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根笠川にかかるポニーワーレンの上流に架かる橋だ。その形を見れば、だれもが珍妙と思うだろう。

トラス橋の上に、もうひとつトラスが載っている。見れば2径間で、側径間はガーダーである。

ガーダー橋の部分、向かって左は床版を広げられている。当初からこうだったのか、後年の改良かはわからない。親柱は右側だけにあり、「根笠橋」と書いてある。

ポニーワーレントラスを補強してワーレントラスに改造したもの、という捉え方でいいだろうか。補強してランガーにした例は、関西本線木津川橋梁などがあるが、こういう形のものは初めて見る。

重さ制限2t。極めて小さい。4ナンバーでも無理なものがある。

補強部分のデティールを見る。元のポニーワーレントラスの部材と、上のトラスの部材は明らかに異なる。前者はリベット留め、後者は溶接+ボルト留めだ。また、後者は格点にガセットを溶接し、補強している。

元のポニーワーレントラスよりも、補強のトラスのほうが頑丈そうだ。

ワーレントラスを横から見て「ハ」の字に相当する部分の斜材は圧縮力がかかるので、通常は「逆ハ」の字に相当する部分よりも見るからに頑丈になるのだが、根笠橋ではこのようにC型チャンネルを隙間を空けて背面同士で向かい合わせ、その側面を帯材でつないでいる。一方、「逆ハ」の字の斜材は同じ(に見える)チャンネルを背面同士で溶接している。見た目の印象では後者の方が強そうだ。もしそうなら本来の力の掛かり方と逆なのだが、まさかそんなこともなかろう。

対岸。親柱は、やはり右側だけ。


なんと読むのだろう? 「笠屋○はし」?

近くには「岩日線 みんなで乗って存続を」という立て看板がある。かれこれ放置して20年以上か。

上流側。

床版。こちらはオーソドックスな作り。

しかし、橋台側は驚いた。沓はなく、直接コンクリートから生えている。



この橋の奇妙さは、ぜひ実見していただきたい。


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倉敷から津山に抜ける国道429号を走っていたら、この美しい曲弦トラスに出会った。朝まだき7時半頃、長細い旭川湖(旭川第一ダムによる)の凪いだ水面に架かっていた。

北東側が浜尻という集落で、対岸の南西側にはなにもない。写真は北東側。1スパンの側径間がある。

左の親柱は「旭川」。

右の親柱は「えよみはし」。

直線的な橋門構がかっこいい。

欄干が跡づけされているが、端柱部分は律儀にこのようになっている。一部のリベットをボルトに置き換えている。

垂直材、斜材は端柱よりも細いので、その内側に欄干がつく。

銘板。右書きで

大阪
松尾鉄骨橋梁
株式会社
昭和拾壱年製作

塗装記録表
塗装年月 2008年3月
塗装会社(有)杉本塗装
塗装材料 下塗 ラスゴンセーフティ JISK5564
     中塗 SDマリンセーフティ中塗 JISK5516-2種 L10-734(淡)
     上塗 SDマリンセーフティ上塗 JISK5516-2種 L10-734

対岸。側径間は3スパンだ。左の親柱は「昭和二十八年六月一日竣工」、右は「江與味橋」。トラス桁の製造年と17年違う。トラス桁はどこかからの転用だろうか。(●追記あり)

なぜ中間の2スパンだけがトラス桁なのか。水がたたえられているのでわからないが、水面下の地形が、トラス桁の下は深いのかもしれない。

付近にあった道路標識。国道429号、岡山県道30号主要地方道落合建部線、岡山県道49号主要地方道高梁旭線の重複区間なのだが、オニギリとヘキサが同じ串にあるのは主要地方道だからだろうか。

●2014年3月30日追記
おかやまの歴史的土木資産によれば、「旭川ダムの建設に伴って1954年(昭和29年)に約13m高く移され、両側に鉄筋コンクリート桁が増設された」とのこと。トラス桁とコンクリート桁の竣工年の違いはこれで解決した。

●関連項目
かつてのバス待合所



旧国道422号である。現在は櫛田川を隔てた対岸にある国道166号と重複区間となっており、ここは県道569号になっている。しかし、すぐ隣りにランガー桁が架けられている(未供用)。

古びていて狭くて小さくて、なかなかすてきなワーレントラスが、4月下旬の17時ころ、西日に輝いていた。

親柱がある。北側左は正面に「中瀬橋」、道路側に「櫛田川」。北側右は正面に「なかせばし」(←濁っている!)、道路側に「昭和36年3月架設」「三重県大内山/伊藤建設施工」とある。親柱の内側面にも銘板があるとは珍しい。

対岸真正面。

引いて。こちらも親柱完備。


南側の左は「中瀬橋/櫛田川」、北側右は「なかせばし/昭和36年3月架設」。

県道になったとはいえ交通量は多い。そのためか、並行してすぐ西側にランガー桁が架けられたのは前述の通り。その前後のバイパスを建設中なので、そちらのルートが開通したら、この中瀬橋は用済みになるのかもしれない。老体に鞭打ってクルマを通している。



※ブラウザによっては写真の位置が正しく表示されません

新潟みなとトンネルの「山の下みなとタワー」から、こんな橋が見えた。
20120514_031.jpg前後に道路がない。まるで、鉄道の廃線跡のようだ。…いや、トラスの軸とは直角方向に、上記画面内に廃線跡はあるのだけれど。

ワーレントラスが3組、並列している。スパン割はそれぞれの端部を除いて同じで、上空から見ると、写真で言うと手前(北側)を長辺、奥(南側)を短辺とした台形になっている。

その晩。
20120514_001.JPG1枚目の写真の「抜こう側」に道路があって、そこからは間近で見ることができた。台形の短辺にあたる側だ。

20120514_000.JPG1枚目の写真でいうと、左側の端部。鉄道になぞらえて言うと、左から、単線/複線/複線の廃線跡。ここは、コンクリートの柵があり、隙間も狭いので、自由に撮ることはかなわなかった。

翌朝。

20120514_005.JPGもっとも長い桁。衛星画像で見ると、スパンは60mくらいか。この桁と平行する奥の桁はスパン70mほどだろう。

20120514_006.JPG写真右が、ひとつ上の長いスパンの桁。そこから左にそれぞれスパン30mほど、40mほど、40mほどの桁が架かっている。

なぜ、こんなスパン割なのか。それは、かつての航空写真を見れば一目瞭然だ。

20120514_map1.jpg国土画像情報のサイトにあるhttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/ccb-75-10/c5/ccb-75-10_c5_3.jpgをトリミングしたもの。ご覧の通り、鉄道の路線が張り巡らされている。それらをまたぐために、変則的なスパン割になっていたのだ。

拡大。
20120514_map2.jpgこれは1975年のものだが、当時から三つ並行していたことがわかる。

なお、1962年の写真ではトラスはない。火力発電所の稼働が翌1963年7月からで、当時はまだ建設中のようだ。1975年の写真は、これに比べてずいぶんと港が掘り込まれている。


桁に戻る。

20120514_007.JPG右から単線/複線/複線(廃線跡)。右ふたつは同じ年代、左のひとつは少し古いように見受けられるが…

20120514_009.JPGこうして(右=複線(廃線跡)、左=複線)見ると、同じ年代のようにも見える。ひとつ上の写真と方向が違ってスミマセン。なお、「廃線跡」は水管橋としては使われていないが、これらふたつの桁の間には太いパイプが渡されている。

20120514_008.JPGまた、その反対側(北側)には、このように別のパイプが5組、並行して取り付けられている。

* * *

端部(東側)。トラスよりもこの太い鉄管が美しい。

20120514_010.JPG「単線/複線/複線(廃線跡)」という表現がおわかりいただけると思う。

製造銘板を、左から。

左端(単線)。
20120514_013.jpg1968年10月
東北電力株式会社
製作 石川島播磨重工業株式会社
架設 第一建設工業株式会社

中央(複線)。
20120514_012.jpg1984年11月
東北電力株式会社
製作 石川島播磨重工業株式会社
架設 第一建設工業株式会社

この「複線」は1981年の航航空写真に写っているので、架け替えられたのかもしれない。

右端(複線・廃線跡)
20120514_014.jpgなぜか右側にある。

1962年10月
東北電力株式会社
製作 石川島播磨重工業株式会社
架設 第一建設工業株式会社

となっている。


単線。
20120514_017.JPG象の鼻とでもいおうか、そんな印象。










20120514_016.JPG20120514_018.JPG







「複線」。こちらは階段がない分、とてもスッキリ。





























そして、複線(廃線跡)。
20120514_015.JPG20120514_019.JPG
トラス部分の鉄管は撤去され、地面に突き刺さる部分だけが残っている。







20120514_011.JPG
パイプライン。「第3石油類」というのは、ここでは重油のことだろう。現在稼働している新潟火力発電所の4号機は重油などを燃料にしている。

…それにしても。テロ対策だなんだと言われている昨今、発電所へのパイプラインが露出していて驚いた。でも、仕方ないのだろうな。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県)
上越線 第三利根川橋梁(群馬県)
上越線 第四利根川橋梁(群馬県)
上越線 第五利根川橋梁(群馬県)
上越線 第六利根川橋梁(群馬県)の続き。




第六利根川橋梁で利根川の右岸に渡った上越線は、すぐにまた渡って左岸に移る。今度は直角に近く横切るので桁は短い。第六と同じく、上り線が当初のルートでトラス桁、下り線は増設線で鈑桁。同じような径間なのに、トラス桁ではなく鈑桁になっているのが技術の進歩の証。鈑桁は、上路に見える…?

20120414_002.JPG手前が下り線、奥が上り線。右が水上方、左が湯檜曽方。

この道路の左側にも橋があるが、それは次の記事で。

上り線の鈑桁+ワーレントラスが歴史的鋼橋として収録されている。歴史的鋼橋集覧の記事はこちら

20120414_003.JPG近づいて見る。どちらも、水上方に短い鈑桁、湯檜曽方に長径間の桁(下り線は鈑桁、上り線はトラス桁)。

20120414_005.JPG手前に道があるように見えるが、水管。最下段の写真を見ればわかる。

右が下り線(新線)。山側に隧道を穿って既設線(上り線)に並行させている。これは大穴隧道。

橋脚を見ると、古いトラス桁の橋脚は幅が広く、新しい鈑桁のほうはT字型だ。

20120414_006.JPG上り線の線路は、鈑桁の上+トラス桁の中でカーブしている(踏切から撮影)。

20120414_004.JPG下り線も。…と、遠くからは上路鈑桁に見えていたこの鈑桁…

20120414_007.JPG中路鈑桁だった。カーブしているから中路または下路、なのだろうか。上路だと曲線を収用できないものなあ(←ここは素人考え)。下路にすると橋脚を数十cmでも高くする必要があるので中路を採用した…というところだろうか。


この踏切は、なかなかいい雰囲気。一連の橋梁近くで、ボケッと佇むならここがいちばんだ。




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