写真左(西)から、上路プレートガーダー、下路プラットトラス、その向こうは上路ワーレントラスの3径間。それを、新しい中路のランガー桁はひとまたぎにしている。 トラスの左側(上流側)に歩道がある。これは道路橋に転用した時に増設したものだ。 左側に「鬼渕橋」と書かれた銘板が見える。 茶色く錆びたトラスの隙間から、床版を支える縦桁のピンク色が見える。これは道路橋に改造した際に追加した部材だろう。 こうして、100年前の、日本の製鉄の夜明けのような時期に生産された鋼材でできた橋が、錆ているとはいえ部材が欠けることもなくいまここにあるというのは、すごいことだと思う。 続いて、西側の鈑桁。 橋脚はコンクリート製に改築されたか、補強されたか。こちらにかの湯口徹氏の写真があるが、どちらの橋脚も石積みに見える。 この鬼渕橋は木曽森林鉄道現役時から有名だったので、ネットでも多数の現役時の写真を閲覧できる。 PR 川の上流から見ると、神岡側から流れる高原川、高山側から流れる宮川が合流する地点が猪谷で、そこから神通川と名前が変わる。ふたつの川が合流する付近では、富山・岐阜県境をなしている。 再び下流から見ると、猪谷を出た神岡鉄道はすぐに宮川を渡り、しばらく高原川の左岸を行たあと、高原川を計4回渡る。そのうち、2番目に渡るのが、ここ第二高原川橋梁だ。撮影地として有名だった場所だ。 200フィート級のプラットトラス(正確には205フィート)なのだけれど、クーパートラス(アメリカン・ブリッジ製の200フィートプラットトラス)よりちょっと大きく見えるのは8パネルであるせいか。実際、高さはクーパートラスよりも2フィート大きい。 このトラス桁は御殿場線の第3酒匂川橋梁と同じ形式で、もちろん転用桁である。第3酒匂川橋梁は1914年横河橋梁製で東海道本線天竜川橋梁であるのはわかっているが、こちらは1922年石川島製で、天竜川ではない。果たして? それにしても、色がひどい。 参考:歴史的鋼橋集覧 個人的には、斜材が45度のプラットトラスは美しいとは思わない。思わないが…
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県) 上越線 第六利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県)の次の橋の続き。 場所はここ。 上り線が既設線でプラットトラス+鈑桁、下り線がラーメンだ。歴史的鋼橋集覧はこちら。 上り線から見る。 水上方は鈑桁2本で上路プラットトラスにつないでいる。鈑桁と上路トラスの接続部分の橋脚はトラス下端までで、鈑桁の高さまでは鋼製の脚で延長している。これは第一利根川橋梁以来、同じ形。橋脚は長円形。 つづいて下り線のコンクリートラーメン。 ここから利根川の右岸を登り、湯桧曽駅手前まで支流の湯檜曽川に沿うようになる。そして土合まで遡り、清水トンネルに潜る。 「利根川」と名がつく橋梁はここまで。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県)の続き。 下り線の開通は1924年(大正13年)3月31日。上り線は1963年(昭和38年)12月20日。その間、約40年の差がある。その時間の感覚は、上り線開通から2011年12月末が48年間であることを思いたい。その40年の間に、大きなプラットトラスでなければならなかったスパン47mは、鋼鈑桁でいけるようになった。 橋脚も両者の時代の差が見て取れる。下り線は石積、上り線はコンクリート。このまま左を向く。 第7連と第8連の間の第7橋脚は白いが、石積を塗ったもの。その左、少しだけ見えている第8連と第9連の間の第8橋脚はコンクリート製だ。 もう少し前に進み、桁の下に行く。 位置を変えて高崎方を見る。 川岸に戻り、上り線のPC桁を。 . 淡々とここまで。 |
カレンダー
最新記事
(04/12)
(04/02)
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|