(この位置が第5相沢川橋梁であるかどうかは、現地の確認をしていないため不明)
この写真からはやはり推定できないが、前日に挙げた『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)に掲載されている図面や『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第6報) 国内設計桁』(小西・西野・淵上)掲載の写真を見ると、このトレリストラスは11パネルで構成されている。 このトレリストラス桁は1901年頃撤去され、鉄道院新橋工場にて下記の長谷川橋梁に改造された。写真で見ると、6パネルになっている。高さも大きくなっているようである。図面は前述小西・西野・淵上論文に記載があり、径間105フィート、高さ20フィートである。 下記の写真ではわかりづらいとは思うが、斜材や垂直材に、不自然な場所で添接している部分がある。いずれ、そういう場所をクローズアップした写真を用意せねばなるまい。これを撮ったときには、これらの経緯が頭に入っていなかったので「普通に」撮って終わってしまった。 |
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