重さ制限2t。極めて小さい。4ナンバーでも無理なものがある。 なんと読むのだろう? 「笠屋○はし」? この橋の奇妙さは、ぜひ実見していただきたい。 PR 大阪 松尾鉄骨橋梁 株式会社 昭和拾壱年製作 塗装記録表 塗装年月 2008年3月 塗装会社(有)杉本塗装 塗装材料 下塗 ラスゴンセーフティ JISK5564 中塗 SDマリンセーフティ中塗 JISK5516-2種 L10-734(淡) 上塗 SDマリンセーフティ上塗 JISK5516-2種 L10-734 なぜ中間の2スパンだけがトラス桁なのか。水がたたえられているのでわからないが、水面下の地形が、トラス桁の下は深いのかもしれない。 ●2014年3月30日追記 おかやまの歴史的土木資産によれば、「旭川ダムの建設に伴って1954年(昭和29年)に約13m高く移され、両側に鉄筋コンクリート桁が増設された」とのこと。トラス桁とコンクリート桁の竣工年の違いはこれで解決した。 ●関連項目 かつてのバス待合所 県道になったとはいえ交通量は多い。そのためか、並行してすぐ西側にランガー桁が架けられたのは前述の通り。その前後のバイパスを建設中なので、そちらのルートが開通したら、この中瀬橋は用済みになるのかもしれない。老体に鞭打ってクルマを通している。
※ブラウザによっては写真の位置が正しく表示されません
新潟みなとトンネルの「山の下みなとタワー」から、こんな橋が見えた。 ワーレントラスが3組、並列している。スパン割はそれぞれの端部を除いて同じで、上空から見ると、写真で言うと手前(北側)を長辺、奥(南側)を短辺とした台形になっている。 その晩。 翌朝。 なぜ、こんなスパン割なのか。それは、かつての航空写真を見れば一目瞭然だ。 拡大。 なお、1962年の写真ではトラスはない。火力発電所の稼働が翌1963年7月からで、当時はまだ建設中のようだ。1975年の写真は、これに比べてずいぶんと港が掘り込まれている。 桁に戻る。
* * *
端部(東側)。トラスよりもこの太い鉄管が美しい。 製造銘板を、左から。 左端(単線)。 東北電力株式会社 製作 石川島播磨重工業株式会社 架設 第一建設工業株式会社 中央(複線)。 東北電力株式会社 製作 石川島播磨重工業株式会社 架設 第一建設工業株式会社 この「複線」は1981年の航航空写真に写っているので、架け替えられたのかもしれない。 右端(複線・廃線跡) 1962年10月 東北電力株式会社 製作 石川島播磨重工業株式会社 架設 第一建設工業株式会社 となっている。 単線。 「複線」。こちらは階段がない分、とてもスッキリ。 そして、複線(廃線跡)。 トラス部分の鉄管は撤去され、地面に突き刺さる部分だけが残っている。
パイプライン。「第3石油類」というのは、ここでは重油のことだろう。現在稼働している新潟火力発電所の4号機は重油などを燃料にしている。
…それにしても。テロ対策だなんだと言われている昨今、発電所へのパイプラインが露出していて驚いた。でも、仕方ないのだろうな。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県) 上越線 第六利根川橋梁(群馬県)の続き。 第六利根川橋梁で利根川の右岸に渡った上越線は、すぐにまた渡って左岸に移る。今度は直角に近く横切るので桁は短い。第六と同じく、上り線が当初のルートでトラス桁、下り線は増設線で鈑桁。同じような径間なのに、トラス桁ではなく鈑桁になっているのが技術の進歩の証。鈑桁は、上路に見える…? この道路の左側にも橋があるが、それは次の記事で。 上り線の鈑桁+ワーレントラスが歴史的鋼橋として収録されている。歴史的鋼橋集覧の記事はこちら。 右が下り線(新線)。山側に隧道を穿って既設線(上り線)に並行させている。これは大穴隧道。 橋脚を見ると、古いトラス桁の橋脚は幅が広く、新しい鈑桁のほうはT字型だ。 この踏切は、なかなかいい雰囲気。一連の橋梁近くで、ボケッと佇むならここがいちばんだ。 |
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