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P8190172.JPG東京都写真美術館で開催されている「おんな-立ち止まらない女性たち1945-2010」を見に行った。きっかけは、ここに丸田祥三さんの作品が展示されていると聞いたからだ。もっとも、こうした写真展を見るのは好きだ。あらゆる意味で、うまい写真を見るのは楽しいし、勉強になる。


この写真展、副題は「
立ち止まらない女性たち」だが、展示がそれに従っているかと言えば大きな疑問を持たざるを得ない内容だった。


写真展の意図がなぞられていない

今回の「おんな」はパンフレットにある言葉で言えば「ビジュアル女性史」である。つまり、それぞれ別個の文脈で発表された211点の作品を、「ビジュアル女性誌」という文脈に沿うように集め、展示者によって作品の方向性が制御された展示である。各作品は、それぞれの時代を切り取った作品として扱われている。もしかしたら、中には「こんな扱われ方は困る」という写真家がいるのではないかと思ってしまったほど、強い文脈が働いている。

その文脈とは、なぜか女性が「お母さん」から「若年の女性」に変化していくというものである。チケットには、こうある(下線部筆者)。
敗戦後の困窮の中で日本の家族を支えたのは、まさにお母さんたちの「生きる 力」でした。さらに女性たちは、世界中が驚くほど目覚ましい日本の復興と発展に、大きく貢献しました。またその力は、高度成長とその担い手を支え、近年は 世界を舞台に多くの日本人女性が様々な分野で素晴らしい活躍をしています。
「お母さん」の写真が確かに多数を占める1940~1960年代に比べ、1990年代以降は若者の文化の上っ面しか展示していない。展示されている写真を見ると、20代前半の女性は、1950年頃には「貧しいお母さん」だったのに、それが2000年代になると「まだまだ子どもで社会性もない少女」になってしまった、というような流れなのに、能書きはそうなっていないのだ。

ということで、私は前半は興味深く写真を見ることができたが、後半、とくに1990年代以降は自分が生きてきた時代でもあるからか、なんだよこのステレオタイプな切り取り方は、と思いながら見た。中には、時代の習俗、風俗を取り込まず、単なる絵画的ヌード写真としか思えないものも複数あり、そんな写真が「その時代のおんな」を象徴しているとはまったく思えなかった。扇情的な写真が並ぶ一角では、「見るに堪えない」と連れの男性に言って通り過ぎてしまった女性がいたことから、そう感じたのは私だけではないだろう。

(注)扇情的な、「見るに堪えない」と評された写真の価値が低い、という意味ではない。この写真展のテーマにはそぐわないと考えている。


「生きる力」がテーマなら、「お母さん」に読み替えて、一貫して「お母さん」でいいじゃないか。「ケータイと鏡」(こちらにもあり)などは、作品としてはいいものだと思うが、この文脈(「素晴らしい活躍」云々)には当てはまらないだろう。



さて、流れを思い出しながら書く。
一枚目は、長崎に原爆が落とされた翌日に撮影された母子の写真である。これを見た人は、「おんな」として見ることができるのだろうか。また、水俣病の被害者の女性の写真もある。これも同様。ものすごく力のある写真だが、これが「立ち止まらない女性」の「歴史をビジュアルに辿(ったもの)」だとはとうてい思えない。

一方、1940年代から1950年代の、野良仕事、農村風景、工場での風景など働く女性たちというのは、いい写真だった。つらい写真もあれば希望を感じる写真もある。働きながら乳飲み子に乳を含ませる写真もいくつかあった。「生きる力」を象徴するような、いい写真ばかりだった。チケットに掲載されている木村伊兵衛の「農村の娘」(秋田県)など、何時間でも見つめることができそうだ。
ストリップ劇場や街娼が、米軍兵士との私生児を集めた教育施設の写真とともに展示されているあたりなども「生きる力」だ。

しかし、1970年代頃から、おかしな展示になる。1980年代になると竹の子族、うんこ座りのレディース、シンナー遊びをする少女、そんな写真。10代の風俗になる。1990年代になるとジュリアナ東京のお立ち台、2000年代になるとケータイやネイルアートなど、これもまた10代、20代の風俗の写真が連続する。これらは、決して「おんなが持つ生きる力」の写真ではない。

スポーツ選手の写真も何点かあったが、「ママでも金」の谷亮子は「生きる力」だが、野口みづきや高橋尚子は違う。3人とも「世界」ではあるが、それがオリンピックだけというのもなんだかな、というところ。そして、パンフレットには、1996年から2010年の時代を総括する説明としてこうある。
高齢化社会、広がる経済格差・・・。日本はどこへ行くのか。一つだけ確かに言えることがある。難局を切り開くだけの力を、女性は持っている。
そんな写真はひとつもない。ただ、軽薄、幼稚化した10代少女の写真が続くのみである。この、最後の展示が、2000年代のお母さんの姿や、それを見守っている前世代のお母さんだったらよかったのに、と思う。


丸田さんの写真の位置

丸田さんの写真も、そんな文脈の中で展示されている。隣の作品は、文脈と無関係にしか思えないヌードである。そこに、荒廃した旧型客車の中に佇む少女の写真がある。展示者側としては、「過ぎ去った時代=旧型客車」の中に「無垢な、未来の可能性を秘めたもの=少女」を組み合わせたものとして丸田さんの作品をツナギ的に使ったのかな、と思った。だから、この作品以後、「過ぎ去った時代」をまとった女性の写真はなかったような気がする。丸田さんの作品は、移りゆく時代の、旧世代と新世代の両方を写し込んだ希有な作品であるからこそ、ここにこうして展示してあるのだろう。そして、もし仮に被写体が旧世代の女性だったら、ここには展示されなかったのではないか。テーマとはずれるが、被写体が男性だったら、確実にあり得ない。男性は、女性ほど、時代時代での変化を象徴しない。この作品は、被写体が少女であることに意味がある。

私は、写真展というのは組写真や写真集と一緒で、テーマがあり、順序があり、緩急があるものだと思っている。そして、ここに書いた感想は、そういう考えで写真展を見てしまう私の読み取り方に過ぎない。読み取り方は見た人それぞれ、作品の制作者(写真家)たちの見方や受け取り方もそれぞれのはずだ。どれが正しい、どれが間違い、というものはない。211枚もの写真を並べて、展示者側と閲覧者側の全員が同じ意識で見ることができるわけなどないのだ。

こんなことを考えたのも「丸田さんの作品を見に行った」からだと思う。「棄景IV」に掲載された写真が、どういう文脈で211点のうちの1点に選ばれたのか、ということに関心を持ってしまった。そうでなかったら、この写真展のテーマなどを考えることもなく、「いい写真だね」という鑑賞できたのかもしれない。



なお、図録。たしかにこれが図録なのかと言われると、なんか安いなあ、という気持ちになった。こういうのは2940円が3800円になってもいいから、もっと印刷ちゃんとしようよ。買う人は値段じゃないから。



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