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秋葉原の書泉ブックタワーで開催された「『SL機関士と太平洋戦争』発売記念 ×『「SL甲組」の肖像』連載終了記念 椎橋俊之先生トークショー&サイン会」に行ってきた。2001年頃に私が鉄道趣味に復帰してから『RailMagazine』を読み始めたのは、椎橋さんの『感動の所在地』が連載されていたからだ。それに続く連載、『「SL甲組」の肖像』も拝読している。そして昨夏、『SL機関士の太平洋戦争』が刊行された。

以前、ある機会があって椎橋さんとお話しさせていただいた際におっしゃっていたのは「間に合った」ということだった。いや、間に合わなかったものもあったはずだ。でも、国鉄の蒸気機関車の運転終了からまもなく38年。さらには樺太や満鉄の機関士ともなると…。よくぞ間に合ったものだ。

椎橋さんが取材した人は500人くらいだという。そしてその半分は鬼籍に入っているとのこと。その取材のご苦労が初めて明かされた。

どんなトークだったかというのは会場にいた人たちだけのお楽しみなので一つだけ書く。われわれ鉄道ファンが「機関士はこう思っているだろう」と想定することは半分くらいしか当たっていないというのが取材の実感だったということだ。例えば、山岳路線で苦労するのはあそこだろうと想定していても、実は鉄道ファン的には「見どころ」ではない、ある駅の発車がもっとも苦労したなどという話だ。もちろん、そのいくつかは『甲組』に書かれているだろうが、そういう秘密を知った衝撃は、取材者のみが得られるものであろう。

1時間のトークの後、質疑に入った。最初は誰も手を上げなかったので、私が口火を切って「取材したかったけれどできなかった機関区などはありますか」と質問した。回答はもちろん「ある」だったのだが、それに関連して出てきた話は、おそらく鉄道ファンならずとも想像できないことだった。(おそらく参考になる記事:『国鉄史 国鉄を支えた人々の歴史(東日本編)』(地方自治政経調査会)

面白いのは、最初は誰も手を上げなかったのに、そこから30分、次々と質問の手が上がったことだ。時間の都合で区切らなかったら、1時間でも2時間でも質問が飛び交っていたのではなかろうか。それほど、吹雪を押して来場した観客たちは、いろいろなことを知りたがっていた。

時間があればもう一つ、質問したかったことがある。それは「機関士たちはのちにディーゼルや電機に転換させられたが、そういう話は取材中に出てこなかったか」ということである。これは連載の趣旨からして、もし話に出てもカットされているところだろう。だからこそ、機関士の本音が聞きたい。


またの機会もあろうと思う。今回ムリだった人はぜひ。また、この機会を作ってくださった書泉ブックタワーさんにも感謝を。






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