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JR四国牟岐線の海部駅に着く直前にある町内トンネル(まちうち)。ホームからこのように見える。大井川鐵道地名駅付近にあるような覆いではなく、こちらは本物のトンネル。かつては山があったものが、開削されて躯体だけが残ったものだ。

この区間の開通は1973年10月1日。

空中写真で見てみよう。
(国土変遷アーカイブより。1975年11月2日撮影。CSI7513-C13B-23。リンク先をぜひご覧ください)
黄色いルートが牟岐線、矢印の先が町内トンネル。

線を除去する。
すでに開削されている(後述追記参照)。開通から2年後には、すでにトンネルではなくなっていたということで、ということは開通を2~3年待てば、トンネルを掘る必要がなかったということだ。

では、それ以前はどうだったのか。
(国土変遷アーカイブより。1968年10月2日撮影。SI685Y-C9-13。リンク先をぜひご覧ください)

1968年にも、隣接する国道55号は開削されているようだが、この町内トンネルの場所はまだ「山」だ。だからこそ、トンネルを通したのだろう。

それにしても、前述の1975年の空中写真を見ると、大きく開削されたものだと感じる。現地に経つと、ここに山があったとはちょっと想像できない広さだ。

【2014年1月5日追記】
サイト『轍楽之道』の寺田牧夫さんから、1975年8月の海部駅の写真を見せていただいた。そこには、ポータル上、数メートルの土かぶりしかなくなっている町内トンネルが写っていた。また、ライターの土屋武之さんから、宮脇俊三さんの『時刻表2万キロ』における海部駅の記述で、すでに開削されたことが描かれており、氏の訪問日が1976年5月7日だったとご教示いただいた。となると、1975年8月から翌年5月までの間に開削されたということがわかった。お二方のご教示に感謝申し上げます。





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