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P3053571_R.JPG片岡謌郎(かたおかうたろう)という人物を軸にした国鉄史であり、大変な労作である。史書にはいくつかの手法があり、代表的な者は企業側の立場に立って編年で記述するもので、例えば運輸行政ならば、事務次官は○年○月○日からは誰々、何をした、次いで○年○月○日からは誰々、何をした、というものだ。もう一つのメジャーな手法は、人物を主軸にして、○年○月○日からは何をした、○年○月○日からは何をした、と記述していくものだ。本書は後者にあたる。『日本の鉄道をつくった人たち』(悠書館)も、そうした手法を取ったものだ。

『カラー版鉄道の旅手帖』を作った頃から、鉄道官吏に関心を寄せていた。谷口梨花が約100年前に作った観光案内を元に制作したらどうかというライターの案にのっかったもので、谷口自身も官吏ならば、元本には床次竹二郎や木下淑夫らの推薦文が掲載されているあたりに「官」という独特の組織に興味を抱いたのだ。折しも道路に関する内容で、国交省の組織などにも少し足を踏み入れたときでもあった。

時代が時代であり、大学を出ればそのまま行政組織の幹部候補として超エリートの道を歩んでいくその道程。いまでも警察をはじめ、国家公務員というものはそうなのかもしれない。基本的に大卒しかいないという民間企業に勤めている者としては、想像を絶する世界である。

しかし、あまりに複雑怪奇な組織の変遷と、関係してくる膨大な人物の数と姿に恐れおののき、手をつけられずにいる。井上勝や仙石貢とはかどうでもいい。その下、実行部隊としての組織の長として、なにをやったか、どういう人物だったか。それはとても興味深いものだし、今の時代だからこそ受ける要素も十分にあると思う。


片岡謌郎はなにをした人か。誰もが知る事業に通じることだけを書けば
・鉄道弘済会を設立
・交通新聞(の前身)の発刊
・日本通運を設立
あたりか。といっても、「いまの人」には、鉄道弘済会が元々は業務上障害を負ったり殉職した職人の、職員または家族の救済事業が目的だったり、日本通運が国鉄貨物(大運送~だいうんそう)と自動車(小運送~こうんそう)とのフィーダーであったことなど知らないかもしれない。


本書を「労作」と言った所以はふたつある。

ひとつはは、膨大な資料から、片岡に関することを抜き出し、それを片岡の生涯や事象に絡めてまとめたこと。対象となった資料は、一般公開されていない議事録なども数多く含まれる。もう一つは、片岡の家族から、著者が直接聞き取った内容がふんだんにちりばめられていること。後者が、本書の最大のセールスポイントであると思う。よくある、他誌の要素をコピペして作ったものとはワケが違う。著者がこの作業をしなかったら世に出てこなかった片岡のエピソードがあるのだ。

前者、資料からの抜き書きについて。
本書の巻末に、刊行文献が羅列されているが、その数に圧倒される。箇条書きで、なんと17ページ。中には重複もあるのだが、この参考文献を見ても、著者がどれだけ勉強家なのかがうかがえる。片岡はドイツに留学しており、その際の記述に必要だったのだろう、『ワイマール共和国物語』『ワイマール期ベルリンの日本人』、片岡がドイツ国鉄の研究を発表した際の記述に対しては『ドイツ公企業史』『第一次大戦後におけるインフレーションとドイツ鉄道』ほか多数の文献が挙げられている。記述に登場する人物や事象について、単に事典で調べるだけではなく、その背景を理解するために何冊も本を読む。その姿勢にとても共感する。

参照した資料には、こんなものまであるのか、と思うようなものも散見される。片山が時代を同じくした同僚たちの自著、回想録、逝去時の記念本。たかが(!)鉄道官吏について、その息子が父について本を出したりするなど、不思議な感じがする(片岡のことではない)。

ただし、若干、他誌からの抜き書きが多すぎると感じた。とくに歴史的事項への評価などは、著者の言葉でも一般的な言われ方でもなく、歴史書からの引用という形でなされている。例えば、日華事変勃発後に中国に送られた兵力について、参考文献を文中に記している。


後者、片岡の家族からの情報について。
長男・輝雄(東京大学名誉教授)、次男・久(元新潮社)から、多数の書簡やメモの提供を受けたそうだ。著者曰く「肉親でなければ知りえない片岡謌郎の風貌、信条、行動についてお手紙、面談により貴重なご教示を頂戴した」。これがあってこそ、著者は「片岡像」を確実なものとし、それに沿った一冊としてまとめあげることができたのだろう。ここが、本書のものっとも素晴らしい点だ。私のように机上で満足している者にはとうていなしえない作業だ。


本書だけでは、片岡の事績をすべて理解することは困難である。それは、片岡の事績も人的交流も多岐にわたりすぎ、その把握すら覚束ないからだ。登場する人物は多く、登場するたびに肩書きが違う。その肩書きを知るために、国鉄という組織とその変遷を把握する必要がある。

登場する人物に関しては、片山の後輩、友人のように文中に登場する佐藤栄作、下山定則、加賀山之雄、長崎惣之助、十河信二あたりならどういう人物だったかもわかるのだが、佐藤栄作の政治的功績は知っていても、鉄道官吏時代についてまで把握している人などほとんどいないのではないか。また、もっと(今となっては)名の知れぬ、当時のエリート幹部たちの人物像を把握しないと、きっと片山のすごさは実感できないだろう。

こういった点で、本書はあくまで概論であり、新たな興味を拓くきっかけになりうる、素晴らしい本だと思う。読者にいままでなかった視点を与え、かつ視野を広くしてくれる(参考文献を提示してくれている)点で、産業史が好きな人におすすめしたい。

とりあえず、『人物国鉄百年』(青木槐三)は入手した。他に私が「読んでおかなければ」と思う本は、いくつかネットで見つけたものの、高価だったり、珍しくオークションに出たと思ったら高額になってしまったりで、「狙っている人はいるんだなあ」と感じている。


最後に。こんな(失礼!)本を刊行する、中央公論新社に、著者に次ぐ賛辞を贈りたい。

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20100626.gif『鉄道の世界史』(小池滋/青木栄一/和久田康雄編、悠書館)について。書影は悠書館サイトより引用。本書と同体裁というか悠書館曰く「三部作」のひとつは、先に紹介した『日本の鉄道をつくった人たち』だ。

本書は752ページという大著。世界の鉄道をあまねく紹介するが、それゆえにあくまで概要にとどまる『世界の鉄道』(ぎょうせい)ではとても把握しきれない、各国の、もっと深い「鉄道がその国の歴史に果たした役割」を22地域・国に分けて開設する本。とはいえ、まだアメリカ合衆国、しか見ていない。執筆は西藤真一氏。

30ページしか割り当てられていないため、歴史としては180年、そして世界一の路線延長を誇るアメリカの鉄道がアメリカ国内史/世界史に与えた影響を網羅するのは土台無理な話だ。しかし、しかし。記述の大部分が、現在につながる部分に割かれていること、とりわけ旅客輸送にも記述を費やしていることに、個人的には残念な思いがした。州際通商委員会の設立から話が起こされている点は大変評価できるが、なぜそうなってしまったのかの記述がもっとほしい。

すべての根っ子はこれなのだ。

アメリカの鉄道は、すべて民間により、やりたい放題に建設された。

ここからさまざまな物語が派生するのだ。私が「これも盛り込んで欲しかった」という点を羅列する。絶対に外せない観点は経済、とりわけ株式市場との関わりである。

・1830年頃に、イギリスがアメリカを見ていた目。アメリカというのは、ヨーロッパ人にとっては海のものとも山のものともつかない存在だった。そんな国が、イギリスはじめヨーロッパで資金調達をし、やがて世界の金融の中心がシティ(ロンドン)からニューヨークに移った。

・19世紀中盤、アメリカは自国の東海岸と西海岸を結ぶ陸上ルートを持たず、移動するには船で現在のパナマ付近まで行き、地峡を陸路で越え、また船に乗っていた。

・ホームステッド法により西部開拓につながった。資金調達にしろ沿線住民獲得にしろ、詐欺みたいなことも多々あった。

・1800年代後半、株式の主要銘柄の大半は鉄道株だった。しかも1900年代前半までに何度も倒産・再建を繰り返している。

#奇しくもソフトバンク孫正義氏の「新30年ビジョン」で、こんな映像が流れた。画像転載元:kokumai.jp
20100626-1.jpg全世界の株式の時価総額ベスト10(といいつつ9位までしか表示されていない)すべてがアメリカの鉄道に関係している。上位4社がアメリカの鉄道会社。

1位のNWは正確にはシカゴ・アンド・ノースウェスタン鉄道で、1995年に表では3位のUPと合併。
2位のPRRはアメリカの鉄道の牽引車を自認していた鉄道で、のちNYCと合併してペン・セントラル、のち解体されてコンレールに、コンレールも解体されてノーフォーク・サザン鉄道とCSXトランスポーテーションに。
3位のUPはいまもある、アメリカにおける最大の鉄道会社。
4位のサザン・パシフィック鉄道は、1996年までにUPに買収されている。
5位のUSスチールは、8位のモルガンが「これからは鉄の時代だ」として鉄鋼会社28社を統合して作った会社。鉄の供給先は、鉄道と船舶、軍事である。
6位の
スタンダードオイルと7位のテネシー石炭は、ともに自社製品を運ぶために鉄道を持っていた。
8位のモルガンは上述のとおり鉄道の資金調達、統合と経営で財産をなした人物。いやちょっとマテ、この時期のJ.P.モルガン&Co.は従業員30人くらいの会員制金貸し業みたいなもんで、株式公開などしていなかったと思うが…どうなんだろう? 資産総額も、JPM没時にカーネギーが「これしか遺産がないのか!」みたいなことを言ったくらい、その手の人種の中では清貧(とはいえ信じられないくらい莫大)だったらしいので、それと取り違えたということもないだろうし…。
9位のシティ・バンクも似たようなもの。1900年の前後50年間くらいの間、銀行(の証券部門)と鉄道は絶対に切れない仲だった。



・日本で現代話題となる、株主を大切にする姿勢は1800年代後半のアメリカではすでに常識。配当するために設備投資をせず、事故が多発するというありさま。

・鉄道の敵対的買収はよくあった。それがもとで恐慌を何度も招いた。

・鉄道株で億万長者になった人物が多数いた。そのうちの一部は「ラバー・バロン」即ち「泥棒貴族」と呼ばれた。鉄道で金持ちになった人として有名なのは、エドワード・ヘンリー・ハリマン、ジョン・ピアポント・モルガン、バンスワリジャン(スヴェリンゲン)兄弟、その他たくさん。

・地域の交通を独占し、交通弱者からカネを取り、大口顧客には割引をした。それがやがて州際通商法による規制に結びついた。

・民間同士の競争は放置されていたので、いやがらせ目的で既存の鉄道の近くに並行して建設する鉄道もあった。建設したら、相手に買い取らせるのである。

・土木や製鉄など、産業の発展を招いた。

・南北戦争での使われ方。



もっともっとあるが、前述したように30ページでこれらを語れる訳もない。仕方がないのだが、関心を持ったら調べるきっかけとなるフックはちりばめておいてほしかった。





IMG_1688_R.JPG右が「交通」である。古書を購入しようとしたら3000円程度のプレミアがついたものしかみつけられなかったので、地元の図書館で検索したら閉架の奥にあったので取り寄せてもらった。末尾に貸し出しカードを入れる欄があるが、一度も借りられた形跡がないのがまた悲しい。この本は幸い蔵書として扱われていたが、もし貸し出し履歴の多寡で蔵書の廃棄が決まるということがあれば、こんなに資料性の高い本とて廃棄される可能性は高い。なんということだ。

本書を知ったのは、先に書いた『日本の鉄道をつくった人たち』に、参考文献として載っていたからだ。それも、誤情報の情報源として。誤情報とは、エドモンド・モレルの出生年と配偶者についての記述だったが、本書の本筋からいうと無関係に近い記述ではある。出生年を1841年としているが、正しくは1840年。配偶者を「日本人」とし、モレルと同じく結核により後を追うように死去、としているが、本当の妻はイギリス人であり、死亡はモレルの死後12時間後で、理由は不明だが精神的なものか、と『日本の~』では書いてる(と記憶)。


本書の記述は、事業や政府の立場からみたお雇い外国人個人を縦糸に、個人からみた事業を横糸にして織り上げている。願わくば両者を統合した立体的な記述がほしいところだが、それは読み手の脳内で構築すべきことなのだろう。しかし、非常に困難が伴う。なぜなら、読み手(つまり私)に、明治初期の行政や官庁の理解がまったく足りないからだ。

また、お雇い外国人に与えられた職名がいくつあって、それらが日本の行政とどういう関係になっていたのかとか、「建築師長」と「建築師」の関係はどうなのだ、とか、まったく新しい知識が少しだけ放り込まれている大湖にこぎ出すような不安を覚える。先に挙げた『工部省沿革』等で見るといっても限界は低そうだしな。

そしてなおかつ、1906年(明治39年)の鉄道国有化までの、官設/北海道/九州それぞれの事情を把握していなければならない。そうしてこそ、この本の記述が理解できる。

残念ながら、私の脳内には、かろうじて鉄道建設事情が収まっているだけなので、縦糸、横糸それぞれをたどることくらいしかできない。

とはいえ、これは私が責めを負うべきものではないとも思う。義務教育どころか受験勉強としての日本史では、こうしたことは求められなかったし、鉄道ファンでも、国鉄の前が鉄道省で、その前が鉄道院で、くらいが関の山だと思う。まして、鉄道行政の長の役職名がなんなのか、などわかるはずもない。たとえば鉄道行政官庁などこんなである。

工部省
明治3年閏10月20日に開設されたのが工部省で、トップは卿。ただし不在。ナンバー2は大輔で後藤象二郎、これが実質のトップ。明治4年8月14日(太陰暦)に鉄道部門の部署「鉄道寮」が設置され、そのトップは「頭」で井上勝。工部省組織化で、鉄道寮は鉄道局になり、工部省廃止と同時に内閣直属になった。

  大輔 鉄道部門
工部省 後藤象二郎
m4.6.28-9.20
鉄道院
m14.8.12-
    伊藤博文
m4.9.20-m6.10.25(?)
 
  伊藤博文
m6.10.25-m11.5.15
山尾庸三
M5(?).10.27-m13.2.28
 
  井上馨
m11.7.29-m12.9.10
  鉄道局
m10.1.11
  山田顕義
m12.9.10-m13.2.28
   
  山尾庸三
m13.2.28-m14.10.21
吉井友実
m13.6.17-m15.1.10
 
/廃止 佐々木高行
m14.10.21-m18.12.22
井上勝
m15.7.8-m18.12.22
/内閣直属
(なぜか表内が白文字になるので、便宜的に色を変えただけです)

以後、

内閣鉄道局

内務省鉄道庁

逓信省鉄道庁

逓信省鉄道局→鉄道作業局分離
↓          ↓
内閣鉄道院←←←

鉄道省

こんな感じである。凡庸な脳味噌には体系化できるわけがない。



それでも、本書の著者は高校の教師で、初版時33歳である。すごい、としか言いようがない。そして、初版が昭和43年で、二刷が昭和54年というのもすごいと思う。


(続く かも)

読んでて違和感を感じた原因と、コンビニに売ってるワンコイン鉄道雑学本に対する違和感は同じだ。私は、こうした本には「新たな事実」を求めているのだが、えてして雑学本は感情的で、まったく考察のされていない批評が掲載され、推測でものごとが記述される

話は鉄道に限らない。私の勤め先で刊行された本で、きちんと書かれた新事実が多かった第一作が大好評だったのに、続編がひどい出来だったものもある。いま や大家となった人の過去の著作で、他人の判断を根拠なく批判しながら自分も大同小異の提案をしている本もある。後者は素人提案によくあるもので、鉄道で言 えば「○○鉄道が赤字なのは□□がいけない。△△をやるべきだ」の類。

この本で違和感を持つ部分を見てみると、多くは詭弁のガイドラインに抵触する。やはり、単なる事実誤認は許容し、根本的な考え方に疑問を持つ部分を挙げる。

(1)リニアへの誤解
(東海道新幹線開通により、1980年の在来線赤字額は東海道本線だけで1300億、対して廃止予定77路線の赤字総額は660億円である、と前置きした上で)
新幹線は既存の鉄道にとって脅威となったが、そんな新幹線にもそう遠くない将来、危機が訪れるともいわれている。
2027年に(略)中央リニア新幹線が開業したあかつきには、東海道新幹線の地位も急落する。そうなれば、嫌が応にもかつての東海道本線と同じ目に遭うことになるわけだが……。

JR東海は、その明確な企業姿勢からさまざまな感情的攻撃を受けているが、その会社がなぜ5兆円も出してリニアを建設するのか。そのほうが儲かるからだ、くらいにしか思っていないように見える。東京-大阪間を2時間30分かかる「のぞみ」でも高飛車な姿勢をとり続けていることを見れば、主たる目的は乗客増ではないのがわかるだろう。少し報道に注意していれば、現在の東海道新幹線の施設の老朽化問題が耳に入ってくると思うのだが()、あまりに幼い「批評」である。詭弁のガイドライン4「主観で決めつける」

(2)エコの取り違い

「鉄道はエネルギー効率がいいからエコ。一方、鉄道会社が保有する土地に希少種がいるのに開発を進めようとしている。」などという文脈。前者と後者は対立概念ではないので、「エネルギー効率がいい代わりに、希少種が減る」という展開にはならない。詭弁のガイドライン6「一見、関係のありそうな話を始める」。

(3)整備新幹線問題の認識不足
そもそも、それらの地域に新幹線需要があるのかどうかわからないし、なにより東京から北陸、東京から九州といった路線は航空機との競争もあるから、それほど利用は見込めず、新幹線の黒字さえ覚束ない。
JR九州の事業報告を読まずに、また首都圏-富山・金沢間の交通手段シェアを知らずに、そして国交省その他が推計している数値を知らずにこれだけのことを言えるのはすごいと思う。これも詭弁のガイドライン4「主観で決めつける」。

(4)過去の習俗の知識の欠如
(花電車について、1930年生まれの)原田氏は父親について「勤めを休んで子どもを花電車見物に連れていくことはないはずである」と書いている。氏の父親は家族サービスをあまりしなかったようだが(略)

1945年の8月(略)そんな状態にあっても鉄道会社は電車の運行を続けた。(略)太平洋戦争時、不要不急の旅は禁止されていたから鉄道利用者はそれほど多くはない。(略)おそらく、都会を走る列車はガラガラだったに違いない
国民の大多数は、玉音放送の意味をよく理解できていなかった。(略)その日、その日をどうやって暮らしていくかという悩みの方がよほど大事なことだった。
アンダーラインとした根拠を知りたい。時代的に、父親が子どもに向き始めたのは平成に入ってからと言ってもいいくらい最近のこと。現在の家族の感覚で65年前を判断しているが、そのような記述は他にもある。また、戦時中は旅客輸送などよりも物資輸送が恐ろしく逼迫していたのであって、旅客列車のことなど考察しても意味がない。後ろふたつは詭弁5「資料を示さず持論が支持されていると思わせる」

(5)経営主体を混同する

国鉄時代の施策も「JRが」という主語で書かれている。ありえない。これは看過できない記述。




私がこの手の本にあたったとき、いつもなら途中で読むのを放棄する。「~と言われている」「~とされている」みたいな読むに耐えない記述も多い。事実ならば「~だ」でいいのだ。もしここで私が
事実ならば『~だ』でいいとされる
などと書いていたらどうだろう? 読者は「え? だれの言葉?」と戸惑うことだろう。


どうも、、「担当編集者」が不在のように見える。著者が、多少ツッコミどころのある原稿を上げてくるのはよくあることだ。それを確認し、正すのが担当編集者の役割で、もし、著者が書いた原稿をほぼそのまま本にするのであれば、編集者などいらない。方向性を読者の興味とマッチングさせ、内容に著者と共同で責任を持つ。この本には、残念ながらそれがないように見える。編集者は校正者ではない。

そう言いながら、今回はすべて読んだ。どこかに新事実があるかもしれないからだ。そしてそれはあった。それだけに、上記のようないい加減な記述が惜しい。
表題と目次から中身を期待して読んでいた。しかし、読み進むにつれ、「?」が増えていった。しっかり裏を取ってる部分もある。しかし、基本的な事実誤認や前後関係の誤認が多く、鉄道を知る者ならば誤記しようがないような誤記が散見される。また、世間風俗の記述になると、これまた10年の単位でおかしなことになっている。内容としては、コンビニ用の「500円雑学本」と同レベルの信頼性だった。

鉄道の専門事項の誤記(形式誤りなど)は、読み手が「誤記だ」とわかるレベルなのですっ飛ばすとして、誤解、誤説が蔓延しているものをさらに助長する記述や、誤解を広めかねない記述について触れておく。

●サンパチ豪雪は、新潟県だけを襲ったものではない。
気象庁のサイト参照。

●アジ電車は、昭和40年頃だけではない。
マル生粉砕!もあるんだから、藤井松太郎の時代にもあるでしょ。国鉄の労働運動史を押さえいないのに、アジ電車や首都圏国電暴動について書こうとしても無理。

遵法闘争は「それまでしていた違反をやめたもの」ではない。
違反どころか、定められた速度や常識的な能率よりも低い作業をすることで、処理を遅らせるもの。入換機関車の速度を異常な低さで行うことは、田端の機関士だった向坂唯雄氏が書いている。窓口業務も同じ。

大幹線はしっかり、ローカル線は安普請…ではない。
山陽本線は票集めと無関係。線路の凍上は近年でも抜本的な対策ができてなかったのに、それを明治時代に予見せよとは。なんでそれをバブル期のハコモノと同一視するかな。

マグロ処理=線路工手、ではない。
糞尿処理についても全般的におかしな記述。

ページは、ダイヤを盗まれたのではない。
そもそもフィンチの時代に特急なんて走ってない。ほぼ同時に刊行された『日本の鉄道をつくった人たち』で考察されている。見事に、その本で否定された説を踏襲してしまっている。本項は、その後の記述に2分目ダイヤと2分間隔運転の混同も見られる。

山手貨物線は、「わざわざ」遠回りに敷設したのではない。
上野と品川を結ぶには、いまの東京駅回りのルートが最短なのはもちろんだが、既に人口密集地だったため、野っ原だった赤羽-新宿-品川ルートで建設しただけ。

八重洲口は、国威掲揚のために「作らなかった」のではない。
いまの首都高八重洲線が外濠で、そこより東は野っ原。そしていまの新幹線ホームのあたりは東京機関区(当時)。だから、そんなところに駅の出入り口を設ける必要はなかった。


続くか不毛だからやめるか未定。


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