江東ドボクマッピングのあと、かの有名な八幡橋に行ってきた。 この橋については、ネット上にいろいろな言説がある。曰く、 「日本で初めての鉄橋」 「東京で初めての鉄橋」 「初めての国産鉄橋」……。 ちょっと待て。「弾正橋」として架けられたのが1878年(明治11年)。この時代、既に鉄道も走っている。ということは、鉄橋も既にあったはずだ。そういえば、大阪の浜中津橋は1874年(明治7年)の鉄道開業時の橋梁からの転用である…。 『新版日本の橋』によると、日本最古の鉄橋は長崎の「鉄橋(くろがねばし)」。1868年(慶應4年)。竣功か供用かは不明(以下同)。2番目は翌年の横浜の吉田橋、3番目が大阪の高麗橋。その「鉄橋」は「アーケード国道」こと国道324号にある。場所はここだ。 さてこの八幡橋、文化庁の重文指定には「東京に架けられた最初の鉄橋」とある。それ以外で、公的に「日本初の」という記事はネット上にはなさそうだ。付近にある「来歴」にも「東京市最初の鉄橋」とある。つまりは「日本初」はデマである。 書きたかったのは八幡橋のことではない。すぐ近くに保存されている「新田橋」のことだ。 こんな感じで草に埋もれている。柵の向こう側にあるので、もちろん中には入れない。 このワーレントラス橋は、長手方向に何本か細い棒が渡してある。 その棒の端部はこのように回転可能のようだ。 これを見て、この棒はトラス変形時の修正用だと気づいた。古い客車の床下のトラス棒、アレである。 ターンバックルもあった。 間違いない、これで歪みを調整していたのだろう。 それにしても、1932年開通。その時点で、こんな歪み調整用の棒を持つ橋がなぜ誕生したのか。予算か。町工場が作ったから新しい理論とは無縁だったからか。謎は深まるばかりだ。 PR |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|