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先に紹介した
上淀川橋梁(東海道貨物線)
上淀川橋梁(東海道貨物線) その2
吹田~新大阪間の経路変更は1912年か1913年か
東海道本線上淀川橋梁(上り内外線)(貨物線の桁との比較)
の続き。

タイトルに挙げたものを逆から書く。まずは、上淀川橋梁の下り内外線をば。
20110205-02.JPG訪ねたのは2010年5月中旬。このときは桁の塗装をしていた。この単線鈑桁を並列させた下り内外線は1956年開通。橋脚は鉄筋コンクリートで間隔は既設のものに揃えられている。現場で塗り替え作業をしている方が多数いるので、カメラを向けるのに少し抵抗があり、ほとんど撮影していない。

さてここで西(上の画像左方向)に目をやると、国道423号の新淀川大橋が目に入る。
20110205-01.JPG地図にマークした橋は、JRの路線では桁が短いために8~9スパンを要している新淀川を、わずか3スパンでまたぐ。上流側(地図右)から、1964年(昭和39年)開通の国道423号(現・南行き)、同時開通の地下鉄御堂筋線、1969年(昭和44年)開通の国道423号(北行き)が開通。御堂筋線のランガー桁が目を引くが、道路は鈑桁である。この中央径間は115mある。

なぜ御堂筋線だけランガー桁としたのかまでは調べきれていないが、「中央径間115m」の由来は戦前の都市計画に遡る。簡単に言うと、この中央径間に1939年(昭和14年)までに自碇式吊橋をかけるための下部工事が完成したものの、資金不足から中断され、それを活用したのがこの新淀川大橋なのだ。。


閑話休題。である。ここまでのことは、余談でしかない。上の写真をよく見ると、ランガー桁の下に、トラス橋が見える。よくみる11パネルのプラットトラスではないか。どうやら水道橋。
20110205-03.JPG美しい。スパン36.88mの8連。


11パネル…。向かって右には端柱(\)に向かって/|という部材があるから、12パネルと考えるのだろうか。そして、なぜ右だけにそれがあるのか?

20110205-05.JPG斜橋だからだ。橋台は隅石を備えた煉瓦製。この落書きにも腹が立つ。

振り返って裏側。
20110205-06.JPG2本の水管が通っている。中央は点検通路だろうか。

端部に寄ってみる。
20110205-04.JPGこの橋を渡らないように、柵がしてある。

この水道橋を、本庄水管橋という。迂闊にも銘板などを調べなかった。撮ったときは、行きがけの駄賃程度の意識だったのだ。なんという意識の低さか!

この本庄水管橋が供用されたのは1911年(明治44年)。現在は使用されていないらしい。それどころか、沈下や橋脚付近の洗掘で、トラス桁そのものが歪んでいるようだ(ソースにあたっていないが、参考文献参照)。

1911年以前の作となれば、鉄道ではアメリカ製の桁を輸入していた最後の時期。しかもピントラスだった。それに対して、この本庄水管橋はガセット結合である。メーカーはわからない。


ここを航空写真で見るとこうなっている。



新淀川の途中で、水管が川面に没しているのだ。この本庄水管橋が供用される直前、1910年(明治43年)には淀川がほぼ現在の形になっているというのだから、「かつてはトラス桁部分が水路で、そうでない部分は河川敷」というわけでもないだろう。この本庄水管橋は「大阪市の西部・中部幹線」を構成しているらしいが、配水のルートはまったくわからないし基礎知識もないので、いろいろ不明なままである。


<参考>

大阪市市政>市の主要計画、指針・施策>川・橋>橋>橋の紹介>橋名一覧新淀川大橋
・国道交通省内>近畿地方整備局>近代土木遺産のページ(こちら
本庄水管橋の構造調査と補強工事について(荒木貞行)
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