木曽森林鉄道の橋梁の遺構として有名な鬼渕橋梁。すでに製作から99年を経ている。道路用に転用されたが、現在はすぐ横(南側・下流側)に新しいランガー橋が架設され、いまは封鎖されて保存されている。なかなか引いた写真が撮れないのが残念。
写真左(西)から、上路プレートガーダー、下路プラットトラス、その向こうは上路ワーレントラスの3径間。それを、新しい中路のランガー桁はひとまたぎにしている。 このように。河床には脚を建てないに越したことはないので、完璧な「新道」である。 方向が前後するが、鬼渕橋梁たるプラットトラスを西から。橋門口の、ふたつの大きな四角形+対角線がかっこいい。 トラスの左側(上流側)に歩道がある。これは道路橋に転用した時に増設したものだ。 左側に「鬼渕橋」と書かれた銘板が見える。 歴史的鋼橋集覧によれば、最初期のリベット留め国産鉄道用鋼橋で、鋼材も八幡製鉄所製。1913年製だが、この数年前までは、まだアメリカ製のピントラス全盛期だった。 茶色く錆びたトラスの隙間から、床版を支える縦桁のピンク色が見える。これは道路橋に改造した際に追加した部材だろう。 こうして、100年前の、日本の製鉄の夜明けのような時期に生産された鋼材でできた橋が、錆ているとはいえ部材が欠けることもなくいまここにあるというのは、すごいことだと思う。 東側の左側には、大正二年の横河橋梁製作所製作の銘板がある。右書きだ。右側には「鬼渕橋」の銘板があるが、前出のものと同じなので省略する。この銘板は、道路橋に改造した際に取り付けられたものだろうと推測する。鉄道橋には橋梁名の銘板がつくことはない。こちらにかつての西側の姿があるが、銘板はない。 続いて、西側の鈑桁。 ありふれた道路橋にしか見えない。 橋脚はコンクリート製に改築されたか、補強されたか。こちらにかの湯口徹氏の写真があるが、どちらの橋脚も石積みに見える。 東側の上路トラス桁。橋台側含めてコンクリートで改修されたのだと推測。 橋台側の端部はこのように補強されている。 橋脚側にはその補強はない。 真横から。 この鬼渕橋は木曽森林鉄道現役時から有名だったので、ネットでも多数の現役時の写真を閲覧できる。というのだから、ある意味、キソシンの象徴でもあったのだろう。その橋がいまあることを噛みしめたい。 PR |
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