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西ゆうじさんが亡くなった。
昨日、告別式が執り行われたので、お別れに行ってきた。

近年では主として漫画原作者として活躍していた方で、連載中のものではテレビドラマになった『あんどーなつ』(ビッグコミックオリジナル)と『蔵の宿』(週刊漫画TIMES)、『華中華』 (ビッグコミック)がある。私は『週刊漫画サンデー』の編集者の頃に、前担当の先輩から引き継ぎ、『これで家族』などを担当し、異動に伴い同僚に引き継いだ。

* * *

2011年10月20日、入院先に伺った。大事には至らないだろう、ということで、お元気にお仕事されていた。病院の喫茶室で話し込み、屋外で(西さんが)煙草を吸い、…という、いつもどおりの西さんだった。ライカのM9を触らせてくれ、コレクションのクラシックカメラも700台を超えてしまった、というような話をした。そういうお元気な印象だったので、以後、ご無沙汰してしまった。

会社の先輩から突然の話を聞いたのは、2013年2月5日(火曜)だった。漫画原作の連載も普通に掲載されていたし、今年も手書きの年賀状をいただいていた。もうとっくに元気になり、普通に過ごしておられるのだろうと呑気に考えていたので、非常に驚いた。

その夕方、先輩とともに病室にうかがった。酸素吸入のマスクをしていたためにお話はできなかったけれど、私たちの話すことはきちんと伝わり、ときには私たちを見て、最後は手を挙げて握ってくれた。かなり厳しいとは聞いていたけれど、まさか、その直後にお亡くなりになるとは思わなかった。

ご家族と大切な時間を過ごすべきところに、我々のような仕事関係の者がお邪魔してよかったのか、と感じる。でも、あとから聞けば、西さんは、作品作り=人生でもあった方なので、関わった方々とのお別れの場をご自身でご用意されたようだ。そのお心遣いに言葉もない。果たして自分がそういう場面になったとき、「お別れの場」などを設けることができるだろうか? 無理な気がする。

* * *

1990年代後半、私は二十代半ば。まもなく終刊を迎える『週刊漫画サンデー』も当時はかなりの売れ行きで、会社の大黒柱だった。自分は、いま思えば愚かなことに、仕事面ではなにも考えずに毎日を送っていた。週末にバイクでどこに行こうかということばかり考えていた。西さんは、そんな私を、きっと「しょうがねえやつだなあ」と思いながらも、かわいがってくれた。毎週、「週末はどこ行ってたの?」と聞いてくれた。

漫画の原作というものは、要するに「原稿用紙」なので、当時は既にファックスでやりとりしている方も多かった。会社としてはまだメールの環境もなかった。しかし、西さんは、原作を、毎週、直接会って受け渡すことにしていた。待ち合わせの場所は、いまはなき池袋芳林堂の「栞」、芸術劇場の「こぶし」(いまは別の店になっている)、銀座「どんパ」などが多かった。

担当していた『これで家族』は、非常におもしろい原作だった。しかし、西さんのネームの多さもあり、作画担当の漫画家・杉江雅巳さんもそれを入れるのに苦労はしていた。勢い、顔が会話するようになってしまった。未熟すぎる私はそれをそのままにしてしまい、西さん、杉江さん双方の不満を聞くに終わってしまった。いま思えば、原因はページ数の少なさと、私が整理しなかったことにある。当時の漫サンは通常1本20ページのところ、『これで家族』は毎回16ページだったのだから、私はこれを増やすべきだった。また、いわゆる「説明ネーム」、状況を登場人物にしゃべらせるような部分を、どう圧縮するかは、私が整理し、西さんの承諾を得て、杉江さんにも意図を伝えなければならなかったのだ。私はそういうことをしなかった。

西さんは、原作者としては珍しく、だと思うが、漫画になった後まで気にかけている方だった。書きっぱなしではなかった。さまざまなことに精通し、それを誌面で展開しようとしている西さんには、漫画化されたときに「ありえない描写」が目についてしまうことがあり、それを漫画化の勉強不足、と指摘したことが、炎上気味になったこともあった。しかし、私が見て見れば、それはたしかに指摘の通りであり、あとは「言い方」の問題でしかなかった。

そんなことを思うようになったのも私が歳を重ねてからで、担当しているころには、そういうことがわからなかった。西さんのお話の半分も理解できてなかったのだろうし、原作を受け取るときも「打ち合わせ」にはなっていなかっただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それでも可愛がってくださったことに、強く感謝している。漫画編集者でなくなって14年たつが、いまでもおつきあいのある漫画関係者は西さんだけだった。

* * *

告別式の後、渡された手紙には、「じゃ、また」と書かれていた。きっと、生前、ご自身でご用意されていたものと思う。その言葉に限らず、「ああ、西さんらしいな」と思うことが、たくさんあった。小学館の片寄常務の弔辞、「西ゆうじという作品を演じ続けた」というのは、本当にその通りだと思う。

59歳という早すぎる逝去。謹んでお悔やみ申し上げます。


* * *

●西さんがシナリオを担当した、住友グループ広報委員会のサイトにある住友グループ誕生を描いた漫画が、オンラインで閲覧できます。作画は、西さんとはかなり古いおつきあいの長尾朋寿さん。台詞回し、説明などに、西さん節を感じます。製本した紙媒体版があるけれど、非売品かな?

http://www.sumitomo.gr.jp/story/index.html

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