関西本線は、開通時からの施設が多数残されていることで知られている。そのなかのひとつ、木津駅の東西自由通路に行ってきた。たまたまそこらへんに行っていたときに、小倉沙耶さんに「ここにこんなものがあるよ」と教えていただいたので立ち寄ったが、なかなかに感銘を受けた。写真は西口、Yahoo!地図の航空写真では、橋上駅舎化工事中のため、この写真のようにはなっていない。 木津駅において、線路は築堤上にある。写真ではわかりづらいが、バスからバス1台ちょっと分左側に、ぽっかり口を開けている部分がある。これが、東西自由通路である。もともとは、駅改札内の通路として利用されていたものを、橋上駅舎化するにあたって東西自由通路にして(もちろん橋上駅舎内を通り抜けることもできる)、保存したものである。 木津駅のレール面は地平ではなく築堤の上にある(水害対策らしい)ので、この通路はその築堤に穿たれている。レールの真下は煉瓦で組まれた隧道状になっており、それはたしか4線分(確証なし、違っているかも)、つまり煉瓦隧道が四つある。それぞれの間(写真では白い壁の部分)は別の方法で埋められている。この白い部分の真上はホームだろうし、塗り込められた壁の向こうには、ホームへの階段があったのだろう。 駅舎が新しいこと、この通路も清潔に保たれていることもあり、「古い隧道的な通路」であるわりに、不潔感はまったくない。路床がきれいなことや、異臭がしないこともそういう印象に結びつくのだろう。 なお、上から2枚目に見るとおり、断面は欠円アーチだ。 先に「以前は改札内の通路だった」と書いたが、こちらの『大仏鉄道研究会』内の「JR木津駅橋上駅舎化工事の経緯」ページに当時の写真があった。「大仏鉄道」って最近なにかで聞いたな、と思ったら、昨日kinias・近畿産業考古学会で見学会に行っていたやつだった。まったくの偶然で大仏鉄道の名がここでリンクした。 これがいつできたのかはわからない。朝日新聞によると「大正時代ではないか」とある。『とれいん工房の汽車旅12ヶ月』(JTBキャンブックス『鉄道未成線をあるく』の著者、森口誠之氏のサイト)は、資料は見つからなかったとしながらも根拠を推測しながら明治時代と推測している。木津駅の開業は1896年(明治29年)。そのころ、わざわざ金のかかる地下通路などを設けたのかどうか、気になるところではある。 もののついでに、昭和49年の航空写真へのリンクを貼り付けておく。→こちら 左上(北西)、国道24号泉大橋のカンチレバーっぷりについては後日。 PR |
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