![]() すごすごと引き返すと、線路脇に菱形の木製扉が見えた。来たときには気づかない方向。ブロック積みの小屋で、この正面の扉横に張り出した部分は構造ではないようだ、意匠だろうか?扉の上に梁がないこともあり、側壁が倒れないように支える意味合いがあるのだろう。ブロック塀の控え壁はよく目にするところだ。(参考:http://www.sasakiblock.com/kitei.html) 線路との境界も曖昧な、こういう場所が好きだ。 (注)太字部分、市瀬克己さんからご指摘を受けて2014年11月1日改変 ●関連項目 由良川橋梁(京都府/北近畿タンゴ鉄道宮津線) PR ![]() ・赤れんが5号棟(赤れんがイベントホール)。旧舞鶴海軍軍需部第三水雷庫(大正7年)。1266.25m^2。 ![]() ・赤れんが4号棟(赤れんが工房)。旧舞鶴海軍兵器廠雑器庫並預兵器庫(明治35年)1512.10m^2 ・赤れんが3号棟(まいづる智恵蔵)。旧舞鶴海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫(明治35年)1512.10m^2 ・赤れんが2号棟(舞鶴市政記念館)。旧舞鶴海軍兵器廠予備艦兵器庫(明治35年)1182.96m^2 舞鶴の「赤れんが倉庫群」は、重要文化財という括りで見れば7棟+付属の1棟(5号棟)といったまとまりで知られているが、周辺(北吸地区)には全部で12棟ある。大きな倉庫なので出入り口は妻面のほか側面にもあり、その出入り口は、一部は鉄製の扉に換装されてはいるが、木製の扉が使われている。 まずは最も大きな5号棟の北西側。 ![]() 右の扉から線路が見えている。この線路幅は1067mm、そこから類推するにこの大きな扉は天地5m、左右4mほど。もちろん鉄道車両…トロッコで荷物を出し入れしていたようだ。 ![]() ![]() ![]() そして重要なのは、いままで「扉」と書いてきたが、「戸」である点だ。2枚とも向かって右にスライドする。上にあるのは戸車、扉下部は溝がある。 ![]() ![]() * ![]() ![]() ![]() ![]() 1号棟から5号棟をめぐった限りでは、これ以外の木製扉のバリエーションはなさそうだった。 |
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