英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(7)近江鉄道愛知川橋梁に、「J型スティフナー」について追記しました。
ポニートラスの外側にときどき見かける、∠型の補強…にもならないような細い部材についてです。木造ハウトラスではその大型のものがついています。役割がわかりませんでしたが、説明のあるサイトをご教示いただきました。 詳細は上記記事をご覧ください。 PR
<ご参考>
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ == いったん、東側へ。 さて、少し戻る。 この伊達橋は、かつては信達軌道が通っていた橋である。興味を引かれた方は下記を是非ご覧いただきたいのだが、とくに『日本の廃道』には、この伊達橋に軌道が通っていたときの写真もふんだんに掲載されている。ぜひぜひ。 ・『日本の廃道』47号「旧橋紀行 伊達橋」(TUKA氏) ・wikipedia 伊達橋 ・wikipedia 福島交通飯坂東線 『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報) 英国系トラスその2』(西野保行・小西純一・渕上龍男)によれば、この桁は松本電鉄の前身のひとつ、河東鉄道として開通した1923年(大正12年)から架けられたいたものだ。現地の説明看板では、製作年代を1885年~1890年と推定しているが、私のメモには日本鉄道の烏川橋梁(現・高崎線、6連)または荒川橋梁(現・東北本線、4連)または田川橋梁(現・東北本線、1連)からの転用ではないか、と書いてある。ソースがなければそんなことは書かないと思うのだが、ソースがわからなくなってしまった。1990年(平成2年)に現在の桁と交代している。 「横桁考」と見出しに書きながら、何一つ考察はない。この、曲線形の横桁がどのメーカーのものか、それを調べるのが頓挫しているからだ。 前述論文によれば約150連が存在した、単線の英国系100フィートポニーワーレントラス。いまも現役である桁もあるのに、これを保存してくれた意義は大きい。説明看板には「永久保存」と書いてある。世の中の同系トラスのすべてが現役でなくなったとしても、このトラスだけは残っていたらいいな、と思っている。
英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁の続きと言おうか、列車でそこを通ったので、車内からの写真をアップする。うっかりしてて、あわてて撮ったので最初の何枚かは露出も狂ってるしシャッタースピードは遅いし…。列車は木津から柘植方面へと向かっているので、木津川橋梁は第3連→第1連の順で通る。
この木津川橋梁は、ランガー化した部分に目が行きがちだが、横桁もかなり特徴的。詳細は英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(8)関西本線木津川橋梁をご覧ください。 ということは、単なる後付けの歩道橋であった。 右岸の上流を見る。 中心付近を拡大。 この橋台はいつの時代のものか。左岸にはないようだ。昭和39年のものにも写っていない。 こうして冒頭の写真を見てみると、同じスパンで桁の構造がまったく異なる。方や車道でワーレントラス、方や歩道橋でポニーワーレントラス。。負担する荷重、橋梁の幅・高さ等の違いだけでここまでの差になる、というのがよくわかる。 |
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