先に書いた『本邦最古の鉄道用桁 浜中津橋(大阪府)』にも写っている、すぐ隣り(東側=上流側)にかかる三複線の橋梁である。とても撮りづらい。歴史的鋼橋として記載されているのは、ここに紹介する桁と堤防を挟んでつながる『新淀川橋梁』の下流側の2複線。ここに掲載するのは、かつて長柄運河だったところに架かる桁のみであり、おそらく『新淀川橋梁』ではない。正式名称は不明なので、『長柄運河の橋梁』とする。 元々、この下流側の2複線しかなかったのだが、上流側にさらに複線が開通したのが1959年(昭和34年)2月18日。これをもって、梅田~十三間が3複線となった。なお、地形図はその差異をなぞっていない。以下、便宜上、下流側から「下流桁」(トラス+鈑桁)、「中央桁」(トラス+鈑桁)、「上流桁」(鈑桁)と書く。 中央桁。5格間の100フィートプラットトラスだ。おもしろいのは中央格間にハシゴがつき、上弦に登れるようになっていることだ。通常、この手の階段は端柱に刻んである。 支承部分。 中央桁の裏面。 下流桁の裏面。 右=中央桁、左=下流桁。 上流桁。これのみ、1958年(昭和33年)製造である。他のトラスは、1926年(昭和元年)7月3日開通となっている。 この3複線区間の歴史はいささか複雑である。私自身が阪急に詳しいわけでも基礎的知識があるわけでもないので、ボロがでないように書く。 ・1910年(明治43年)3月10日 箕面有馬電気軌道がこの区間を開通。 ・1926年(大正15年)7月5日 高架化(下流桁と中間桁使用開始) ・1959年(昭和34年)2月18日 3複線化(上流桁使用開始) 上流桁のみ銘板がある。上り線の桁の東側、梅田方のもの。 京阪神急行電鉄株式会社
活荷重 71.12t 電車荷重 支間 35.600M 重量 37.080T 汽車製造株式会社 昭和33年製作 「京阪神急行電鉄」と名乗っていたのは、1943年(昭和18年)10月1日 から1973(昭和48年)3月31日限り。 「汽車製造会社」が存在していたのは、1972年(昭和47年)まで。 もう一丁。下り線の西側、梅田方についているもの。 こちらは左上のネジが飛ぶのが仕様らしい(笑) PR |
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