橋りょう名 飯田橋通り架道橋 位置 飯田橋構内4K281M80 支間 30M100 塗装年月 2003年10月 塗装回数 4回塗 塗装種別及塗料名 下塗1層目・2層目 厚膜型変性エポキシ樹脂系塗料 中塗3層目 厚膜型変性エポキシ樹脂系塗料 上塗4層目 厚膜型ポリウレタン樹脂塗料 塗料メーカ 神東塗料株式会社 施工者 建設塗装工業株式会社 2000 群集荷重 EFTG29-1 春本鐵工千葉工場 「群集荷重」を採用しているならば、歩道橋だろうか? GoogleMapの衛星画像を見ると、JR線用の歩道橋のように見える。桁の上には配管が通っている。
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飯田町に到着する貨物列車がなくなったのは1997年3月である。それまでの間、何度か中央快速線をDE10が走るのを見たことがある。いま思えば大変贅沢な経験だった。あのときに見たDE10、まだ現役だろうか、それともとっくに鉄屑だろうか? 場所はここ。 かなりの角度で道路を渡っているのがわかる。45度くらいか。その道路も、京成線をくぐった先で左(西)にククッと曲がっている。もうちょっとうまくできなかったのかしら。 さて。 通常、カバープレートがある場合は騒音防止を意図してバラストが敷かれているのだが、ここはそれがない。なぜ木材で覆ってあるのか、その理由がわからない。 桁は3主桁の複線桁。縦桁はレール直下付近に2本。先に言うと、銘板は見つからないので活荷重は不明だが、有名な荒川放水路橋梁等、歴史的鋼橋集覧に掲載された三つの京成本線の橋梁がすべてKS12であることからして、ここもKS12だろう。若干華奢な桁、というのもうなづける。 鉄製橋脚については後述するが、2本の脚を結ぶ水平材の下、ガードレール的な位置にあるコンクリートの柵の形がおもしろい。 向こう側へ。 さて、この橋梁の名称は、「都市計画第6号線架道橋」という。しかし、wikipediaで見ると、「都市計画第6号線」は九段から練馬に向かう靖国通り・青梅街道のことだと書いてある。そして、現在くぐっている墨堤通りは「東京都道461号吾妻橋伊興町線」である。では「6号線」は何? wikipediaにあった。 戦前の都市計画では、足立区千住宮元町交差点から墨田区鐘ヶ淵陸橋交差点までは幹線環状道路第六号其の二(其の一は現在の東京都市計画道路幹線街路環状6号線(山手通り))の一部であった。 いまでも山手通りを「環六」と呼ぶことがあるが、その「6号線」であった。先に見たのは放射6号線であった。 この写真でも、上の地図でも細く見える川だが、木曽川である。 橋の下に降りていって記念撮影を始めた。そんなに有名スポットなのか(たぶん違う)。彼らがその場を去るのを待って、土手を降りていく。 例えば、既に撤去されてしまった余部橋梁は左の写真のように、トレッスルの長手方向が橋の軸方向に配置されているが、この巴橋は、長手方向は橋の軸と垂直に配置されている。 もっとも、鉄道用のそれは、長手方向の「長さ」の部分には単独の短い鈑桁が載せられているのであるから、桁を支持しているのは、軸方向と垂直な線(正確には点だけれど)である。 トレッスルをアップ。 このトレッスル橋脚の上に、4主桁の上路鈑桁が架かっている。 親柱、左は「木曽川」、右は「巴橋」。 この巴橋、トレッスル橋だという知名度は低い気がするのだけれど、どうだろう? |
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