愛知県の、博物館明治村に、この30フィート複線ポニーワーレントラスはある。東京・神奈川県境の六郷川(多摩川下流の別称)に6連の複線桁として架かっていた。右75度の斜橋である。1875年、イギリスのハミルトン製。
のちに列車重量の増大等とあいまって、1915年に3連が御殿場線(当時は東海道線)の第2酒匂川橋梁下り線に、3連が上り線に転用された。『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状第2報 英国系トラスその2』(西野保行・小西純一・淵上龍雄)によれば、下り線に「六郷川より1連」という注釈がついているが、おなじハミルトン製の複線桁が3連あった現地のうち、1連だけが六郷川で、残り2連の素性が不明、ということはあるまい。おそらく、3連とも転用桁だったのだといまは思っている。 第二次世界大戦中、御殿場線は単線化されたが、第2酒匂川橋梁のうち残されたのは下り線で、上り線は1944年に撤去された。行方は知らない。下り線も、1965年に現在の桁に架け替えられた。御殿場線の橋梁群については経緯を追いづらいので、過去に書いた記事を参照していただきたい。 桁の話に戻る。上の写真のように、複線桁のうち片側にレールが敷かれ、片側は歩道になっている。レールの上には尾西鉄道1号機関車が保存してある。こちら側には銘板があるが、複製品だとどこかで読んだ記憶がある。 これが向かって右。 これが向かって左である。 この桁の最大の特徴は、レールが敷かれているということと、そこに縦枕木が再現されていることだろう。 縦枕木とは、レールの真下にレールと並行して敷くもので、橋全体の構造として、両サイドのトラス桁の下弦に横桁を渡し、その上に長手方向に縦枕木を敷き、その上にレールを敷くことになる。 このような感じになる。 横桁は、上の写真でわかるとおり、魚腹型だ。 また、レールは一部に双頭レールを使用している。 移設の際なのか、御殿場線として供用されていた際なのか不明だが、相当に補修の手が入っている。リベットがボルト留めに変更されている部分が多い。リベットでないと、非常に目にうるさい。 そう思いながら見ていて、ふと気がついた。横桁の腹材は帯板1枚ではなく、継ぎ足されている! そして、道路側を機関車側から眺めると、なぜか1本だけ、この継ぎ足しがなされていない横桁がある! いままでレポートしてきた横桁のうち、原型をとどめるものでも、継ぎ足されたものはない。これは、複線桁で幅が広かったためにこのようにせざるを得なかったのだろうか。製造する部材の寸法の制限によるものなら、横桁中央部で接合してもよさそうな気もするが、この場所ならば応力が小さくなる、などといった効用があるのかもしれない。 トラスの端部、端柱の上のピン部分はこうだ。 ピン周辺のリベットの打ち方の差は、今後の研究課題。おそらく、メーカーにより差異があるのだろうとは思うが、サンプルがあまりに少ない。 反対側から見る。 外側から(道路側)から見る。こうしてみると、下弦とピンを接続する部分の、ピンを締めるナットの下の板の形が、それぞれの場所で異なる。回転してしまうようなものでもあるまいに、径間中央部は左右対称で、端部に行くほど端部側が長くなっている。 こうしてみてきたが、実はトラス桁だけでなく、鈑桁も保存されている。 この鈑桁が、はたして六郷川にかかっていたものが酒匂川に転用され、そのままここに至ったものなのか、それともどこかから紛れ込んでしまったのか、現地には解説がなかったので不明だ。 縦枕木は、敷設も、保存も手間がかかることだと思う。それでもこの形として見ることができるのは幸せだ。明治村は、平気で1日見学できる。また機会を設けて行ってみたい。 PR |
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