる項目に、脈絡を感じるかどうか…ということを最初思ってしまったのだけれど、本書は「はじめに」に「本書が目指すところは、筆者の雑多な妄想をサンプルにしながら、読者の風景に対する感度や解像度を刺激することにある」とある。脈絡そのものは重要ではない。

トークイベントのタイトルは「『日常の絶景』の読み方」。そう、トークとともに見ると実によく、流れや考え方が見える。つまり、本書は教科書的だ。必要なことと、なぜそれに惹かれるかは少しは書かれているが、ディテールや、好きの熱意は事細かには書かれていない。通信鉄塔やダムのフーチング、コラムは写真が羅列され、鑑賞に委ねている。

しかし、ふだんから八馬さんや大山さんの本、トーク、twitterを見ているぼくとしては、「なぜこれを採り上げたか」を考えたい。著者と編集者で相当に議論し、その中で落とした項目も多かっただろう。そうした議論を経て「本書が目指すところは…」という本書のコンセプトはより輪廓がハッキリしていったに違いない。

●「わかる」「わからない」


とはいえ、「出版以来、説明に難儀している」とのこと。これには二つの意味があり、
①本書の内容を「タイトルだけ」や、補足する数語では表せない
②相手の理解度を推し量って説明する必要がある
ということだろう。

トークの冒頭で、大山さんから「わかるか、わからないか」という話が出た。本書の最初の項目は「室外機」。「室外機」を提示して「ああ、わかる」とか「見るのが好きな人、いるよね」と反応する人は、現実は圧倒的に少数派だろう。「わからない」人のほうが圧倒的に多いのだ。版元でさえ「絶景じゃない写真があるから、タイトルに『絶景』と入れるのは不適切ではないか」という意見が内部で出たくらいだ。

いまは、工場もダムも、誰に話しても「ああ、わかる」「テレビでやってた」という反応が来るようになっている。でも、そうではない時代、(たぶん)「工場なんか見て、何がいいの?」と言われ続けながら「いいよね」と言い続けてきた大山さんならではの実感で、「わかる」「わからない」についての疑問が投げかけられる。

「わかる」「わからない」の違い。「わかる」とは、「鑑賞するといろいろなことを考えるよね。それは楽しいことだよね。もちろん見とれるほど美しいよね」ということか、あるいはさらに上から「それすらも自分で選べるよね」ということ、そのプラクティスを持っていること。「わからない」は持っていないこと。ここで「難儀している」とされているのは「わからない」人への説明だろう。

何かを普及させるためには、「わからない」人を「わかる」ようにする必要がある。そのきっかけはなんでもいいが、「綺麗な写真」だということもあるだろう。本書は、それを「絶景写真」で示した。これは反語的で、世間一般でいう「絶景」ではない写真をそう称して。本書を読んで、「絶景」という語が表すものを考察する読者が生まれたら、それが本書の成功だろう。

●「図鑑」かそうでないかと「路上観察」との違い

室外機、リサイクルボックス、消波ブロック、ダム等々。三土たつおさんの『街角図鑑』と、採り上げているものは同じものがある。しかし、両者の採り上げ方は全然違う。『街角図鑑』は大元となるDPZの記事がそうであるように、昆虫図鑑のような「図鑑」。だからディテールを解説するし、なぜその色なのか、どういう特徴か、ほかとどう違うかを解説する。大きく俯瞰した全体や、その中での位置づけはあまり言及していない。

それは、2冊目となる『街角図鑑 街と境界編』を制作中にも三土さんとたくさん議論したのだけれど、河川やダムなどシステムを愛でがちな対象でも図鑑に徹するようにした。『日常の絶景』がディテールを述べないことで、逆に、三土さんによる『街角図鑑』のタイトルや作り方がはっきりと浮かび上がってくる。


また、本書を「路上観察」の一分野、と捉える人もいるかもしれない。確かに「見方を変える」という点ではそれに近いだろうけれど、「路上観察」もまた一筋縄では定義できないもので。発端は芸術活動であり、当時の芸術運動や赤瀬川原平がそこに至ったこと、そしてほどなくそこから抜けていることも踏まえたい。

赤瀬川原平の「路上観察」は人間が見立てるものなので、上記の写真の「人文」側、すべてヒューマンスケールにある。対して『日常の絶景』はジオスケール側もある。「路上観察」は見立ての一種の提示だけれど、『日常の絶景』は、その見立てを含む「見方」をいろいろと提示したり、「自分で考えて」と投げかけている。つまり、読者(鑑賞者)の自由度が高い。もちろん「路上観察」は自由な芸術活動なので、そんな定義をされたら赤瀬川原平は「違う」というだろうけれど、現在のSNS文脈としては、そんな感じだろうと思う。

そんな中で、本書が扱う対象として、下記のような図が提示された。



●「絶景」というタイトル

「絶景」の発端は、ナショジオのシリーズだろう。圧倒的なジオスケールの写真の羅列。今回のトークで、大山さんは「一般的に、絶景とはスケールではなくサイズ」「絶景とはスペクタクル」と言っていた。

見渡す限りの砂漠とか、人跡の感じられない天然自然とか。それらはすべて、人間の身体の大きさを基準としたジオスケール的なものだ。対象がでかい。一方、『日常の絶景』でいう「絶景」は、人間の身体の大きさを基準としていない。冒頭で採り上げる「室外機の絶景」の視点場にいる自分は小さい。15のテーマを擁する三つの章が「S」→「M」→「XL」というのは、それを見る自分を「Sにしてみよう」ということかもしれない。

直径50mの洞窟は一般的に絶景だが、直径5cmの穴は絶景とは感じない。しかし、自分の身長を1.8mmにして視点を持てば、直径5cmの穴も絶景となるはずだ。そういうスケールの行き来を考えると「絶景」は日常に潜んでいる。

本書は「絶景」を提示している本ではなく、「絶景とは、考察の結果に過ぎない」と提示している本である。

●「設定」

本書の帯は『映像研には手を出すな!』作者の大童澄瞳氏の推薦文とイラストが掲載されている。そして、トークでも本書の「はじめに」でも「設定」という言葉がよく提示された。で、アニメ化以降、特に話題になってはいたが未見だった同書のコミックスを読み始めた。なるほど、なるほど。八馬さんが本作をお薦めするのもよくわかった。




●余談:表4

佐原の水門。これは本書内に出てこない。編集者のセレクトによるそうだ。これが2010年夏の写真だとしたら、この写真が撮られた日は、ぼくが初めて八馬さんと大山さんいお会いしたい日で、しかも現地までクルマに乗せていただいたのだ。そう気づいたらなんだか嬉しくなった。ただ、なぜか当日の写真のほとんどをぼくは消失している。

当日の記録は、こちらのサイトに載っています。

加藤洲十二橋チャータークルーズ(canalscapeさん)…表4と同じ角度の写真がある。冒頭1枚目の左が八馬さん。ちらちら見える黄色いTシャツがぼく。

こうもんざんまい(DPZ/大山顕さん)…黄色いのが…




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『江戸・東京水道史』(堀越正雄)

土木・地図の本


1月末刊行に向けて『東京「暗渠」散歩』(本田創編著)の改訂版の作業を続けているため、上水系の予備知識として読んでおこう…と思って手に取ったら、予想外に東京の「国土」と「生活」を守るために東京市・東京府・東京都(以下東京都)が苦闘した歴史で、むしろダム界隈に関係するような話だった。

「現代の」河川の利用については、ダムの方面からの知識がそれなりにある。しかし、それは「現代の」知識だ。それらがないころ、東京はどうだったのか。考えたことがなかった。東京は井戸水と玉川上水でやりくりしていた、いまの玉川上水には利根川からの…くらいの知識であり、「飲料水の心配をする」という考えに及ばなかったし、(かつての)玉川上水から供給しやすい範囲、というのもあまり考えたことがなかった。それは、別のいい方をすれば、いまは水源など考える必要がないほどにインフラとして整備されている、ということでもある。

* * *

「湯水のごとくに使用する」という慣用句がある。本書を読むと、この表現はとても使えなくなる。この表現の初出がいつかはわからないが、1980年代以降のものではないかと思ってしまうくらい、東京都は、水の供給を考えてきた。対して、利用者である我々の意識はそんなものだった。

「言われてみれば」ということが多く書いてある。要するに、人口が増えれば水の供給に難が出る。ビルが高層化し林立すれば、ニュータウンが開発されれば、高台に住宅地ができれば。家の蛇口が一つでなく四つ五つになれば。各家庭に風呂が設置されれば…。また、火災に対抗するための水、という観点はぼくにはなかった。東京は江戸期や明治前半によく大火に襲われるが、日が出ても消す水がなければどうしようもない。水道の普及は火災の食い止めにも多大な効果をもたらした。

いまでこそ蛇口を捻ればいくらでも水が出る。しかし、明治前期から昭和にかけて、こうした水道の普及すら反対された。まずは明治10~30年代初頭の、市区改正からの淀橋浄水場と玉川上水新水路。次いで大正期からの村山貯水池と昭和初期の山口貯水池。そして小河内ダム計画では、立ち退きが済んでいるのに反対派により工事にとりかかれず、立ち退いた人の生活が宙に浮く。その間、関東大震災と戦災による二度の大ダメージ。逼迫し、渇水が常態化しても「地下水があるだろう」という反対派である。しかし、現実には、こうした数十年単位でかかるインフラ整備をはるかに上回る都市人口の増加が進む。

現代の「完成された」水利用だけを見ると、「うまいこと考えたね」という単純な感想になる。しかし、その裏には、「目先だけしか見ていない反対派」をかわしながら、東京都下への水供給に不安がないようにするための、東京都の100年以上にわたる努力があった。広域エリア特有の、時代時代の事情…玉川上水から供給しづらい地域への人口増、下町低地と地盤沈下、旧15区以外での上水、23区以外の都下各市町村での上水、近県からの水の融通等々の問題をクリアしながら、直結する都民の生活に資してきた。世田谷通りが多摩川を渡る「多摩川水道橋」も、そうした経緯をもって、やっとのことで川崎市から水の供給を受けることができるようになった証だ。

* * *

ぼくが東京に来たのは平成3年(1991)年だが、1994年の渇水のことはよく覚えている。ぼくがバイクを洗っていたら、アパートの大家さん(70歳くらい)に強く言われたのだ。ぼくは「まだ大丈夫だし…」くらいの気持ちと、洗わなければならない事情があったのだが、大家さんには昭和30年代~40年代の、毎年のような渇水の記憶がよみがえってきたのかもしれない。

幸いなことに、東京でそうした報道がなされたのは、それ以降は一度もない。それは、東京の水道供給インフラが、ようやく「誰も気にせずにすむ」ほどに整備されたことを意味しよう。

本書で、昭和39年(1964)渇水時には「東京サバク」と言われた…ということを知った。本書では触れていないが、内山田洋とクールファイブの『東京砂漠』(昭和51年・1976)はこのときの語感を流用しているのだろう。両者の間に地方で生まれたぼくには知るよしもなかったけれどいまでは「東京砂漠」という語は渇水のことではなく、「疲れ果てた都会生活」のような意味になっているのもまた、水道インフラという意味ではよかった、といっていいだろう。






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『東京23区凸凹地図』 『東京スリバチの達人 分水嶺東京南部編』

土木・地図の本


『東京23区凸凹地図』2000円+税。
『東京スリバチの達人 分水嶺東京南部編』1500円+税、(昭文社)。
皆川典久さん監修(後者は著)/荻窪圭さん(古道・石碑・石仏)・松本泰生さん(階段・坂道)・本田創さん(暗渠・水路)協力のもとで刊行された。安い…。
 

お好きな…もう自分なりにかなり知っている皆さんには『東京23区凸凹地図』(右)が、シンプルで、参照性が高いと思う一方で、
『東京スリバチの達人 分水嶺東京南部編』は、知っている場所でも、読むと改めて知識を整理できる。こういう話のおもしろいところは、何度聞いても、何度現地に行っても楽しいところだ。「知ってるから、聞かなくて/読まなくていい」とはならないのがおもしろい。

『東京23区凸凹地図』は通常の道路地図のようにメッシュ式、『東京スリバチの達人 分水嶺東京南部編』は任意の地点を切り出して現代・明治・江戸の地図を掲載してそれぞれ解説を加えている。


たまたま、豊島園付近にハンバーガーを食べに行く行き帰りに付近をぶらぶら。右は「スーパー地形」でのGPSログ(その日以外のものも表示されています/表示されているのは「スーパー地形」で取ったGPSログのみです)。


歩きながら、「おっ!」と思った道に入るのだけれど、暗渠ぽいところがあったらまず入る。


それを、帰宅後、地図とGPSログを見比べながら「やっぱりそうか」と思う。これ、現地でわかったらいちばんいいのだけれど、常に
持参するにはちょっと重い。十数km分としても必要なのは数見開きなので、2冊買って、1冊は「地図帳」として一覧性を保持しつつ自宅に保管、おう1冊はバラして持ち運べるようにするのがいいのではないか。


となると、次に思いのは「これ、KMLデータで欲しい!」。データだけで2000円、3000円で売ってもいいでのは。あるいは、これをアプリ化してほしい。それぞれをマイマップ等で公開している方はいるのだけれど、それを自分で集めるのはめんどう…(すみません)。


冒頭の写真は帯をはずしていたけれど、帯つきだとこう。カバーも本文DTPも同じDTP会社が担当している。装丁ができるデザイナーに頼めばいいのにな、というのが率直なところ。『東京23区凸凹地図』 は「凸凹」が何を意味するのかが、カバーと帯からはわからない。本書の一番の特長である「凸凹地図」や各種情報を昭文社の『さんぽ地図』のように帯に擦り込めば、一般への訴求力が高まるのではないか。

あと
、帯が大きすぎるかな。この黄色の帯が、彩りかつ「スリバチ地形」や「地形の凸凹」を端的に表現しているイラスト(写真をイラスト風に加工したもの?)を全部隠してしまっている。帯の文言がこの量と内容なら、3分の2くらいの高さでいい。とはいえ、帯というのは版元の考え方が出るもので、これらは店頭での効果だけを狙っていて、紙も薄いし、帯と一体になったデザインではないので「正しい」。個人的には「脱タモリ」しようと、と思うのだけれど、「タモリ氏推奨」も「正しい」。

帯について、さらに。これは出版業的な余談として、『東京23区凸凹地図』の帯に書名がないのに驚いた。通常、版元での帯の在庫管理や書店店頭ではがれたときのために、書名が袖に入っている。それがない、というのも、前述した「帯に対する版元の考え方」が出ているなと思った。


これが、めざしたハンバーガーです。おいしかった。セットで1500円超。


ちょっと関連して。この2冊の協力者でもある本田創さん編著の『東京「暗渠」散歩』、洋泉社版から約9年、実業之日本社から改訂版として刊行します。黒沢さん、髙山さん、樽さん、福田さん、三土さん、吉村さん(50音順)のご協力をいただきまして鋭意進行中です。地図などは総入れ替え、90×60cmの大判暗渠地図付き。1月末発売です。(カバーは仮のものです。いくつか修正が入ります)


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『凹凸を楽しむ 阪神・淡路島「高低差」地形散歩』(新之介著)

土木・地図の本


新之介著さんの、シリーズ3冊目となる『凹凸を楽しむ 阪神・淡路島「高低差」地形散歩』が刊行された。今回の目玉は「淡路島」だ。ぼくはそう思っている。

淡路島は、何度か「通ったことがある」が、きちんと全島を回ったことはない。ただ、えぬ氏の案内のもと、南東の海岸沿いを訪ねたことがあり、もっと淡路島のことをよく知りたいと思っていたところに本書が出た。

【関連記事】
石垣の集落




本書の章立てとして、第一部「高低差概論」の3章のうち1章が淡路島。第二部「高低差を歩く 地形視点で町を眺める」の15項のうち4項が淡路島。つまり、全体の3割ほどが淡路島に割かれているので、第一部を通読後、第二部は淡路島から読み始めた。

地形と地質について、すごく大雑把に教えてくれるものはなかなかなく、Wikipediaですらそういうふうには書かれていない。しかし、本書ではズバリ「淡路島の地形と地質は、北部と南部で大きく異なる」と書かれ、それぞれの説明がなされ、こういうことに関心を持つ人が興味を持ちそうな話題を散りばめていく。地質などは素人にはなかなか理解しづらい(覚えづらい)ことだが、それを、興味が向くよう(現地に行きたくなるよう)書かれている。

沼島の項では、こうだ。「島の北側と南側では地質構造や岩石の種類が大きく異なる」。そこには「超希少な黒崎の鞘型褶曲」等々。

通常、高低差本では地形の利用の妙味がメインであり、地質についてはあまり触れないことが多い。高校の授業としてほぼ「地学」がないために基礎知識すらない人が多いために「わかならい」と関心を示さない人が多い(=売れる要素とならない、むしろ逆)と思っているが、地質についていろいろ書いてあっても、それがスッと入ってくる、そこに行ってみたくなる構成になっている。

また、淡路島というと、つい「島」のことが書いてあるかと思いきや、言われてみれば当然なのだが、鳴門の渦潮もまた深く淡路島に関係していて、「淡路島単体」ではなく、「淡路島が果たす役割」「本州や四国との関係」についても多く言及されているのが、とてもおもしろい。紀淡海峡の要塞についてももちろん詳しく述べられている。


『凹凸を楽しむ 阪神・淡路島「高低差」地形散歩』のラストは、淡路島の三原平野の円筒分水群について書かれている。えぬ氏に、そこに連れて行っていただいたときのリンクを下記に示す。

【関連記事】
分流する用水路と円筒分水



今度は2~3日かけて回ってみたい。

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『「地図感覚」から都市を読み解く 新しい地図の読み方』(今和泉隆行)

土木・地図の本



「地理人」こと今和泉隆行さんの新刊。「空想地図」の作者として著名な今和泉さんの、その空想地図のリアリティを支えるのがこの「地図感覚」だ。完全に架空の地図を見る人は、なぜそれに違和感を持たないのか。それを逆から説明し、「地図はこうなっているのだ」と解き明かして、いろいろな地図のスタイルを楽しむことができる作りとなっている。

この手の本として、とりわけ珍しいのは、昭文社の都市地図『街の達人』『シティマップル』から多数の図版を転載している点だ。年代、スケールによる地図表現の違いを比較するためには、同じ会社のシリーズを使うのがいちばんだ。そこには、地図表現の違いはもちろん、制作の理由も垣間見える。それについては後述する。

「地図感覚」とは、今和泉さんが定義した言葉で、「人々が潜在的に持っている地理感覚や土地勘、経験を地図で引き出して読み解く感覚」としている。スケールがわからない場面で自分なりのスケールを持てばすごく状況を把握しやすくなるよ、ということ。

ぼくは日常的に「1歩75cm」「線路は1本25m」「電車のホームは200m」などということを考えながら動いているが、並行して「徒歩なら1km11分」、「都心部、昼間のクルマ移動なら15km1時間」「郊外なら30km1時間」「バイパスなら40km1時間」「バイクでバイパスなら100km2時間」とか、そういうスケールもある。

また、面積で把握するというのもある。100m四方の土地なら、2万5000分の1地図では4mm四方もの大きさで描かれる。2万5000分の1地図で1mm四方では25m四方でいい。約190坪、持つには広いがそれくらいの土地を持つ人は多いだろう。かつてこんな記事を書いたことがある。

・雨竜町にある(あった)「十六万坪」地名


おもしろいと思ったのは、学校の校庭の比較。


学校の校庭というのは、空中写真や衛星画像ではとても目立つものだ。下記のGoogleMapsでところどころ茶色くハゲているのは校庭だ。都市部の小学校というのは一定の間隔で配置されているので、小学校の位置を把握していると、空中写真や衛星画像での地図の把握が容易になる。



上のだと「ラベル」こと物件名が表示されてしまうので、下記に消したものを画像として転載する。


これは新潟市の広域だが、「新潟島」ハゲ部分は、小中学校と高校である(「元」も含む)。いま気づいた、新潟高校は校庭広いな。

ズームアップする。

こうすると、いかに地図のハゲが目立つかわかると思う。

地理人さんの本にかこつけて、いつか書こうと思っていた、校庭の話を書いてしまった。

* * *

本題とは外れるが、作り手側から見た「地図表現」について。

地図出版物がデジタル化したのは90年代から2000年代で、昭文社は2000年代前半まで「従来製版」の地図も刊行していた。昭文社が全デジタル化に時間がかかったのは、一図一図ではなくて「全国をすべて描き、自由に切り出せる」形式で整えたから…かなと推測している。

私が仕事で関わっているところでは、1995年に一気にデジタルに切り替えた。それまでは、要素ごと(※)にそれぞれのフィルムに描き、重ねて撮影していた。製版の精度もいまとは比較にならないので、使う色数は少ない方がよかった(だからCMYKの単色や100%、50%同士の掛け合わせが多い)。それが1995年から一図一図をillustratorで起こしたものになった(※※)。そんな事情も比較で読み取れる。

昭文社のツーリングマップルは、「ツーリンツマップ」時代から愛用しているが、デジタル化した直後はとても見づらくなった。崖の表現や道路の側線があまりに細すぎるようになった。illustrator上では線はいくらでも細くできるが、印刷の限界は、私の感覚では0.12mm。それより補足するとかすれたグレーにしか見えない。そういう視覚を基準に補正していくことも、地図に限らず印刷媒体ではとても重要になる。

(※)道路の側線/載せる色ごと/建物(特建という)/岸線/河川や海の青/山の陰影(ボカシという。これは「絵」だ)/文字、等々。
(※※)
もちろん制作費は莫大だ。A5判で一図10万くらいだった気がする。なにしろガイドブック40冊分の地図予算が1億2000万だ。(それを回収できるくらい売れる時代だったのだ)。


【関連項目】
『みんなの空想地図』(今和泉隆行著/白水社)



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慶應SFC・石川初研究会の展示「庭仕事」と『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』(石川初著)

土木・地図の本

2019年2月7日(木)から10(日)まで、慶應SFC・石川初研究室の展示会「庭仕事」が、渋谷のギャラリールデコで開催されている。SFCの加藤研、早稲田の佐藤研との合同展示だ。


入口ではGPSログが出迎えてくれる。GPSログは、『ランドスケール・ブック』(石川初著/LIXIL出版)の表紙になっているほど石川さんと密な関係のものだが、今回の展示はGPSログは使われてはいるものの、行動や地形にべったりというものはない。おもしろい。

もっとも大きなスペースでの展示は、3年目の神山プロジェクト。徳島県の神山町でのフィールドワークの積み重ねの結果のいろいろな発見。実際に研究室の学生たちから解説を受ける。よどみなく、解釈しきって自分の言葉として話す学生たちは、本当にすごいと思う。

ここに神山の地図をおいておく。青が神山町の範囲、赤が国道。国道といっても、神山町に出入りする道はすべて「酷道」である。(カシミール3D+スーパー地形セット+地理院地図で作成、加工)
 


「道の集落『名(みょう)』の空間構造と景観」。傾斜地の集落には、車道と歩経路がある。それらと敷地・建物の関係を分析している。いくつもの集落を歩き、「名」に出会った。


こちらは神山の市街地で、住人が夕方になるといろいろな目的で歩き始める。そのルートを集めたところ、外部からは道だとは認識できないところが道となっていたり、そういうところを歩くとアップダウンがなくて非常に歩きやすかったりということがあった。それを可視化すると、既存の地図に記載された道とはまったく異なるものができあがった。地域の人にしかわからない小径は無数にある。それらを丹念に拾って気づいたときの喜びというか外部への伝わらなさというか、そういうことまで感じられる。


FAB-Gについては前年の展示に詳しかったし、過去の石川さんのトークや後述する『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』にも詳しいので割愛する。

学生個々の展示は、人の生活・思考を別のスケールで捉えたものが多かった。ありふれた言い方では「再定義」「言語化」とも言えるのかもしれないが、「スケール」という概念をベースに解説することで、展示の統一性も出るし、より思考も整理されていくようだ。
 
この展示が10年、20年と続けば、各年で発表されるテーマの傾向と変遷を社会や個人と結びつけて俯瞰して見る人が現れるだろうし、そのころに集積された神山における視点を見たい。


石川さんの活動のごく一部、主として地図・地形・スケールの面を10年くらい拝見しているけれど、昨夏に刊行された『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』を見て、個々の活動のすべてをスケールで説明しているということに圧倒された。そして、その「スケール」という道具についての説明は、同じ文脈を共有しない人にも、すごくわかりやすく書かれている。

本書には、膨大な、視点を見いだした例とそこからの考察が詰まっていて、その対象は個人の手仕事からドボクにまで及んでいる。一冊の中で整然と並んだそれらを読み終えるとき、読者は自然に副題にある「歩くこと、見つけること、育てること」という行為を、今回の展示のようなものを見るときに対象から読み取ることができるようになるだろう。

本書を読んでおくと、この展示がすべて一つの思考の元に存在していることがよくわかる。自分が学生のときに『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』や石川研があったとしても、自分にはとてもそれらを理解する能力などなかった。優秀な学生たちと一緒に歩いたらさぞ楽しいだろうと思う。そんな機会があったらぜひ参加してみたい。

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まったく関係ないが、神山町の東の外れ、佐那河内村との界には「府能トンネル」の旧道「府能隧道」がある。平成29年の推奨土木遺産に認定されている。以前、ブログに書いていたので再掲する。

・府能隧道(国道438号)





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『ふしぎな県境 歩ける、またげる、愉しめる』(西村まさゆき著)

土木・地図の本


県境(「県」と限定して楽しんでおられるわけではないと思うのだけれど、書名が県境なので、とりあえず県境と書きます)が好きでどこへでも行ってしまう西村まさゆきさんの新刊が、中公新書カラー版として出た。帯の写真のとおり、県境に行き、またぎ、考察する。西村さんは各種メディアでこうしたところの探訪レポートを発表している(し、たぶん発表していないのもたくさんあるだろう)。

2016年4月、東京カルチャーカルチャーで「境界集会~県境 区界 暗渠界 大集会」が開催された。ここで、西村さんのプレゼンを聞き、「県境テープ」を買った。



こういうテープを作らずにはいられないところが、すごく好き。
そのときのまとめはこちら。



さて、本書。一般に、境界の話というと地形図を持ち出してきてその比較…となる。目に見える形では存在しない「県境」という概念を説明するために、概念の塊である地図を見せても、「ふーん…」となる。ところが本書は県境の風景を写真で見せ、県境を挟んでそれぞれに色を塗り、視覚で「右がA県、左がB県」のように見せる。これはモノクロではできない。カラー版新書は製造原価が跳ね上がるのだが、カラーにした理由はこれだろう。

各章がおもしろいのはいうまでもないのだが、本書にはところどころに西村さんによる「現代の感覚」が埋め込まれている。DPZにも通底する、大好きな感覚。「集めてこそわかる」みたいな感覚。

「冗談も真面目に取り組んで三〇年近く続ければ、賞がもらえるのである」(「峠の国盗り綱引き合戦」で浜松と飯田が仲良すぎて萌え死にそう)
「ふざけの力を侮ってはならない」(東京都を東西に一秒で横断できる場所)
「実際にそこに行って見てみるのも楽しいぞ」(あとがき)

この感覚にリアルさを伴わない「一般の人」がこの語句を読んでも気にもとめないかもしれないが、それでも「言われてみれば、テレビもそういうのが多くなった」と気づく「一般の人」も少なくないのではないか。

最初は机上で(地図上で)見つけた場所。そこになにがあるわけでもないが、とにかく見る。知識を得ても「役に立つのか立たないのか、よくわからない」(カーナビに県境案内を何度もさせたかった)。それが、一冊の本になる。すばらしい。行ってみて「ふーん」でいい。3分しかその場にいなくてもいい。でも、行って、見ること、それが大切。「VRってこういうものだよね」とWEB記事で知っていても、実際にVRゴーグルを装着しなければだめなのだ。本書は、そういう感覚を、静かに、強く、「県境」をテーマとして訴えてくる。繰り返すが、地図を掲載して「ここはこうなっている」というだけだったら、この強さは出ない。現地に行って動いている写真があるからこその強さだ。

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冒頭写真、バックに敷いてあるのは『山と高原地図 飯豊山 2015年版』(昭文社)。1988年と1992年の2回、飯豊山縦走の際に、あの県境を歩いている。2回とも、徳沢から祓川に入って前泊、翌日に疣岩から三国岳を通って切合(きりあわせ)で幕営している。翌日は本山、御西、北股を通って門内で幕営。細い県境は飯豊山から西、御西岳まで延びているので、そこも歩いている。三県境付近の分岐で荷物をデポして大日岳へも往復しているので、付近の新潟県側にも足を踏み入れている(その北のほうでは、登山道は山形・新潟県界をうろうろする)。当時もそういう県境であることは知ってはいたものの、目に見えるわけでなし…高校生、大学生のころなので知識もなく、「へー、そう」くらいで通過していた。

なお、登山経験がないけれども飯豊に行きたい方のご参考までに。

西村さんの行程は、川入から(のほうがメジャーなルートではある)、もしかして林道飯豊檜枝岐線を上り詰めて直登するコース(『山と高原地図』では破線となる上級者向けバリエーションルート)かもしれない。そこから飯豊の本山小屋まで歩いてしまうのは、コースタイムで9時間。一般的な長坂のコースなら10時間である。もし聞かれたら、経験者に対しても「やめておくべき、切合の小屋に泊まるべき」とアドバイスする。本山小屋までいきなりいくのは、相当慣れた人でも厳しいと思う。

2015年版の地図を買い直しているくらいなので、飯豊は…というより当時は北の朳差岳に行きたかったのだけれど、行きたいなあ。

* * *

最後、奥付を確認して驚いた。「けんきょう」だと思っていたら「けんざかい」とルビが振られていた。よって、本書の読み方は「ふしぎなけんざかい」。どっちが正しいということでもないけれど、いままで西村さんも口頭では「けんきょう」とおっしゃっていたような…? なお、地図用語としては「県界(けんかい)」となる。




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『地図と愉しむ東京歴史散歩 地下の秘密篇』(竹内正浩著)

土木・地図の本


2011年に最初の『地図と愉しむ東京歴史散歩』が出てから5年。シリーズも第5弾となった。資料は手を尽くせばほぼ入手できるものながら(後述する駅の標高データは除く)、それらを俯瞰した上で、著者が縦断して読み解いていく。それが、本シリーズの、というか本著者のおもしろさだ。
 
いままでは地図も地形が表現されたものが多かったが、今回は「地下の秘密篇」ということで、そうした印象はほとんどなく、東京の地下鉄の断面図が、巻頭にカラーで掲載されている。

巻頭の断面図はこのとおり。例えば有楽町線、麹町や銀座一丁目のホームが上下になっていることまで再現されている。こうして圧縮された断面図を見ると、地下鉄の起伏の激しさとともに、ルートが標高(*)0mより下か/上か、という観点で見ることができる。本書の第1章にして4割ほどの分量を占める地下鉄の章は、なぜその標高をとっているのかを明らかにしていく。われながら、地表面から何m下かばかり考えていて、それを考えたことはなかった。

(*)営団・メトロでは、一般に地形図で使われる「標高」と同じ東京湾中等水位(T.P.)を使用しているが、下記画像でわかるとおり、すべて「+100m」で記載されている。都営地下鉄は…本書をご覧ください。

また、本書は巻末に、東京の地下鉄全駅のデータが掲載されている。特に「地表からレール面までの長さ」「地表の標高」「レール面の標高」は、貴重なデータだと思う。どこからとったのだろうか、各線の建設史を見ても、記載はない。建設史は、このようなものはあるのだが。

 

 
どちらも『有楽町線建設史』より。ただし、各駅もフラットではなく、勾配にある駅も多い。本書で「レール面の標高」などとあるのは、停車場中心でのものと考えた方がよかろうか。上の断面図の1枚目、「粁程」が「料程」と誤植されているのはご愛敬。

  もし、営団地下鉄の建設史やパンフレットを持っている人は、改めて、その面白さにも気づくはずだ。なお、私は以前、『東京メトロ 建設と改良の歴史』という本に携わった(上記。「参考文献」にも挙げられている)。こちらにはそうした資料が、なんとか読める範囲で収録されているので、ご参考まで。ただし、版元ほぼ品切れ。
* * *

一つ、本書をより愉しんでいただくために、P21の「なぜ丸ノ内線は神田駅を避けたか」を補足する資料を掲載したい。P23で書かれている「アツミマーケット」の話だ。


 
火災保険特殊地図(都市製図社1950年08月版)をつなぎ合わせたものだ。「アツミマーケット」の文字はないが、線路南東側にある一角を指すのだろう。興味を持った方は、周辺の神田を初めとしたヤミ市の話を、こうした貴重な路面図を使って述べた『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』(藤木TDC著)もぜひご覧いただきたい。

* * *

地下鉄に関する記述があまりによくて、長くなってしまった。続く第2章は「都心の地下壕の話」、第3章は物理的な地下ではなく精神的な地下である「怨霊神の系譜」、そして第4章は、本書のタイトル「地下の秘密篇」はここまでの3章をいうのであって、これはカバーしていないのだろうなと言うテーマ「団地の土地を読み解く」。それぞれ、土地の事情、土地の記憶と密接に結びついた話が展開する。シリーズもここまで来ると、著者の興味の対象もおのずと見えてくる。本書、本シリーズは、そんな読み方をすると、なお興味深く読めるものと思う。

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『水害 治水と水防の知恵』(宮村忠著)

土木・地図の本

最初に断っておくが、常総市での鬼怒川の氾濫に象徴される「平成27年9月関東・東北豪雨」が生じる前から入手していた本である。読み始めたのは「その後」だったが。

本書のサブタイトルに「治水」と「水防」という言葉が見える。これを切り分けて考えたことはなかった。「治水」は河川を制御する為政者側の考え、「水防」は自ら水害に備える住民側の考え、と読み替えるといい。

本書は豊富な水害の事例を挙げ、そこで浮き彫りになった問題点を突く。目次を紹介しよう。初版は1985年の本なので、1982年の長崎水害から話が始まる。

序章  パニック--長崎水害の教訓
第一章 治水のフォークロア
 全国各地の水防の知恵が90ページ以上にわたって紹介される。
第二章 水防の騒乱
 利根川の中条堤という水防の考え方
第三章 利根川治水の展開
 前章を継ぎ、特に明治以降の利根川への治水の考え方の変遷
第四章 治水と水防の変遷と構図
 近代の治水史
終章  近代治水の課題

おそらく、土木に関することを読むのが好きな人は、第一章と第四章に大きな興味を持てるだろう。ここだけ読んでも本書の目的は達せられると思う。繰り返し、水防と治水のことが出てくるからだ。

大河川近辺には、数多の氾濫の痕跡があるのは、このブログでも何度か採り上げている。また、そうしたところでは、比高地(高台になっている場所)には古い集落があることも知られている。それは「水防」の一つの姿である。家の立地は洪水に備えているのである。

カシミール3Dで見る新潟県(旧)上越市と旧頸城村の境、保倉川の氾濫原と蛇行跡
柏崎市 鵜川の改修跡と元・氾濫原
沢海に見る阿賀野川の氾濫の跡
旧河道近くの集落は高台にあるということ

また、堤防も、古くから水防の施設として議論の的となってきた。本書は利根川の中条堤(*)とその考え方を頻繁に採り上げる。その中条堤のおかげで、明治以降、利根川の治水が迷走してきた経緯も丹念に説明する。利根川は、全国の他の河川に比べると、為政者も住人も、また社会的な背景も加わってなかなか整合性のある施策がとれなかったようだ。

(*)利根川の流量が増えたときには、中条付近(ちゅうじょう。いまの埼玉県行田市・群馬県千代田町の行田側)に溢れさせ、中条堤という利根川に対して枕木方向につけられた堤防で受け止め、中条堤より上流部を遊水池のように利用し、下流域を守る水防の方法である。こうなると、中条堤の下流は「堤防を強化すべし」という意見になるし、上流は「少しでも低く」となる。

こうした話を、水害は特殊な災害であるという観点で語られていく。どう特殊なのかは、本書で繰り返し述べられる。
* * *

中条堤について。

下の地図真ん中よりちょっと左の黄色い部分に「酒巻」とある。ここが狭窄地点だったところ。左側の右岸、山型に左下に伸びる(福川の旧河道の右岸に沿う)堤防が中条堤、これを「枕木方向」と表現した。つまり、下の地図の左の三角に溢流させることで、地図右側(下流)を守っていたのだ。
 
(kashmir3D+5mDEM+数値地図25000、以下同)

上の地図の左。標高の色は地図ごとに変えてある。
 
この地図の右側が溢流部地図中央あたりは、旧河道がよくわかる。

そのさらに左。やはり、旧河道がよくわかる。
 

* * *

水防も治水も、洪水という災害に対する活動である。近年、災害に対して行政に100%の完璧な予防を求める声が大きいのに個人的に辟易しているが、30年前の本書では、治水と水防が近代に分離したために「水害が起これば行政の怠慢だけが指摘攻撃されるようになり」、公害などの人為的な災害は本来「徹底的に防止」されることが求められるのに「被害を軽減する」という方向になり、地震や噴火などの自然条件での災害、水害などの自然に働きかけることによる災害は「徹底防災」が求められるようになったと指摘している。これは現在でも通用する指摘だ。

こうした水害に対する概念と「水防」という知見が大きく広まることを期待したい。




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