昨日の車止めの下にある桁(豊橋鉄道渥美線 三河田原駅)について、『鉄道ジャーナル』でおなじみの土屋武之さんと、古レールに造詣の深い小倉沙耶さんから下記のようなご指摘をいただいた。
そうか! 渥美線が、三河田原から先、営業キロでいうと2.8km延びていたのは知っていた。昨日のエントリを書く前にも、古い航空写真を何枚か確認したし、現在のGooglemapsも見て「廃線跡がよくわかるな」と思っていたのだ。しかし、迂闊にも、その廃線跡との関連性に気づかなかった。 ということで、昨日のエントリのテーマ、「なんで車止めの下に桁があるのか?」という問いに対しては、「その先に線路があったものを、たまたまそこでぶったぎっただけ」というのが答えになろう。 ただし、旧版地形図を見たわけではないので、その桁の下に何があったのかの特定はできていない。開渠だったと推測するが、ではそれがどこからどこに至る開渠だったのかはわからない。機会があったら九段下で確認してきたいと思う。 PR |
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