廃止になった国鉄赤谷線を遡り、東赤谷のあったところを過ぎてさらに行くと、道路左手に大きなプラットトラスが現れる。赤谷線の全身となった官設鉄道が敷設し、1925年に開通したもので、のち日鉄専用線への切り替えに伴い1957年に廃止されている。以来55年、ここにその骸をさらしている。
中央径間のスパンは思いのほか長く、47.4mもある。側径間としてプレートガーダーも残る(支間不明)。 けっこう深い谷を渡っている。 歴史的鋼橋集覧によれば「桁は第一利根川橋梁、第一神通川橋梁のものと同型式とおもわれる」とある。 桁の上には55年を経て枕木が残存している。 鉄山側の側径間のプレートガーダー。下路にも見えるが、上路である。 この飯豊川橋梁を撮った道路橋は「飯豊橋」という。昭和45年3月竣功。飯豊川橋梁を撮影するには、少し近すぎる。 PR |
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