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下北半島のある集落で、道の両側に給油所跡があった。

 
向かって左が太陽光発電の敷地になっている。

 
防火壁が黄色なので、もしかして大協石油?とも思ったが、@g_standさんのご教示によれば、大協ならばもう少し黄土色なのでは?とのこと。だしかにシンボルマークも見えていない。そして、下部には緑が見えている。

 
対して、その向かい(冒頭写真の右)の給油所跡。防火壁下部に緑のラインが見えている。

 
アイランドも緑色。この計量器は、日石CALTEXの給油所跡で見たことがある(ただし白い部分は赤だった)。

とはいえ、こちらの防火壁にも、ブランドのシンボルは見えない。単に、PBブランドとなったときに白と緑に塗り分けただけかもしれない。

1997年3月版のツーリングマップルでは、ここには給油所のマークはない。その時点で営業はしていなかったものと思われる。

防火壁下部が緑ということで、日石カルテックスではないかと思い、ここにカテゴライズしたが、もとのブランドはどこだったのだろうか。




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渥美半島の根元の駅裏に、いくつか日石蝙蝠マークのついた小さな石油貯蔵タンクがある。その外見や手すりの状態からして、もう使われていないものだろう。豊橋市にはマルシメという石油を扱う会社があるので、その所有だろう。ENEOSの給油所を多数経営しているが、一つだけ昭和シェル石油の給油所もある。経緯がおもしろそうだ。

 
このように、大きなタンクが5基並んでいる。


うち二つは、写真右のように、下部が囲われている。

 
こちらの蝙蝠は、黒の塗料が褪せてきたか、さび止めの赤い蝙蝠になってきている。









 
かつて国鉄の航路があった街。10年ほど前までは、瀬戸内へのフェリーや高速船が何航路も発着していたが、いまはゼロとなった。その一角の駐車場の壁。珍しく、以前のマークが見えておらず、つまり「二重」になっていない。


 
反対側にもある。こちらも「二重」になっていない。筆運びがよくわかる、手書きの日石借るテックスマーク。

 
海がほど近いこの集落に、こんな感じで佇んでいる。防火壁だけが取り残された給油所は、なんだかまったく異様に感じる。














 
しまなみ街道が通る島に、ひっそりと残る壁。壁は南に向いてるが、目の前に倉庫が建てられたため、日差しが遮られている。

 
島内のメイン道路から見える場所ではあるが、右の壁の下部の緑のラインで気がついた。Googleのストリートビューでは見えない。






 
大分の山間の集落で目にしたサンライズ。三囲になっているはずの防火壁、コンクリートブロックでできたこの面以外は生け垣に覆われている。その中に壁は残っているのだろうか、それとも撤去されて生け垣になっているのだろうか。





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