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本書の章立てはこうだ。

第1章 鉄道操觚者・木下立安
第2章 伝説の特ダネ記者・青木槐三
第3章 忠犬ハチ公を巡る鉄道記者たち 
 細井吉造、林謙一、渡邊紳一郎
第4章 『国鉄物語』の門田勲
第5章 レイルウェイ・ライター 種村直樹

タイトルを見て、鉄道記者たちが、いかに現場に入り込み、どのように国鉄幹部と親しくなり、あるいは取材し、どのような記事になり、それが社会的にどういう影響を及ぼしたかが書いてあると、勝手に思っていた。ところがまったく違っていた。章立てにある記者らの人となりは、本書からはまったくわからない。稀に見る駄本だった。どのようにひどいかを上げるとほぼ全部を転載して突っ込まねばならないほどだ。

著者は毎日新聞のOBである。本書は、著者の先輩、後輩が何年生まれで、何大学で、入社後はどんな記者で、趣味が何で、誰を尊敬していて、その誰は何年生まれで、何大学で…といった内容が延々続くと思っていい。



例えば、門田勲の章。彼は『国鉄物語』という連載を書いたのだが、その取材方法などは一切出てこない。この章では門田の鉄道記者に関連するとかろうじて言えるのは、わずか6行、「国鉄組織は大きいと思った」というような感想だけである。

詳細に書こう。門田の章はP172からP212だ。

P172-173 著者の入社当時の上司やその息子の話。
P174-185 『国鉄物語』の記事引用。新幹線無人運転の項では柳田邦夫を引用。
P186-189 門田に憧れた本田という読売記者が三河島事故の記事を書いた話。
P190-191 三河島事故の乗客が著者の先輩であり、彼のスポーツ趣味と著書の紹介。
P192 JR東日本の「事故の歴史展示館」における三河島事故の扱いの話。
P193-196 「本田に戻って」(←門田に戻れよ!)本田の東京オリンピック記事
P197-205 門田の訃報と、門田の警視庁詰め時代の話
P205-212 朝毎読が有楽町にあった時代の話

さて、どこに門田の「鉄道記者」の記述があるだろうか?



同じように、慶應義塾の成り立ちが延々10ページ書かれていたり、時事新報の話が10ページ続いたり、明治5年の鉄道開業時の話が8ページあったり、「余談ながら」と記者の先輩や後輩の人となりの話が2ページ、3ページとつづいたり、といった塩梅だ。

また、事実誤認というか、本書内での矛盾も散見される。「つばめ」の試運転に同乗した青木のレポートはP235では走行中の窓から沼津や静岡で落としたと書いているのにP120青木の項では「停車する駅で…受け取って」と書いている。

私の感覚では、「鉄道記者」という書名に期待する内容は、ほとんどない。あってもまとめれば10ページもない。交通新聞社新書はデキにムラがあるのは過去にも書いたが、いくらなんでも、これは編集者が間に入ってできた本だとは思えない。なんらかの事情があって、受け取った原稿に手を入れることができず、そのまま本にせざるを得なかった。そんな穿った見方をしてしまうほど、本題とも章題ともかけ離れた内容だった。

もし私がこの原稿を受け取ったら…修正不可能なので、すべて書き直してもらう。少なくとも章題と関係ない先輩後輩ネタはすべてカットする。拒否されたら出版中止する。


●関連項目
『人物国鉄百年』青木槐三(中央宣興)

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(カバー画像は講談社公式サイトより)
B5判、カラー16P+モノクロ144P、定価2800円+税。

「はじめに」に「本書はあくまでも鉄道趣味者的観点から捉えたものであって」とある。だから、とても親しみやすい。得てしてこういうタイプの本は資料たるべきという観念が面白さを削いでしまうのだが、貴重な写真、「すごい」写真をふんだんに掲載している。

書名のとおり「情景」が移し込まれた写真が多い。そのため、雰囲気がよくわかる。オフロードバイクで北海道から九州、屋久島、沖縄まで林道に入り込んだが、林道の雰囲気と基本的には同じだ。そして、その頃はまったく考えもしなかった林道本来の役割が、本書には詰まっている。車両研究の本ではないので、車両の形式写真はないし、解説もない。本書はそれでいい。鉄道模型のジオラマのモチーフにしたくてたまらない情景が詰まっている。私にはそんな知識も技術もないけれど。


本書には本来の目的ではないけれど私が面白い、貴重だと思うことが三つある。

一つ目は、木製橋梁が多く掲載されていること。ハウトラスの実物はなかなかないし、森林鉄道でもトラスを架けるほどの規模だと鉄橋に架け替えられたものも多いが、斜材に木材、垂直材に鉄の棒を使ったハウトラスの写真がいくつかある。美深(仁宇布)森林鉄道では、吊橋の補剛桁をハウトラスにしているものが載っている。

二つ目は、木製扉の菱形・バツ型等  がたくさん掲載されていること。森林鉄道の車庫の扉などは当然木製で、それが全国的に分布していることがわかる。

三つ目は、地図記号との関係。これはコラムとして掲載されているのだが、国土地理院の地形図において、同じ地図記号(特殊鉄道)に対して添えられている文字としては次の名称があるそうだ。
・森林鉄道
・森林軌道
・森林用軌道
・山林軌道
・林用軌道
・林用鉄道
・林用馬車軌道
・林用機関軌道
・林用ガソリン軌道
・林用手押軌道
・林用台車軌道
・林業用馬車軌道
・牛車軌道
本書には、どの図幅にこの名称が使われているかも記載されている。

手元にある5万分の1十石峠(昭和41年3月30日発行)は「林用軌道」だった。

国土地理院のサイトにある凡例では、立山砂防軌道が採り上げられ、そこには「砂防工事専用(軌道)」の文字が見える。

* * *

西さんには、『カシミール3Dで見る・自分で作る 空から眺める鉄道ルート』(松本典久・杉本智彦著)という本を作ったときに、安房森林軌道の写真をお借りしたことがある。それと同じ写真が、巻頭カラーで掲載されている。ネガで撮られた、柔らかい色調の写真だ。

ただ、本書のつくりについては、講談社の子会社が編集したとは思えないような、いささか稚拙な面がある。まず、校正漏れが散見される。また、「はじめに」が1ページあるのに「おわりに」ではなく「あとがき」、しかも奥付に小さく載っている。そして帯の表4側、掲載路線が羅列されているが、「載せればいいというものではない」というほどに見づらい。これらはすべて編集の責任であり、著者の責任ではない。もう少し丁寧に作って欲しいと思う。

1万部、2万部売れるものではなく、多くはない一定の数の読者に行き渡って終わり、という本だと思うが、琴線に触れる人すべてに行き渡ってほしい本だ。
大月市内で見かけたクリーニング店だった建物。「だった」というのは、オンライン地図にはその表記がないからだ。とはいえ、玄関戸にも軒下の看板にもその旨、書いてある。

まるで駅前旅館のような立派な玄関戸を開けると、中はどうなっているのだろうか。カウンターだろうか。向かって左手、一階は作業場だろうか。それにしてはスチームの配管がない。見えないだけかもしれない。


新潟の「潟」を「泻」(シ+写)と書くのは地元では当たり前なのだが、県外んショが見ると「なんだこれは!」と驚くようだ。この文字についての考察はいくつかサイトがあるが、それは検索していただくとして、千葉にこの「泻 」があった。干潟駅の近くだ。

そもそも「潟」がつく地名はそれほど多くない。全国的には秋田の大潟町・八郎潟が有名なくらいだろうか。ほか、新潟に圧倒的に集中している気がする。


国道4号線沿いに、閉鎖された給油所があった。真っ白に塗られた給油所は通り過ぎることのほうが多いが、その前をかすめながらなにかしら痕跡をみつけたら停まるようにしてる。ここでは、ラウンドしたサービスルームに美しさを感じた。

裏手に回ると、防火壁の裏側に「日石三菱」と浮き出ていた。実際にはこんなにはっきりとは見えない、これは画像処理をした結果である。

この給油所、末期はプライベートブランドだったようで、ブランド名のないサインポールが残されていた。国道4号のこのあたりは1990年代に、つまり現役時代に通っているはずだ。しかし、まったく記憶はない。





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