2012年6月30日、日立電鉄の廃車体を見るついでに、鹿島鉄道の廃線跡も見ておこう…くらいの気持ちでいくつかの踏切跡などを写真に撮っていた。ここは坂戸駅の西に二つ目の踏切である。すると、なにやら重機の音がする。
これは! 坂戸駅の東側には取り外されたレールが山になっているのを見ていたので、これはなにかの作業をするに違いないと思い、先回りして西側一つ目の踏切で待った。 果たして。 きた! 歩くより遅いスピードで、茂みの影から現れた。そして、道路の手前で一時停止し、頃合いを見て横切っていく。見れば、レールを引きずっている! 重機がひとりで動いている姿というのはとても怖いというか不気味というか(失礼!)。かつて、西表島の縦走コースを一人で歩いていたとき、道幅いっぱいに走る重機に追いついてしまい、やむなく走って追い越し、その後しばらく追いかけられた…いや、歩くより少し遅いくらいのスピードなのでしょうがないのだが、あれは恐ろしかった。 閑話休題。 この部分はスマホで動画を撮った。 こういう感じでズリズリと引きずっている。そして、またしても先回りして出迎える。 このように、レールをまたぎつつ、引きずってきたレールをそこに安置した。 ひと作業終えたところで、作業していた方が降りてきたので挨拶した。次いで、「相方さん」が軽トラでやってきて、いろいろと教えてくれた。その間に、重機の方は戻っていった。 -この撤去作業は4月23日から始めた。 -事前に一人がレールの継ぎ目プレートの片方だけをはずしておく。 -もう一人が、重機でレールを枕木からはがす。それは、軌匡の下にレールを突っ込み、それを重機で持ち上げるようにして、かつ重機で枕木を踏んずけたままバックすると、レールが外れる。 -レールは8本まとめて移動する。つぎめプレートに特製のチェーンを巻き、それを重機で引っ張る。 -このやり方は自分たちで考えた。特許だ。(注:それは冗談で、動画の公開もokをいただきました) -レールをはがすだけなら、1日1kmくらいできる。 -踏切部分は作業しない。 -撤去作業はほぼすべてその方たち(地元の方、2人? 3人?)が請け負った… どうやら今日はここまでで終了のようなので、いったんクルマに戻って休んでいたら、また重機が来た! そして、レール撤去の準備をしている! その前に、坂戸から鉾田方面を見たレールの現状、というか最後の姿。 うねっているのは震災や大雨の影響か。まだこの区間には重機が入ったことはないようだ。 まず、枕木を1本抜く。 そこに、短いレールを差し込み、引き上げながらバックする。 レールはぐねぐねと躍る。 レールを外したら、ひとまずまとめる。 これを繰り返す。 動画で。 …を終えて、 レールを、「はがし用レール」とともに持ち帰ってくる図。 レールをはがした枕木はこのようになる。 レールはこうして引っ張ってくる。継ぎ目板の使い方がうまい。 チェーンと板をつないだこれは自作。 このあと、犬釘は拾えるものは拾い、枕木に刺さっているものは引っこ抜いてすべて回収する。レールも含めて、すべてくず鉄として再利用される。いまはトンあたり(40kgレールなので、イコール1本あたり)2万数千円程度とのこと。北京オリンピックの頃はその倍以上だったらしい。くず鉄の相場は高下が激しい。 枕木は全部で3万7000本ほどあるらしく、木枕木は産廃として処分する。燃料として使う施設があるとのこと。割れ留め(枕木の両端にある輪っか)ははずす。鹿島鉄道の枕木は栗で、防腐剤を施していない。一部にPC枕木があり、その区間は線路がボルトで固定されているため、手作業でレールをはずすとのこと。ここに紹介した便利な方法は使えないらしい。 別の業者が少しだけ作業したところは、犬釘は手作業ではずしたそう。保線経験者が関係すると、レールを切断することすら嫌がるので、作業はとても丁寧になってしまうそうだ。 また、石岡駅では、軌匡を10mごとに切断した上で軌匡ごと重機で持ち上げ、揺さぶって枕木を落としたとのこと。いろいろなやり方があるものだ。繰り返すが、ここで紹介した方法は、作業しているお二人が考案したものである。 鹿島鉄道の廃止から5年。放置が長かったので、継ぎ目板のボルトを外すのも骨が折れたとか。 その5年間に、配線類、レールボンドのような純度の高い銅は盗難に遭い、踏切関係の部品や駅の部品、はては信号機まで盗難があったそうだ。銅はそのスジだろうが、ほかは鉄道マニアだったりするのだろうか。するのだろうな。作業を見ていた私は「レール持って帰るか?」などと冗談で言われたが、それはもちろん冗談で、記念に、比較的形がきれいな犬釘を持たせてくれた。 あと数日で、レールはほぼすべてなくなる。明日(もう今日)の朝イチで現地に行けば、撤去作業は見られるはずだ。作業している方お二人とその仲間は、しきりに「80年も走っていたんだもんなあ」と言っていた。作業していると、沿線のいろいろな人に声をかけられ、50年前のエピソードなどを聞かされるとか。沿線の人々には、かしてつの歴史が染みこんでいる。作業していたおふたるも「鹿島鉄道」とは言わず「カンテツ」(関東鉄道)と言っていた。 貴重な瞬間に立ち会えて、幸運だった。 偶然出くわした私に作業を見学させていただいたMさんKさん、ありがとうございました。 PR |
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