忍者ブログ
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]
20120902_012.JPG木曽森林鉄道の橋梁の遺構として有名な鬼渕橋梁。すでに製作から99年を経ている。道路用に転用されたが、現在はすぐ横(南側・下流側)に新しいランガー橋が架設され、いまは封鎖されて保存されている。なかなか引いた写真が撮れないのが残念。

写真左(西)から、上路プレートガーダー、下路プラットトラス、その向こうは上路ワーレントラスの3径間。それを、新しい中路のランガー桁はひとまたぎにしている。

20120902_007.JPGこのように。河床には脚を建てないに越したことはないので、完璧な「新道」である。

20120902_000.JPG方向が前後するが、鬼渕橋梁たるプラットトラスを西から。橋門口の、ふたつの大きな四角形+対角線がかっこいい。

トラスの左側(上流側)に歩道がある。これは道路橋に転用した時に増設したものだ。

20120902_001.JPG
左側に「鬼渕橋」と書かれた銘板が見える。

20120902_009.JPG20120902_010.JPG20120902_011.JPG歴史的鋼橋集覧によれば、最初期のリベット留め国産鉄道用鋼橋で、鋼材も八幡製鉄所製。1913年製だが、この数年前までは、まだアメリカ製のピントラス全盛期だった。

茶色く錆びたトラスの隙間から、床版を支える縦桁のピンク色が見える。これは道路橋に改造した際に追加した部材だろう。

こうして、100年前の、日本の製鉄の夜明けのような時期に生産された鋼材でできた橋が、錆ているとはいえ部材が欠けることもなくいまここにあるというのは、すごいことだと思う。

20120902_002.JPG東側の左側には、大正二年の横河橋梁製作所製作の銘板がある。右書きだ。右側には「鬼渕橋」の銘板があるが、前出のものと同じなので省略する。この銘板は、道路橋に改造した際に取り付けられたものだろうと推測する。鉄道橋には橋梁名の銘板がつくことはない。こちらにかつての西側の姿があるが、銘板はない。

続いて、西側の鈑桁。
20120902_013.JPGありふれた道路橋にしか見えない。

橋脚はコンクリート製に改築されたか、補強されたか。こちらにかの湯口徹氏の写真があるが、どちらの橋脚も石積みに見える。

20120902_005.JPG東側の上路トラス桁。橋台側含めてコンクリートで改修されたのだと推測。

20120902_006.JPG橋台側の端部はこのように補強されている。

20120902_003.JPG橋脚側にはその補強はない。

20120902_004.JPG真横から。

この鬼渕橋は木曽森林鉄道現役時から有名だったので、ネットでも多数の現役時の写真を閲覧できる。というのだから、ある意味、キソシンの象徴でもあったのだろう。その橋がいまあることを噛みしめたい。
 
PR
20120618.jpg廃止になってずいぶん経つ神岡鉄道は、富山県の猪谷から神通川の支流である高原川を遡っていた。

川の上流から見ると、神岡側から流れる高原川、高山側から流れる宮川が合流する地点が猪谷で、そこから神通川と名前が変わる。ふたつの川が合流する付近では、富山・岐阜県境をなしている。

再び下流から見ると、猪谷を出た神岡鉄道はすぐに宮川を渡り、しばらく高原川の左岸を行たあと、高原川を計4回渡る。そのうち、2番目に渡るのが、ここ第二高原川橋梁だ。撮影地として有名だった場所だ。

200フィート級のプラットトラス(正確には205フィート)なのだけれど、クーパートラス(アメリカン・ブリッジ製の200フィートプラットトラス)よりちょっと大きく見えるのは8パネルであるせいか。実際、高さはクーパートラスよりも2フィート大きい。

このトラス桁は御殿場線の第3酒匂川橋梁と同じ形式で、もちろん転用桁である。第3酒匂川橋梁は1914年横河橋梁製で東海道本線天竜川橋梁であるのはわかっているが、こちらは1922年石川島製で、天竜川ではない。果たして?


それにしても、色がひどい。

参考:歴史的鋼橋集覧

 



20120429_000.JPG第二飛騨川橋梁。中央径間が154フィートの下路プラットトラス、側径間は計8連のプレートガーダーである。石積橋脚も美しい。

20120429_001.JPGこんな感じで、奥(下油井側)からトンネルを抜け、谷を渡り、盛り土を抜けていく、いかにも鉄道路線らしい風景の一部をなすのが、この第二飛騨川橋梁である。

個人的には、斜材が45度のプラットトラスは美しいとは思わない。思わないが…

20120429_003.JPG美しいよねえ。154フィートをもってしても川の中に橋脚が建ってしまう。これはいかにも中途半端…などと思ってしまうが、もし向かって左側ももともと流路だったならば、ここにもトラスをかけてひとまたぎにしてるだろう。ということは、架橋当時は、向かって左側は河川敷だったのではなかろうか。

20120429_004.JPG反対側から。

20120429_002.JPG面白いのは塗装標記。この橋は、JRの旅客営業駅でいえば「白川口~下油井間」である。ところが、この表記を見ると「鷲原~下油井」とある。鷲原は信号場である。なるほどな、と思った。

上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県)
上越線 第三利根川橋梁(群馬県)
上越線 第四利根川橋梁(群馬県)
上越線 第五利根川橋梁(群馬県)
上越線 第六利根川橋梁(群馬県)
上越線 第七利根川橋梁(群馬県)
上越線 第七利根川橋梁(群馬県)の次の橋の続き。

20120416_005.JPGプラットトラスと、コンクリートラーメンが並行するのが第八橋梁。ラーメンのほうが、撮影地として知られているかもしれない。ラーメンの側(下流側)には遊歩道があり、そこにある橋からなんとか眺めることができる。右が水上方、左が湯檜曽方。

場所はここ。


上り線が既設線でプラットトラス+鈑桁、下り線がラーメンだ。歴史的鋼橋集覧はこちら

上り線から見る。

20120416_002.JPG上路トラスには近づけない。

水上方は鈑桁2本で上路プラットトラスにつないでいる。鈑桁と上路トラスの接続部分の橋脚はトラス下端までで、鈑桁の高さまでは鋼製の脚で延長している。これは第一利根川橋梁以来、同じ形。橋脚は長円形。

20120416_008.JPG遊歩道が橋の下をくぐっている。その場所には、屋根がある。だれも歩かないような草むした遊歩道…と思っていたら、かつてはちゃんとした遊歩道だったのかもしれない。

20120416_010.JPG鈑桁よりも橋脚に注目。第七までは円柱橋脚だったが、この上面を見ると方形だ。

20120416_011.JPG遊歩道から樹林ごしに上り線のプラットトラスを見る。こう見ると、橋脚に段ツキがある。上部が太いというか。耐震補強か何かだろうか?

20120416_012.jpg順序がおかしくなるが、その逆側(下り線側)に、塗装標記と銘板がある。距離が大宮起点で書かれている。上越線のキロポストは、高崎起点ではなく、すべて大宮起点だが、こうした施設も当然それを反映している。銘板は「鉄道省」という文字くらいしか読めない(レンズの長さが足りなかった)。

つづいて下り線のコンクリートラーメン。

20120416_006.JPGラーメンたる部分とでも言おうか。右側の橋脚の上部に点検用の通路がある。これは…
20120416_001.JPGこのように、レール面からアプローチする。あわせてラーメンへのアプローチも見える。

20120416_000.JPG遊歩道は、下り線の東側に出て終わる。

ここから利根川の右岸を登り、湯桧曽駅手前まで支流の湯檜曽川に沿うようになる。そして土合まで遡り、清水トンネルに潜る。

「利根川」と名がつく橋梁はここまで。

上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県)の続き。



20121231_001.JPG左手が水上方、右手が高崎方。手前のプラットトラスが下り線、奥の鋼鈑桁+PC桁が上り線。

下り線の開通は1924年(大正13年)3月31日。上り線は1963年(昭和38年)12月20日。その間、約40年の差がある。その時間の感覚は、上り線開通から2011年12月末が48年間であることを思いたい。その40年の間に、大きなプラットトラスでなければならなかったスパン47mは、鋼鈑桁でいけるようになった。

橋脚も両者の時代の差が見て取れる。下り線は石積、上り線はコンクリート。このまま左を向く。
20121231_002.JPG右端の切れているのが第4連、以下左に第5連、6、 7、8連。第9連は見えない。

第7連と第8連の間の第7橋脚は白いが、石積を塗ったもの。その左、少しだけ見えている第8連と第9連の間の第8橋脚はコンクリート製だ。

もう少し前に進み、桁の下に行く。
20121231_005.JPG見えているのは第5・6・7・8橋脚。第6と第7の間に道路が通っている。

20121231_003.JPGこの位置から上り線のスパン47mの鋼鈑桁とPC桁を見上げる。

位置を変えて高崎方を見る。

20121231_000.JPG道路の上から。けっこうな高さに単線桁が2本かかっているのは、かなり迫力がある。特に、列車が通るときの轟音は、地元の方はたまらないかもしれない(慣れているかもしれない)が、何度でも見てみたい。

川岸に戻り、上り線のPC桁を。
20121231_004.JPGこんなプロフィール。


.


淡々とここまで。


Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 21 22 23
24 26 27 29 30
31
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア