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C62が疾走するカラー動画が話題になっていた。



これに重ねて、C6217のことも話題になっており、ふと『バック・トゥ・ザ・フューチャーPart3』を思い出した。1885年の時点で、蒸気機関車を時速140kmまで加速させるのだ。これを子考察する前に、その前提の話を。

(以下全てBTTH3の画像はAmazonプライムよりキャプチャ)

国鉄時代、蒸気機関車の動輪回転数は300rpmを限界の目安としていたと記憶する。機械的なこと(国内ではベアリングを機関車に使う時代ではない)、軌道への影響から回転数には自ずと限界があり、だからこそ「高速向けには動輪径を大きくしなければならない」というのが蒸気機関車の構造的宿命となる。

これをC62にあてはめると、動輪径が1750mmなので、300rpmならば時速99kmとなる。1954年に木曽川橋梁で出した時速129kmでは391rpm。『蒸気機関車の挑戦』(齋藤晃著)によれば、1930年代のドイツで350rpm、アメリカでは400rpmを超える回転数を常用していた。まだ平軸受けの時代である(*)。なので、それだけ見れば、無理な数値ではないとも思える。なお、蒸気機関車の世界最高速度である時速203kmを1938年に記録したマラード号は、動輪径が2032mmなので、530rpmとなる。整理すると、

C62常用 1750mm 300rpm 99km/h
C6217  1750mm 391rpm 129km/h(狭軌最高速度)
マラード 2032mm 530rpm 203km/h(世界最高速度)

となる。

(*)整備性の悪化などは抜きにして、ローラーベアリングも出始めた頃でもある。それが採用されるほかの技術革新が進み、1940年代にかけて、アメリカでの蒸気機関車最盛期には常用500rpmに達していた。(前掲書より)

さて、BTTH3。劇中で使われた機関車は「1885年にはまだ登場していない」Sierra No.3が、セントラル・パシフィック鉄道(CP)の#131という設定で出演している。この車両は、1919年から数多くの映画に出演している「名優」だ。Sierra No.3の軸配置は4-6-0。実際のCPの#131は4-4-0だったそうだが、これは余談。



では、このSierra No.3が時速140kmを出すためにはどうなるか、計算してみよう。動輪径は1422mmなので、140000/(1.422*3.14)/60=522.57、つまり523rpm必要になる。もちろん、1885年当時、こんな回転をしたら、すぐに軸が焼きついたことだろう。そういえば、映画には注油のシーンはない。

Sierra No.3 1422mm 523rpm 140km/h


ところで、ラスト、Sierra No.3は落下する。こういう、一気に負荷がなくなったとき、蒸気機関車の走行装置はどういう動きをするのだろうか。回転数が増すのだとしても、構造的に、徐々に…だろうか。



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新潟県の大形駅から新潟島まで歩いたときのこと。大形駅を北に向かってすぐのところに、線路があった。はて、なんでこんなところに。この線路はJR線とはつながっていない。

その場でGoogleの衛星画像を見ると、敷地を長方形とすると、その2辺に線路が敷かれている。カーブはかなりきつそうである。



この施設を擁するのは東日本電気エンジニアリングという会社だ。East-iに乗車して検測するのもこの会社の主要な業務の一つだ。

上の衛星画像では、線路上に軌陸車がいる。ここに車両を運び込んでなにかするということがあるのかどうかはわからないが、軌陸車に関連する技術開発や電気設備に関することも業務とのことなので、そうしたことに使うのだろう。

それにしても、「なんで唐突に大形?」という感がある。2004年の空中写真にはなく、2011年のストリートビューにはあるので、その間にここに立地したのだとは思うが、土地の利用条件や給電の条件などによるのだろうか。





大変遅ればせながら、2017年10月14日にくびき野レールパークに行ってきた。頸城鉄道の車両が「発見」されてから10年以上。あのときの衝撃は忘れられない。とはいえ、知る人ぞ知る存在ではあったようで、公開日の記念トークショーでは、そうした秘話が披露された。おそらく、公式には残っていないだろう記録。関係者の、さまざまな努力、そして他者による詮索・中傷を乗り越えての動きに、心から敬意を表したい。

動態保存されている各車には何度も乗った。興味深かったのは、機械式気動車・ホジ3のシフトだ。機械式気動車のシフトレバーは、前後の運転台のものがリンクでつながっていて、一つの変速機につながっている。よって、一端の運転台で操作していると、他端になるシフトレバーも動くのだ。それを動画で撮影した。


知らない人が見たら驚くかもしれないし、あるいは興味を持たないかもしれない。キハ07のシフトリンケージを下記に記す。
 
(『ある鉄道事故の構図』坂上茂樹・原田鋼著・日本経済評論社刊/「礒田前掲書」とは、『ガソリン動車の故障手当 附ガソリン動車の燃料を如何に節約するか』礒田寅二著・大教社出版部1940年刊のこと。礒田は神戸機関庫助役等を経て宮原機関区長)

これと全く同じではないだろうが、概念としては同じだろう。なお、クラッチペダルは、キハ07の場合はどちらを踏んでもOKだが他端には影響しない。

さて、このホジ3。逆転機の操作は床下で行う。


動態保存における体験乗車では、短い距離を走るたびにこれを繰り返す。運転士の苦労は相当なものだ。
 

また、床下補機の動画もアップする。

 

実際の保存運転の動画はネット上に多数アップされているので、そちらをご覧いただきたいが、なにより実物を見るのが一番だろう。

* * *

 
当日は、NPO法人くびきのお宝のこす会結成十周年を記念して、記念式典と紙芝居講演、そして記念座談会が行われた。レポートは鉄道ジャーナルに栗原景氏が記載しているが、ここも少し触れたい。

座談会は、下記の5名の方による予定だった。
 岡本憲之氏(せんろ商会、車輌の紹介者)
 曽我部俊雄氏(フルヴィアート、車輌購入者のご子息)
 樋口隆夫氏(サンコーサービス、車輌の運搬責任者)
 下間一久氏(お宝のこす会、前会長)
 市川義雄(お宝のこす会、現会長)


しかし、曽我部氏が、ご高齢ということもあり、体調があまりよろしくないということで欠席となった。代わりに、お手紙をくださり、それを朗読する形となった。


この講演では、市川氏の進行の元、岡本氏による保存鉄道や軽便関係者の「発見」以前の話や、レストアを請け負った樋口氏による細かな話、下間氏によるNPO法人としての活動の話などが交わされた。

レールパークのオープンには、タイミングがあった。上越市と合併してしまえば、勝手なことはできなくなる。頸城村であるうちに進める必要があった。それができるタイミングだった。そうはいっても頸城村(当時)側は、保存はおろか、鉄道についてすら門外漢ばかり。それをとりまとめ、藪と化していた現在地を整備し、外観の補修だけではなく動態化にこぎ着けたという地元の熱意には、敬意というよりも驚きしかない。それに陰ながら多大な協力を惜しまなかった、保存鉄道の愛好家たちの力は非常に大きいだろう。

六甲山中に頸城の車両が眠っているということは、古くからの好事家の間では知られていたようだ。車両を引き取った曽我部氏の父が、知人の新聞記者に見せた際に写真を撮られ、それがアサヒグラフ(だったと記憶)に掲載されてしまったことがあるとか。公になったのはその一件だけだが、それでもそれなりの数の目に留まったようだ。

レストアの話も興味深かった。しかし、あろうことか、当時メモせずに数ヶ月も経ったため、質問してお答えいただいたことすらおぼろげになってしまった。

ラスト、残念ながら来場できなかった曽我部氏からの手紙が朗読された。非常に貴重かつユーモアに富んだ内容で、お父上の信念、構想、無念、当時のご家族の姿などが活写されていた。その遺志を受け継いだ頸城村のすごさ。いままでは、年に数回しか公開しないということもあって、なかなかタイミングが合わずに訪問できなかったのだが、できるだけ訪問しようと思う。

曽我部氏による頸城鉄道に関する記述はこちら。
フルヴィアート>日々雑感>頸城鉄道















2017年3月廃止が取りざたされている北海道の東鹿越駅。駅名標と並んで「かなやま湖案内図」がある。

 
しかし、その案内図は経年劣化で剥げてきており、その下にあったものが見えている。「おちあい」「ひがししかごえ」。東鹿越駅にあるのに。一瞬、とうの昔に廃止になった鹿越仮乗降場のものかと思ったが、行くとか駅だった。
 
ペンキ書きのものなので、国鉄時代に書かれたものだろう。




以前、企画屋さん(@team185)から「JR四国の駅ホームの白線は太くて長いですよ」と教えていただいた。改めて見ると、たしかにそうだ。

メジャーで測ったところ、長辺100cm、短辺10cmだ。しかし、迂闊なことに、間隔も測ったのにメモを忘れてしまった。点字ブロックから判断するに、長辺の3分の2程度のようだ。

なお、写真は双岩駅。



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