高校1年のときに現国の先生が顧問で、その先生に出会わなかったら山岳部には入らなかったかもしれないし、そうなるとオフロードバイクにも乗っていないかもしれない。ということは結婚していま東京で家庭を持っていることもなかったかもしれない。いまに到る原点のような大切な存在が、高校の山岳部だ。 私が高校1年の頃、1987年頃がひとつの全盛期かつ過渡期で、テントは家型からダンロップのドーム型に、ザックも安価なアタックザックがリリースされ、ガスコンロも強力なものが登場してきていたが、灯油バーナーが当たり前だった(ガソリンは、テントを燃やした高校があったために高校生は使用禁止と高体連から通達があったはずだ)。しかし、まだウエアはゴアテックスや速乾ズボンが出てきたくらいで、綿のTシャツにパンツしかなかった。ペットボトルは登場していたが、それを使うという発想はなかった。 いまはなくなってしまったそういうものの一つに「フレームザック」がある。 1988年、飯豊神社にて。中段、左から2人目(黄色サングラスの人が前述の先生、その右)が私。この右端に写っているザックが、高校2年から大学1年の頃まで使っていた、ニュートップの「パックフレーム」だ。フレームの全長は106cm、パック部分は65リットル。重量は3kgもある(というスペックをいまでも覚えている)。背負子を機能的にしたもので、フレームがあるからいくらでもパックの外に荷物をくくりつけられるし、荷崩れもしない。パッキングの苦労もない。しかし、ある程度の身長がないと担ぎづらいし、似合わない。そんなザックを愛用していた。 フレームがあるので地面に置くことができず、必ずどこかに立てかけた。苦労するのは列車の中で、網棚に上げるとボックスシートひとつ分の長さを占領してしまう。ボックスシートの通路側に座り、手すりにショルダーベルトを通すと直立するので、そのようにすることが多かった。ニュートップは、のちに倒産した。 後ろに見えているのはキスリング。1年生がこれを使わされていたのはいつまでなんだろう? 当時ですらあまりにアナクロな気がしたものだ。 ついでに。 1992年、大学2年の夏に、高校山岳部の飯豊連峰縦走合宿についていったとき。北股岳をバックに。もうザックはLoweになっている。このLoweで縦走したのは、知床連山、朝日連峰、トムラウシ山、北アルプス(奥穂周辺)、南アルプス(北岳から南下)など。 * * *
記念祝賀会、名簿づくりからはじめ、開催にこぎつけるまでの並々ならぬご苦労があったことと推察し、深く感謝申し上げます。また山に行きたくなってきている。 PR |
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