第3酒匂川橋梁を国府津方から見る。下流川(海側)である。 手前が新トラス、奥が東海道本線天竜川橋梁から転用されたプラットトラスである。「転用された」と単純に書かれるが、それに必要な注釈をここで書く。 上流川(山側)から見る。 画面を圧縮するほど迫力は増す。 そんなことよりも、パネル数に注目して欲しい。8パネルである。上弦の水平部分は2パネル分しかない。 ここで転用元である天竜川橋梁について思いを巡らす。現在の下り線に、アメリカン・ブリッジ製の橋梁が19連架かっている。それは、本来上り線用の桁だったもので、1913年に二代目の桁として架けられた。1969年に現在の下り線に移設されている。 この第3酒匂川橋梁に転用されているのは、そちらの桁ではなく、ほぼ同時期の1914年に供用開始された当時の下り線用トラス桁であり、こちらは横河橋梁製であった。1968年に使用停止されてそのまま存置されていたが、御殿場線が水害に見舞われて三代目第3酒匂川橋梁が被害を受けた後、1973年に転用された。転用に際して、ピン結合を剛結合に改造している。鉄道院設計桁は、当初はピン結合のプラットトラスであったが、1916年頃のものよりリベット結合のワーレントラスとなった。なお、現在の天竜川橋梁の上り線にはワーレントラスの桁が架けられている。 ここでようやく8パネルの話につながる。その200フィートトラスは、アメリカン・ブリッジと横河橋梁がそれぞれ製作したということで、てっきり9パネルの、いわゆるクーパートラスかと思っていた。ところが、こうして第3酒匂川橋梁を見ると8パネルである。パネル間を延長するような改造などするものだろうか? そう思って調べれば、アメリカン・ブリッジが製造したにもかかわらず、天竜川橋梁はクーパートラスではなかった。鉄道院による国内設計の桁であり、それを両者が製造したものであった。最大の違いは活荷重であり、クーパートラスはE29(最大軸重29000ポンド=約13.15トン)であるが、この国内設計200フィート桁はE45(最大軸重45000ポンド=約20.4トン)である。最大の見た目の違いは9パネルが8パネルになったことである。高さも34フィートから36フィートに拡大している。 いささか余談になるが、このE45という荷重は、最大軸重16.8トンであった(碓氷峠のみ18トン)のちの国鉄基準よりも大きい。このE45という活荷重は、広軌への改軌(と同時に軌道改良 で軸重を増大)を目的としたものである。広軌を目論んだ戦前の鉄道院~鉄道省の一派の動きが、この御殿場線に息づいているのである。 E45荷重の桁が何連あるのかは未調査だが、1912年に制定され、幹線筋でのみ採用されたのちに広軌化は中止、1921年にはE40を最大としたため、その数は多くないはずである。 国府津方の銘板。 日本国有鉄道
1973 KS-18 TTR 862-5 滝上工業(株)半田工場 沼津方銘板。書かれていることは同じ。この「TT-R862-5」というのは図面番号か。同タイプにして同様に転用桁である旧神岡鉄道の第二高原川橋梁には「TT-R862-1」と書かれた銘板がある。ここは何度も通っているが、つい写真を撮ってない。この態度を反省すべき>自分。 PR |
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