きっかけは@golgodenkaさんがアップした写真だった気がする。@adusa2gouさんだったかもしれない(すみません)。国道20号が山梨県から長野県に入るときに渡るのが「新国界橋」である。その旧橋の写真がアップされているのをみて、その存在に驚いた。 (golgodenkaさんの記事はこちら『国道 20 号旧道【旧国界橋】 - 発見当初は廃線跡かと思った』参照) そのすぐ近くには「道の駅蔦木」があり、その裏手はゲリラキャンプをするのにちょうどいい場所になっている。何度もキャンプをしているし、あるいは何度も車中泊もしている。山梨県側にはセブンイレブンがあり、そこまで何度も国道を歩いている。それなのに、この橋の存在に気づいていなかった。 ここに、丸田祥三さんと向かった。廃道写真集の撮影で、とある山中を3~4時間ほど歩いた後、ちょっと離れてはいるけれど丸田さんのご厚意でそこに連れて行っていただいた。 信号を南に入るといきなり砂利道。幅員はまあまあ。前方に、ネットと橋が見える…。 砂利道の幅と、橋の幅を見比べていただきたい。 どん。 獣害除けのネット。電流が通じているので、その向こうに国界橋が見えながらも行けない。ぐぬぬ。 現地の左右は畑、もちろん中に踏み込むことは不可能。 よく見ると、向かって右側にはさらに旧橋と思しき橋台がある。 (赤枠の部分) 振り返って交差点のほうを見るとこう。 この細い道が、かつて国道20号だったとは、にわかには信じがたい。 畑に降りる道があったので、そこから。上記の砂利道部分は、きちんと盛り土してあり、側面は石垣で固められている。 こちら側からの侵入はあきらめて、反対側に向かう。反対側からは行けるというのは、golgodenkaさんからお聞きしていた。 もうすっかり日が落ちてしまったが、それゆえに荒涼感を醸し出す。 欄干というか、ンプレートガーダーの主桁の高さがない。 こうして桁の側面と路面の高さを見ると、中路であることがわかる。 欄干に見えるけれど、主桁。 その一角に、銘板。昭和四年。1929年。82年前。 昭和4年ならば、まだ金属の節約をとかくやかましくは言わない頃だ。もし15年後だったら、きっとコンクリート製になっていただろう。そして、廃な風景のあり方も変わっていただろう。 PR |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|