石川県白山市の国道157号鶴来バイパス、 道の駅「しらやまさん」すぐ脇にある和佐谷橋。 渡っているのは手取川で、川が市境となっており、対岸は白山市。 今月いっぱいで廃止になる北陸鉄道加賀一の宮駅がある。 画面左端の水色のアーチ橋は水道橋で、左右の桁がズレているスキューアーチ橋である。 土砂降りになったり止んだりの天気だったので、めんどくさくて撮らなかったことを後悔している。 その向こう(さらに左)には、鶴来バイパスの山上郷大橋がある。 和佐田橋は、見たとおりかつては吊り橋だったもので、それを6連のポニートラス橋に置き換えている。 橋脚に注目すると、3種類ある。 手前の新しいもの、その向こう二つの少し古いもの、川の中央の大きなもの、である。 吊り橋の竣工は1932年(昭和7年)。 両端と、川の中央に塔柱があったという。 両端のものはいまでも残るが、川の中央のものは、 上の画像に見えている立派な水切りのついたものであろう。 1953年(昭和28年)、吊り橋を撤去し、新たに三つの橋脚を据えて6連のポニートラスを架けた。 東側2連は川を越えるためにスパンが長く、その分、トラスの橋高があがっている。 市街地はこの画像で言うと「向こう側」であり、手取川右岸に鶴来バイパスができるまでは 「向こう側」の道がメインストリートであった。 そして、「こちら側」に来るためにかけられたのが、この和佐谷橋であった。 「こちら側」には分教場もあった。 いまでこそ鶴来バイパスが通っているが、これの開通は1983年である。 国土交通省の航空写真(昭和50年度撮影)を見てみよう。 (ccb-75-22_c20_21.jpgをトリミング) 和佐谷橋が、立派に役目を果たしていることが見て取れる。 現役の車道である。 鶴来バイパスもなければ、和佐田橋の下流にかけられる山上郷大橋もない。 隣接するスキューアーチの水道橋もない。 また、当時、北陸鉄道は加賀一の宮駅から先(南)にも金名線という路線を延ばしていたのもよくわかる。 加賀一の宮駅側から見ると、こう。 現役時代の写真が、岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所のサイトにあった。(著作権は切れています) ここを振り向くと、北陸鉄道石川線の和佐田踏切。 チンチンチン・・・と鐘が鳴る、撞鐘式のものである。 この踏切が鳴るのもあと半月。 どのような結末を迎えるのだろうか。 現地地図を掲げておく。 <参考> 周辺の地図は、北陸先端科学技術大学院大学内の個人運営サイト 「web辰口町史」に詳細がある。 それを抜粋したという「和佐谷ものがたり」はぜひ読んでおきたい。 PR |
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