忍者ブログ
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

『廃駅ミュージアム』(笹田昌宏著)で知った、安楽駅。2車線道路…といってもメインではなく、その裏に並行する道の脇に、プラットホームが残っている。

こうした情景がたまらない、という感情は、小学校4年生のときに『鉄道ファン』誌上で見た篠山鉄道の廃線跡探訪記によって刷り込まれたのだと思う。そこには、写真の上にプラットホームの形がスミの線で載せられていた。

この「安楽」という駅名もまた、鹿児島らしくてよい(宮崎県にも多いようだ)。かつて同僚に「安楽」さんがいた。鹿児島の出身だった。

PR

書泉グランデで開催された、「RMライブラリー200巻記念トークショー」、「1960年代-70年代の地方私鉄を語る」に行ってきた。白土貞夫さん、高井薫平さん、名取紀之さん(MC)によるものだ。事前の整理券では足りず、急遽追加もしたという。私は配布当日にいただいた、抜かりはない。このような素晴らしい、貴重なお話は、ちゃんとお金をとって演者に還元したらいいんじゃないかな。(上の写真は、右から白土さん、高井さん、名取さん)

さて、内容は、お二人それぞれの、高校時代の趣味活動や、大学、就職してからの趣味活動の話から始まる。いまよりはるかにおおらかな時代、しかし、まったく情報もない時代、さまざまな手段と出会いを通じて記録を残してこられたお二人。車両竣功図表をノートに手で書き写し、わずかな枚数の写真を撮影する。そんな思い出をリアルに語り、実際のノートも見せてくださった。

こうしたお話はもちろん貴重なのだが、そういう「感覚」というものを、なんとか保存ができないかといつも思う。いまなら、暗闇でも無尽蔵の枚数の撮影ができるカメラがある。コピー機もある。基本的な情報はネットを検索すればある。しかし、当時は、こうした方々でさえ、地方私鉄に行っても車両基地を覗いて写真を撮り、事務所を訪問してデータ類の一部を書写するだけだ。そもそも、家にカメラがあり、自分でそれを使って写真を撮れる、十代のうちに全国方々を旅行することができる、という境遇はとても恵まれたものだったはずだ。その感覚を、われわれ読者は想像しながら記事を読むべきだと思う。また、高井さんは「根室拓殖鉄道全線に、私は乗ったんだ」とおっしゃっていたが、やはり私鉄研究で高名な方は、途中までしか乗っていない。それでも、雑誌に記事を書き、それが貴重な情報源となって拡散してゆく。そういう時代だったのだ。

話が飛んだ。お二人のお話は、若かりし頃からの経験をきちんと記録し、発表し、その後の研究も積み重ねてきたからこその重みがある。RMライブラリーの記事も、過去の記録を焼き直すのではなく、改めて現地を取材し、現地の図書館で関係文書などを渉猟し、時には新しい発見をして書いているという。「あとどれだけ書けるか…」「私たちの世代がいなくなったあと、見たこともない鉄道の記録はどうなっていくのか」というのはお二人にとっては冗談ではない問題だが、一読者としては、時間が止まってほしいとさえ感じる。

その一方で、高井さんは「楽しむこと」を挙げておられた。研究、研究と没頭するのではなく、楽しむこと。いま、あまりに関心事が多すぎて一つの趣味に没頭できないのが多くの趣味人の悩みの種だと思うが、それを戒める言葉にも感じた。広い視野を持ちつつも、深めるのは狭い範囲だけ。あとは田の研究者に任せる。そんなところだろうか。だからこそ、公文書と実際の記録を突き合わせ、新たな事実を発見していくというスタイルをなせるのかもしれない。

* * *

お二人が趣味誌に発表した写真は膨大な数に登ると思うし、当時、それほど多く撮影されてはいないだろうが、それでも、未発表の写真はかなりお持ちなのではないか。私は、それが見たい。キャプションなどなくてもいい、ひたすら羅列した写真集を5000円以下で出してもらえないだろうか。

RMライブラリーはじめ、紙媒体はエビデンスのないものは刊行しない。しかし、それは後進にまかせ、ノーエビデンスでもいいから、世の中に出しておくべき貴重なものも山ほどあるはずだ。今日も、勿来市の三松炭礦跡にあった「据置ボイラ」の話と写真が出た。その元になった機関車は判然としていないが、そこにこだわるあまり、この写真と話が闇に消えていくことのほうが損失だろう。

こうした記録は、間違いなく、白土さん・高井さんの後進に役に立つ。趣味界の大先輩方、いかがだろうか。

* * *

今回は、RML刊行200号記念ということで、その手の話も少し出た。表紙のデザインは、まさか200号に達するとは思っていなかったので、「199」までしか数字が入らないデザインであったこと(帯の幅)。当初は紀行文などいろいろなスタイルが混在してもいいというつもりだったが、号を重ねるごとに「よりよいものを」となり、いまのスタイルが定着したということ。

後者は、とくに最近の電気機関車ものなどは模型製作用にディテール写真を並べたに過ぎないと感じるものがあり、といっても安価だし貴重なので買うのだが、考察記事がないじゃないかと思っていた。それは私が過剰な期待を勝手に抱いていただけだと知った。

今後は、より柔軟な姿勢で行くとのこと。次号、201号では初めてジョイフルトレイン等も採り上げるそうだ。RMLの商品性のよさはかねてより聞いてはいるが、同時にネコパブの良心として、RMLの今後の発展を心より願っています。





●関連記事
花巻電鉄デハ3の台車



新潟県統計年鑑を見ていたら、おもしろいデータがあったのでまとめておく。「鉄道除雪状況(JR東日本新潟支社管内)」というものだ。

なぜかうまく表が作れないので、多少見苦しい点はご容赦を。


 
表でいう「DDロータリー車」。米坂線、2004年2月。


●DDラッセル車およびDDロータリー車

総数   DDラッセル車   DDロータリー車
  回数 走行キロ 回数 走行キロ 回数 走行キロ
1991年度 1073 22459.1 258 27 660.9
1992年度 1035 23209.7 230 11079.8 18 511.9
1993年度 1761 36280.7 324 15749.2 42 1196.5
1994年度 1668 34140 321 14960.9 33 1381.1
1995年度 1668 43616.8 376 18040.8 42 1641.5
1996年度 1668 32509.2 206 9444 15 512.1
1997年度 1668 35810.2 213 9820.6 8 413
1998年度 1668 34386.5 273 14562 27 974.5
1999年度 1668 41590.7 360 17521.3 32 1122.4
2000年度 1668 61690.3 570 27975.1 54 1729.2
2001年度 1668 40331 341 17721 15 751
2002年度 1668 34695 332 16453 16 479
2003年度 1668 39411.7 322 17464.6 7 219.1
2004年度 1668 57428.4 480 23992.4 46 1524
2005年度 1668 99077.3 1008 55358.3 61 2216
2006年度 1668 23170.1 184 9277.6 1 39.5
2007年度 1668 45628.1 284 14987.6 14 597.2
2008年度 1668 27925.7 10 379 0 0
2009年度 1668 49718.8 58 2441.8 6 252.6
2010年度 1668 66395 62 2610.2 6 226.2
2011年度 1668 88914.8 71 2989.1 15 585
2012年度 1668 72856.5 50 2105 6 225
2013年度 1668 6748.7 78 3283.8 2 72.4


2004年度と2005年度は、とりわけロータリーの出動が多い。当時のドカ雪を覚えている方も多いだろう。十日町では、私のハイエース(車高2m)をゆうに越す雪が道路脇に積まれていた。対して2008年度の少雪は、これまた記録的レベルだ。

「DDラッセル車」にはDD15だけでなくもちろんDE15も含まれているだろうし、「DDロータリー車」にはDD14とDD53が含まれるだろう。


●小型雪かき車
 
  回数 走行キロ
1991年度 12580
1992年度 787 11618
1993年度 1395 19335
1994年度 1314 17798
1995年度 1651 23934.5
1996年度 1054 22553.1
1997年度 1182 25576.6
1998年度 1152 18850
1999年度 1293 22947
2000年度 1931 31986
2001年度 1281 21859
2002年度 948 17763
2003年度 1265 21728
2004年度 1978 31912
2005年度 2409 41503
2006年度 753 13853
2007年度 1242 26933
2008年度 790 18071
2009年度 1408 31026
2010年度 1833 37681
2011年度 2215 60335
2012年度 2035 55231
2013年度 1350 42307

「小型雪かき車」とは、保線用の排雪モーターカー(ハイモ)のことだろう。こちらはラッセル・ロータリーの区別がない。

「DDラッセル車」。只見線、2005年1月。

 
「小型雪かき車」。只見線、2004年?


上記は「除雪用機関車」と「保線用モーターカー」の出動例だが、2007年度からは「投排雪ラッセル/ロータリー」の記録もある。これは、ラッセル・ロータリー兼用の新型モーターカー、ENR1000だろう。

●投排雪ラッセル/ロータリー

投排雪ラッセル   投排雪ロータリー  
回数 走行キロ 回数 走行キロ
109 3060.5 6 49.8
242 9371.7 4 104
412 14612.4 47 1386
722 25283.4 18 594.2
747 24537.5 15 468.2
394 13797.3 48 1498.2
638 20592.7 42 1212.8



ENR1000。飯山線、2014年12月。


子供のころ、東新潟機関区にDD53、DD21が配置されていたのが誇らしく、とはいえ稼働していることはついぞ見ることができなかった。ディーゼル機関車は、趣味的には長く冷遇されていたが、2000年代に入り、被写体として注目を浴びつつも、その運転情報を得ることが難しく、そういう意味でも「煽り」の先鞭のようになってしまった。まだデジタルカメラやSNSが普及する前でさえそうだったので、いまならさらなる「祭り」になってしまうことだろう。宗谷本線のDE15が人気だが、遠方ゆえ、そこまでになっていないのは幸いかもしれない。

私が撮ったDD15は狙っていったものだが、DD14は、いずれも偶然の出会いである。

 
「DDロータリー車」。上越線、2005年1月。

 
「DDラッセル車」。只見線、2005年1月。

2015年8月23日朝の上野着で、寝台特急『北斗星』の運行が終了した。いわゆる「ブルートレイン」は、これで終わった。

子供のころがブルートレインブームのまっただ中だった。南正時さんの本で、憧れた。同級生のH君が、毎年、新潟から山口県まで帰省していて、そのたびにいろいろなルートで、例えば「つるぎ」から新幹線とか、「とき」から九州ブルトレだとかに乗っていて、本当に羨ましかった。

のちに鉄道趣味から離れても、学生時代に「一度、寝台特急に乗ってみたい」と思って乗ったのが『富士』だった。B個室寝台。九州ワイド周遊券を使い、帰りは『みずほ』のB寝台に乗った。寝台券は残っているが、写真はない。



『北斗星』に初めて乗ったのは、1996年12月、B寝台。この時は旅行だったので、最初で最後のレストランディナーを食べた。車内販売が、東海道新幹線の車販時代の同僚だったのには驚いた(会社はまったく異なる)。

 (写真は落部→野田生の北斗星1号、2003年10月5日)

次に乗ったのは2002年1月。『「北斗星」乗車456回の記録』(鈴木周作著)でも書いたが、このときは煮詰まった日常から抜け出すべく乗ったのだ。それから何度か乗り、何度か写真も撮った。たいていは3連休の直前でもB個室が取れるくらいの空き方だった。ラウンジもガラガラだった。函館駅での解放・連結作業も、写真を撮る人などおらず、私も、見てるだけで撮らないことも何度もあった。

 
(函館駅 列車番号不明 2005年10月13日)

北斗星は、乗っても、撮っても楽しい列車だった。もう一度乗りたかったが、狂騒じみた雰囲気になってしまっているようで、とても落ち着かない。なにより、寝台券が取れない。残念だが、遠くから思いだけを馳せている。


●関連リンク
北斗星ニセコスキー




 
名寄にキマロキが保存されている。キ604の部分写真をアップする。

ここではマックレーと連結されている。キ604の前部に連結器はないため、左右に渡した梁をひっぱる形になるが、実際の作業でこのように連結したままの写真は見たことがない。キマとロキに別れて「2列車」で運転する。

正面を向いている羽子板のような5枚の羽根は可動できる構造となっているが、よくわからない。DD14等と異なり掻き寄せ翼はごく小さなものしかない。

操作室は十分に広い。こちらはあくまでも除雪装置の操作用で、動力源たる蒸気機関の投炭関係の部屋は後部にある。写真左が前、右が後ろ。右に見える箱は、日立のベビコン。

目立つのは、中央部にある扇形の大歯車とその操作に使う右上の大小歯車。何を操作するのかわからないが、大きな力が必要なもののようだ。位置からして、投雪口の左右切り替え・角度調整か。

手前に三方コックが五つ並ぶ。どれがなにかはわからない。左右の床下から生えているレバーは、外部のリンクから考えるに、小さな掻き寄せ翼を操作するもののようだ。

操作室背面には、ボイラの圧力計と右に加減弁、右下に逆転機。ここで運転士はボイラの出力を調整していたはずだ。

左右に隙間が見えるが、ここからボイラが見え、また、ランボードの上を歩いて後部の投炭室に行ける。

操作室を振り返り、右からボイラを覗いたところ(車体左側)。左の扉のガラスの左に写っているのが煙突。ほぼ真ん中のが蒸気ドームで、そこに加減弁からのリンクがつながっている。その下のパイプが動力源で、ボイラ右の箱の中がシリンダーだと思うのだが、この中を通る蒸気がどうピストンにつながっているのかはわからない。

後ろを向いて操作するとしたら、右側運転台のようなイメージだろうか。


左から覗いたところ(車体右側)。右手前が煙突、中央が蒸気ドーム。ボイラ横に這うパイプが蒸気を左の箱の中のシリンダに供給するものと思う。

投炭室。蒸気機関車と異なり、運転関係の装置がないので広々とした印象。


投炭室から車体の左を見る。ボイラ上の円筒は給水温め機だろうか。


投炭室から車体の右を見る。砂箱や蒸気の配管がないため、スッキリしている。

 
最後、もう一度外に出て、3軸台車。バネなしとのことだが、軸箱の上に板バネが見える気がする。こういうものを見ると、なぜ台車内側の写真を撮って来なかったのか等の後悔の念に駆られる。



Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ [PR]
カレンダー
05 2020/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリー
twitter
twitter2
プロフィール
HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。
バーコード
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析