『鉄道ピクトリアル』2011年1月号を見ていたら、根室本線新富士駅の1967年の写真が掲載されていた。それを見て驚いた。まるで函館本線森駅のように、線路のすぐ脇が海ではないか。現在はこんな状態であり、現地を何度もクルマや列車で訪れている私の認識も、下記のとおりであった。
釧路の工業地帯であり、駅北に日本製紙、南に各社油槽所がある。かつて、東京都の間に近海郵船がカーフェリーを運航していたときは、このすぐ南に着岸していた。地図を拡大すると「近海郵船西港ビル」がある。何度かバイクで利用したが、最後の年、1999年も東京行きに乗船した。 比較は航空写真による。1961年度の1万分の1である。国土変遷アーカイブで表示させたものを切り貼りしている。 黄色い矢印が差している場所が、新富士駅。北西に分岐するのは鶴居村営軌道、北東に分岐するのは製紙工場への引き込み線である。 続いて1967年の写真。こちらは国土画像情報に掲載されているもの。 やはり黄色矢印が新富士駅。 わずか6年で、現在とほぼ同じ形にまで埋め立てられている。画像右、新釧路側ににょろにょろしているのは、船が何かを引っ張っているように見えるのだが、なんなのだろうか。 これらを見比べると本当に興味深いのだが、その感じ方は個人個人で異なるだろうから、ここまでとする。 最後に。 「新富士」の駅名の由来はその日本製紙の前身の富士製紙にちなむ。と書くと簡単だが、いささか経緯は複雑である。製紙会社の合従連衡を整理してみる。カッコ内は、この地の製紙工場の名称である。 1887年 富士製紙創業 1888年 前田製紙が創業、この地に工場開設(前田製紙釧路工場) 1920年 富士製紙が前田製紙を吸収(富士製紙釧路工場) 1933年 富士製紙が王子製紙と合併(王子製紙釧路工場) 1949年 王子製紙が3社に分割される。十條製紙創業(十條製紙釧路工場) 1993年 十條製紙が山陽国策パルプと合併、日本製紙となる(日本製紙釧路工場) 製紙会社の統合・分割、工場の統廃合の経緯は、同じ名称を用いた会社があったり似たような名称だったりして本当に複雑なのだが、その流れの中で工場として生きながらえていることに感動する。その工場人生(とでも表現しようか)の後半で、駅の南が埋め立てられて釧路港ができ、オイルターミナルができた。願わくばこのまま地方都市の工業が盛況であらんことを。 PR |
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