1996年の年末から1997年の年始にかけては、西表島で過ごした。このときはバイクではなく、バックパックだ。12月26日に羽田から石垣に飛び、石垣の港にテント張って1泊し、翌日、高速船で西表島に渡った。
西表島の縦断(山中1泊、ビバーク)などもしたのだけれど、12月30日には原付を借りて島内を半周した。半周というのは、道路は島の外周を、時計でいうと10時から右回りに6時の位置にしかない。そのうち、12時の位置の星の砂キャンプ場に連泊していたので、そこから6時の位置まで半周したのだ。原付は、スナックのようなところが貸してくれた。「警察いないからヘルメットなんかなくてもいいよ」と言っていた。 南端、南風見田の浜。南風見田は、戦時中にはまだマラリアが蔓延しており、波照間から強制疎開させられた人々が80人(と、ある文献にはある)が命を落とした。「勿忘石」もある。そんな話がある傍ら、その砂浜では「沈没した」旅人たちがそこに住んでいた。水のシャワーがあるから、お金さえあれば暮らせるのだ。そこで息絶えた人の白骨があるとも聞いたが、それは事実かどうかわからない。砂浜にある岩からは、カサカサとなにかが動く音がものすごくたくさん聞こえる。近づいて見るとオカヤドカリが何百といた。 こちらは北端、白浜小学校前。別の日だ。ここで県道215号は唐突に終わる。2車線の道路が校門にぶつかって終わるのだ。こういう道路は好きだ。道路としては、校門の横の塀沿いに1車線の道路があり、もう少し先まで行ける。 こちらは徒歩で行った。何もすることがないから散歩でも行くか、というような幸せな日々だった。 PR |
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