(この位置が第5相沢川橋梁であるかどうかは、現地の確認をしていないため不明)
推定:初代第5相沢川橋梁。古写真『27.東海道線(水害) :東海道御殿場駿河駅間線路水害の惨状(四)』(土木図書館蔵)より。105フィート上路トレリストラスは3連が製作され、1連が第4相沢川橋梁に、2連が第5相沢川橋梁に使用された。この古写真で落橋しているのがトレリストラスかどうかは確認できないが、パネルの長さが存置している桁と同じように見えるので、2連が架けられた第5相沢川橋梁だと推定する。 この写真からはやはり推定できないが、前日に挙げた『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)に掲載されている図面や『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第6報) 国内設計桁』(小西・西野・淵上)掲載の写真を見ると、このトレリストラスは11パネルで構成されている。 このトレリストラス桁は1901年頃撤去され、鉄道院新橋工場にて下記の長谷川橋梁に改造された。写真で見ると、6パネルになっている。高さも大きくなっているようである。図面は前述小西・西野・淵上論文に記載があり、径間105フィート、高さ20フィートである。 下記の写真ではわかりづらいとは思うが、斜材や垂直材に、不自然な場所で添接している部分がある。いずれ、そういう場所をクローズアップした写真を用意せねばなるまい。これを撮ったときには、これらの経緯が頭に入っていなかったので「普通に」撮って終わってしまった。 PR |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|