深川東京モダン館で表題のイベントが開催されたので申し込んだ。講演は八馬智氏、北海道はじめ各地の橋梁デザインに関わった方だ。講演は2時間を超え、内容は多岐にわたったが、私が感じたことをひとことでいうと「デザインというのは、さまざまな考え方との戦いなのだ」ということ。自分が確たる考え方を持っていないと、デザインはできない。これは、先から引用している『近代日本の橋梁デザイン思想』で述べられている内容とも一致する。 日本語で「デザイン」というと「見た目」と捉えられがちだが、本来の英語ではむしろ「設計」のニュアンスを強く感じる。しかし、術語としての「design」の解釈が私自身非常にあやしいので、ここらへんでとどめておく。 たとえば、こういう例が出た。なぜ、橋台部分と擁壁がこの形になったのか。それを、ここに至るプロセスや他の案も交えて解説があった。視距や心理的負担を考えてのことだという。そのあたりを自分で煮詰めていき、「この案でなければならない」というところへ持ってきて初めて、デザインを提案できるのだと思う。狭苦しい下路トラス橋が嫌われるのもむべなるかな。 「自分のデザイン」というものがないと、他の例について論理的にコメントすることができない。その例がこれだと思う。 この「橋は(というより、長期間、場合によっては100年間以上も使用され続ける土木構造物は、利用者に選択権を与えない/好むと好まざるとに関わらず、そこに存在する」というコメントは、八馬氏が「どこまでがデザインなのか」を明確に定義している証拠だ。 この「かえる橋」は「勘違いのデザイン」の例としてあげられている。これは何度かツーリング中に見たことがある。これを地元の人は数十年、もしかして100年以上見続けなければならないのか。そういうものなのに、こんなデザインでいいのか。そこまで重要でなくても、橋の名称が「ときめき橋」とか「ふれあい橋」でいいのか。つまりはそういうことだ。 八馬氏は「勘違いのデザイン」を、1980年から2000年の間の歴史に位置づけている。全力で納得する。実は「勘違いのデザイン」がなされたのは橋だけではない。鉄道が好きな人なら、国鉄末期に「地方色を出す」という三重目で、地方の車両工場や関係者が「勘違いデザイン」した、珍妙なカラーリングの車両たちを思い出すことができるだろう。「車両」という直方体という特性も、利用者の視点もないままに施された狂気の色。いまでも統一感をまったく欠いた、JR西日本の痛々しい地方色(順次ソリッドカラーに塗り替えられて消滅する運命にはあるが)はその例のひとつになると思う。 八馬氏は、秋田の臨海大橋のデザインも手がけた。欄干、照明、親柱も氏の手になる。特徴的なのは親柱だ。 欄干との間に隙間があり、パイプが柵の役割を果たしている。これは、桁が伸縮する際に親柱と欄干の間隔が変化するのを、パイプが欄干側に刺さるのではなく、スイングすることで変化させないという方法をとるものだ。秋田県に行った際にはぜひチェックしてほしい。 この講演のustはこちら。 PR |
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