上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県)の続き。 場所はここ。 ここは面白くて、下り線(1924年=大正13年開通)が上路、上り線(1963年=昭和38年開通)が下路となっている。その理由の考察は後述する。 下り列車に乗っていると、津久田方からトンネルに入り、出たらすぐに利根川を渡るというロケーション。利根川の両岸が切り立った場所に架かっていて、写真に撮りづらい。 下流側から見ている。右が津久田・高崎方、左が岩本町・水上方。津久田方から、205フィートワーレントラス(62m)、9.8mの上路プレートガーダー。このワーレントラスは、紀勢本線の宮川橋梁、すなわち有名撮影地、「三瀬谷の橋梁」と同一。ただし、製作会社が異なり、上越線は石川島、紀勢線は横河橋梁。宮川橋梁の架設の写真が、土木学会のアーカイブスにある。 近寄る。 ここまで近寄れるのに、なんという状況。 この部分、力がかかる部分とそうでない部分の部材の使い分けを見て欲しい。上路のワーレントラスも、真横から見て台形であるのが基本であることがよくわかろう。端柱(写真でいうと、端部の\方向の部材)はリブまである。ここは圧縮力がかかる。その真上、レールに並行している上弦材は、トラス桁を構成する部分と異なり、アングル材をレーシングでつないであるだけ。むしろレールが載っている縦桁のほうがずっと力が加わると言うことだ。 断面。レールの真下はカルバートになっており、そこに開いた明かり取りの窓からこのように眺められる。 点検用通路、歩いてみたいなあ。 その場で下を見る。左側(下流側)の端柱に凹みがある。なんでこんな位置に…? そのまま見上げる。縦桁がとても力強い。 カルバートの山側はこう。この前後に道路隧道(高岩隧道)がくっついている。 次は上り線。 一度、その下をくぐって上流側に行ってから振り返ると、こう。津久田側から、プレートガーダー+上路トラスであり、下り線(津久田側からトラス+プレートガーダー)とは逆の構成である。 こちらはこれくらいには引いて撮れる。 津久田方に銘板がある。 ●上 日本国有鉄道 1962年() KS-18TT3… (ちょっと読めない) ●下 材料 (読めない) 読めないじゃないかヽ(`Д´)ノ プレートガーダーの全景。なんというか、それよりも隧道坑門が段違いで直角に交わっているあたりに、とても違和感がある。 さて、もったいぶってきた「下り線は上路、上り線が下路の理由」だが、これは橋台が理由だと思う。 下り線が下路であるということは、上下線の線路面高さがほぼ同じである限り、上り線も上路にしたほうが、橋脚の工事費が安くてすむ。以下はそれを前提にした想像というか妄想だ。 おそらく、右岸のほうが左岸よりも崖の切り立ち具合が激しく、右岸に上路トラスの橋台を設けることが困難だったのではないか。 下り線は、左岸に橋台を設けやすかったのでそうした。右岸にはプレートガーダーで渡した。そうすることで、レール面下の桁の高さが抑えられる。 一方、上り線は、右岸側の崖に、上路トラスに適するような橋台を設置することが困難だったか、利根川が急カーブを描く内側に橋脚を置くことを避けたために、あえて下路を採用した…のではなかろうか。 あくまで状況から考えたことである。もしかしたら、どこかで余ってしまったトラス桁が転用されたとか、当時は下り線も下路化しようとしたとか、そんなことがあったかもしれない。「複線化工事誌」みたいなのがあると、解答がわかるのだけれども。 PR |
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